「雰囲気」を「ふいんき」と読むと思っている人がかなりいるというこが話題になりましたが、これは耳から言葉を覚えていたせいだと思われます。
文字から覚えたのであれば「雰」が「ふい..」という読みになるとは思わないでしょうから、耳で「ふいんき」と聞いて覚え、そのあとで「雰囲気」という文字を覚えたのでしょう。
文字から覚えた人でも「ふんいき」といったつもりなのに「ふいんき」と言ってしまうことがありますから、「ふいんき」と聴き覚える人がでてきても不思議ありません。
テレビなどから言葉を覚える人が増えてくれば、漢字で表記したときの読み方と発音がずれる例が出てきます。
「一所懸命」などの例では、耳から「いっしょけんめい」と聞いても「いっしょうけんめい」と思い込み「一生懸命」という字をイメージしてしまう可能性があります。
この場合は「一生懸命」と思い込んでいるので、「一所懸命」という表記を見て「いっしょうけんめい」とは読まず「いっしょけんめい」と読む可能性はあります。
「山茶花」の例では「さんざか」が正しいのに「さざんか」といい間違えたために「さざんか」が通用してしまい、公認されてしまっています。
漢字自体では「さざんか」という読みは正立しないのですが、多くの人が「さざんか」というので、それでも良いということになったのです。
漢字の読みは音読みの場合は、もとは中国から単語が導入されたときの中国の発音を日本式発音に置き換えたもので、これがホントの読み方だといってもどこまでそれに忠実であるべきか疑問なところもあります。
たとえば「十手」は「じゅうて」とか「じゅって」と読むのは間違いで「じって」でなければならないということになっています。
「十」という字は「じぷ」あるいは「じふ」と日本では発音したので「じぷて」あるいは「じふて」が「じって」となったというのです。
同じように「入」という字は「にふ」あるいは「にぷ」と発音したので、唐に渡ること「入唐」を「にっとう」と読むことになっていて「にゅうとう」と読むのは間違いということになっています。
しかし「入党」というような新しいことばになると「にっとう」とは読まず「にゅうとう」と読むことになっています。
「入党」というような言葉は近代に成立したものなので、「入」は本来「にふ」とか「にぷ」と読むなどという理屈は棄てられているのです。
「合体」のようにまだ「合」を「がふ」と読む意識が残っている時代に出来た言葉は「がったい」も「ごうたい」も正しいという風になっています。
「甲子」は「かっし」でも「こうし」でもよく、「甲冑」は「かっちゅう」ですが「甲虫」は「こうちゅう」です。
「日本」は漢字本来の読みカからすれば「じっぽん」あるいは「にっぽん」ですが、漢字の読み方としては無い「にほん」が通用しています。
漢字は読みの規則自体が変化してきているので、間違い読みとされるものでも慣用化した場合それを止めることができないのです。
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