ここ二日ほどブログ更新怠った。
なるべく更新!更新!と
自分に強制かけると、余計に
行動にブレーキかかる。
なんでしょうね、あの強制っていう
いやーーーな響き・・・・
やらなくちゃが入ると、楽しいって
人は、思えなくなるのかな。
でも、脳は不思議。
こうやって書いていると
なんだ、書けるじゃんという
感じで、筆が(?)指が(?)進んでいく。
これって子供も同じで
「勉強しなさい」
「部屋を片づけなさい」
その強制で、やりたい!って
思える子供、いや、人間は
いないでしょうなあと思う。
でも、子供には強制させてもやらせなくて
いけない事も勿論多々あり・・・
そこが難しい。
で、その強制の中にちらりとほんの少しでも
親のエゴなんかが見えちゃうと
不思議なくらい子供はテコでも動かない。
よくある「あなたが心配だから」とか
「あなたの為に言っているのよ」とか的なセリフ。
その裏の裏に
「勉強している子供を見たい」
「キレイな部屋じゃないと自分が嫌」
こういう親の思惑あると、絶対動かない。
モットーじゃないけど、勉強しなさいは
多分、絶対言わないだろうなと思う。
というか自分振り返ると
言えるような立場でもないし(汗)
それに自分も言われた事はない。
簡単な話である。
義務教育終わったら、勉強するのが嫌なら
働くしかない。だって、高校は勉強する為に
通うところ。単位が取れないだの
勉強がやりたくないだのという
選択肢はない。大学も同じ事。
やりたくないなら、やらなくてもいいのでは。
だって親の為の勉強じゃないし
自分の為のものだしと思ってしまうけど
自分が超変わりもんかもしれんが・・・
それに別に自分、勉強している子供
見たいとかいう欲求もなし。
というような、ズラズラ変わりもん内容を
毎度子供には言っている。
働くか、勉強するか、その選択肢を選べと。
で、働くなら厳しいって事。
それも言っておく。
大体 勉強すら逃げている世間から
見たらスキルも何もない子供に
一体何の仕事があるというのか。
働くって絶対大変。大人でさえ。
自分の好きな詩人、相田みつをさんの書に
こんな言葉がある。
「のに」がつくと愚痴が出る。
時々読み返すのだ。
エゴが出てしまいそうな時には。。
なるべく更新!更新!と
自分に強制かけると、余計に
行動にブレーキかかる。
なんでしょうね、あの強制っていう
いやーーーな響き・・・・
やらなくちゃが入ると、楽しいって
人は、思えなくなるのかな。
でも、脳は不思議。
こうやって書いていると
なんだ、書けるじゃんという
感じで、筆が(?)指が(?)進んでいく。
これって子供も同じで
「勉強しなさい」
「部屋を片づけなさい」
その強制で、やりたい!って
思える子供、いや、人間は
いないでしょうなあと思う。
でも、子供には強制させてもやらせなくて
いけない事も勿論多々あり・・・
そこが難しい。
で、その強制の中にちらりとほんの少しでも
親のエゴなんかが見えちゃうと
不思議なくらい子供はテコでも動かない。
よくある「あなたが心配だから」とか
「あなたの為に言っているのよ」とか的なセリフ。
その裏の裏に
「勉強している子供を見たい」
「キレイな部屋じゃないと自分が嫌」
こういう親の思惑あると、絶対動かない。
モットーじゃないけど、勉強しなさいは
多分、絶対言わないだろうなと思う。
というか自分振り返ると
言えるような立場でもないし(汗)
それに自分も言われた事はない。
簡単な話である。
義務教育終わったら、勉強するのが嫌なら
働くしかない。だって、高校は勉強する為に
通うところ。単位が取れないだの
勉強がやりたくないだのという
選択肢はない。大学も同じ事。
やりたくないなら、やらなくてもいいのでは。
だって親の為の勉強じゃないし
自分の為のものだしと思ってしまうけど
自分が超変わりもんかもしれんが・・・
それに別に自分、勉強している子供
見たいとかいう欲求もなし。
というような、ズラズラ変わりもん内容を
毎度子供には言っている。
働くか、勉強するか、その選択肢を選べと。
で、働くなら厳しいって事。
それも言っておく。
大体 勉強すら逃げている世間から
見たらスキルも何もない子供に
一体何の仕事があるというのか。
働くって絶対大変。大人でさえ。
自分の好きな詩人、相田みつをさんの書に
こんな言葉がある。
「のに」がつくと愚痴が出る。
時々読み返すのだ。
エゴが出てしまいそうな時には。。