「ウサミアゾグオテデモ」という音声を聞いても何のことかわかりませんから、一度聞いてもすぐ覚えることはできないでしょう。
これをローマ字で書くと「usamiazoguotedemo」となりますが、よく見ればこれは「omedetougozaimasu」を逆から書いたものです。
この「omedetougozaimasu」をカナに直すと「オメデトウゴザイマス」となるのですが、これを逆から書くと「スマイザゴウトデメオ」となって最初の「ウサミアゾグオテデモ」とはずいぶん違います。
文字で書いて違うばかりでなく、実際に発音してみても同じようには聞こえないでしょう。
「オメデトウゴザイマス」という言葉を逆にいえばどうなるか、といわれると普通は「スマイザゴウトデメオ」だと考えます。
カナは日本語の一音に対応して一字があると普通は考えているので、「オメデトウゴザイマス」を逆に書いた「スマイザゴウトデメオ」を音読すれば、当然「オメデトウゴザイマス」を音読した場合の逆になるだろうと考えてしまうのです。
ところが「スマイザゴウトデメオ」と「ウサミアゾグオテデモ」を音読してからこれをテープに録音し、テープを逆回転させて聴いてみるとどちらが「オメデトウゴザイマス」と聞こえるでしょうか。
予期に反して「スマイザゴウトデメオ」は逆回転して聞くと「オメデトウゴザイマス」とは聞こえないで、なんだかわからない音に聞こえます。
それに対して「ウサミアゾグオテデモ」は逆回転して聞くと「オメデトウゴザイマス」と聞こえるのです。
つまり日本語の音声を逆唱するのは、カナに直して逆にたどればよいといった方法ではできず、難しいのです。
たとえば「タケタ」のように簡単なものでも、逆に言うには「タケタ」ではなく「taketa」を逆から読んで「アテカトゥ」のように発音しなければならないので、ローマ字あるいは発音記号の助けを借りなくてはできません。
「テキスト」のような例でも「トスキテ」ではなくローマ字の「tekisuto」を逆に読んだ「オトゥスィケトゥ」のほうがテープを逆回転した場合「テキスト」に近く聞こえます。
そういう意味ではローマ字は日本語の音を表現するのに適していますが、表音文字といいながら英語などは「text」のような簡単な例でも逆にして読みにくいので、音と文字が対応していません。
心理学では一時的な記憶を保持する仕組みとして、音韻ループ(あるいは構音ループ)というものを仮定しています。
音の記憶は数秒ぐらいしか続かないので繰り返して短期記憶の中に入れなおすというのですが、どんな音でも記憶できて繰り返せるのかというわけではありません。
知らない外国の言葉など聞いても記憶できないので、繰り返すことができませんから、音韻ループといっても自分が理解できる言葉についてのものだということなのです(そういうことからすると、音韻ループというより構音ループというほうが適当です)。
言葉を逆にいうことが難しいように、音声を記憶しているのは順序付けられた音をひとまとまりにして記憶しているのです。
一つ一つの音を別々に記憶しているわけではないので、無意味語のようなものは覚えにくく記憶しにくいのです。
もし音を聞こえたとおりに自動的に記憶できて、音韻ループのように繰り返しリハーサルできるというのなら、外国語などたちまち習得できてしまうし、音楽もすぐに覚えられるということになります。
普通人はそうはいかないで、慣れ親しんだ言葉の組み合わせという形でしか記憶しにくいのです。
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