設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
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無心

2006年03月02日 09時43分56秒 | 独り言
生きているイルカ、近くの漁港に搬送 千葉・九十九里浜 (朝日新聞) - goo ニュース

人というのは面白い二面性を持っている。

自分の利に一文にもならない事でも なぜか損得忘れ
遮二無二突き動かされるが如く 動き回る事も出来れば
どうしてそこまでと絶句するほど残忍で酷な事を平気でやる
時もある。

自分では残忍じゃないと思いながらも 例えば 人の
不幸を同情しながらも 少し喜んでいる本心があったり
動物愛護を訴えながらも 革や毛皮のカバンなりコートを
何とも思わず好きで購入したりする人もいる。

昨日 ふと昼間テレビをつけていたら千葉の海に
何十頭というイルカが打ち上げられ それを必死に
サーファーの人達が救っていた映像が流れていた。

天気は小雨。どう見ても凍えるような寒さである。
それでもサーファーの人達は皆 タオルをイルカに巻き付けたり
大きな巨体を何人かで力合わせ 沖に運ぼうと懸命に
救助していた。
確かにイルカ何十頭が このまま息絶えるのを傍観しているのは
辛い。なんとか助けてやりたい。
しかし それが実際の行動に出るか出ないか。
それは 人としてのほんの一握りの勇気と優しさに
かかっている。

自分の時間をイルカ救助に費やす。
しかも海に慣れている彼らでも 昨日の海の寒さは辛いだろう。
手が冷たい。足が凍える。
でもそんな感覚は身体動かし 救助をしている彼らには
むしろ感じてないのかもしれない。

ただ助けたい。この無心の気持ちが自分の酷なる条件を
打ち破っているのは確かである。

「ただ 何かしてあげたい」
「ただ 喜ばしたい」
この人としての誰にでもある一種の奉仕精神は
「ただ」という無心に支えられているのだ。そこには
これをやればこういう報酬を得られるとか 終われば
自分が有利になれるといった計算がない。
だから余計動けるのかもしれない。

いつの場面でも どこの場所でも皆がこの無心になれれば
いいのだが・・・・・

人はイルカを無償で救いあげる無心を持ちつつ ある一方では
遊びの為だけに無駄な「狩り」をしてみたり どうにかして
人が不幸にならないか 陥れる事は出来ないか そんな
恐ろしい薄汚なさも持っている。

なかなか生きている限り 自分の中で「無心」だけで
貫き通すのは難しいらしい。