先週に引き続きのニュース記事を抜粋して紹介です。
学会副理事長・西口良三氏はどうやって「常勝関西」をつくり上げたのか(産経デジタル)
「近隣に迷惑をかけるかもしれない」(学会関係者)との配慮で、葬儀はあくまで「家族・友人葬」という少人数形式で執り行われた。それでも、自公連立政権を支えてきた自民党の二階俊博総務会長、古賀誠元同党幹事長らが駆け付けた。通夜には関西選出の公明党現職やOBのほか、民主党の前原誠司元外相らの姿もあり、永田町とのパイプの深さを印象づけた。
(中略)
西口氏に近い学会幹部は「大きな選挙が始まると街頭演説に出かけていって、観衆の反応ひとつで『この選挙はいける』『いけない』と即座に読んだ」と述懐する。公明党や創価学会の支援を希望する候補者が党派を超え、西口氏に面会を求める様子は後に「西口詣で」、あるいは総関西長の役職を縮めて「総関詣で」といわれるほどにもなった。その判断は手堅く、池田氏が周辺に「西口君は名指揮を執ってきた」と漏らしたこともあったという。
普段の西口氏は物静かだが、世話好きで知られ、200組以上の仲人を務めた。就職や人生相談にも時間を惜しまなかった。
永田町では、小沢一郎氏との関係が有名だ。
小選挙区比例代表並立制が導入された平成8年の衆院選で、当時の新進党は大阪で旧公明党関係の候補を多数擁立、当選させた。西口氏が党首だった小沢氏と調整した結果だったとされている。大阪を中心とする関西で公明党が選挙区で当選できるのは、その時点で素地ができたといえる。
(中略)
通夜の席では、現在の関西長、山内洋一氏は「入院中の西口さんをお見舞いに行くと開口一番、各地の今の(選挙の)状況はどうかと問われていた」と話し、「勝利で応えることが何よりの恩返しだ」と勝利を誓った。
山内氏の代読による池田氏の弔辞も読み上げられた。
「西口君はわが盟友。幾多の激戦にあっても大関西の同志とともに勇み立ち、世界の同志が模範とする師弟勝利の不滅の金字塔を打ち立ててくれた。誉れ高き常勝の大英雄として、みなが、常に仰ぎ見るだろう」
一般の知名度はないに等しいでしょうが、創価・公明党の背景にこの人あり、といった感じで政治の世界ではそこそこ知られた人だったようですね。
だから創価って何の団体だって感じなんですけどw
病床にある宗教団体の幹部へのお見舞いに行って、選挙に勝つことが恩返しだと決意するような状況ってあります?
それが創価学会だと言えばそうなんですけど。
今日はあまり時間がなくて、記事の紹介がメインで終りたいと思います。
最後に、池田名誉会長の弔辞では「世界の同志が模範とする師弟勝利」だそうですよ。
「師弟不二」御書には出てこないし、日蓮さんは己を師と仰げといった言動はされていません。
誰が師で誰が弟子なのか。それを決めるのは自分自身です。
自らを「師」と定めそれが世界同志の模範とまで言い切る自己顕示欲の権化、まともな人間性を有しているとは思えません。どうぞお大事に。
来週の日曜はちょこっと忙しい予定です。ブログの更新はないと思いま~す。
桜ネタ満載の随筆なんですが ソメイヨシノの淵源に触れ 江戸末期の今の豊島区内にあった染井村の植木職人さんが『吉野桜』として生み出したのが有力な説で東京戸田記念講堂が立つ付近だとか。 だからどうした?(笑)
ソメイヨシノが全国に広がっていったように、名誉会長は幸福と平和の『創価桜』を日本中に広げゆくことを誓願し
「…私は日本のあの地この街に桜の木を植樹してきた。……」そうですわ。
今年も信濃町の総本部の「青年桜」や「華陽桜」が爛漫と咲いたそうです。
昔 松下幸之助さんと静岡で桜の植樹祭で語らったこと、文芸評論家の小林秀雄さんと桜並木を散策しながら語り合ったこと、創価学園や幼稚園の「桜まつり」や「学園桜」「わが子桜」「王子桜・王女桜」の話と続き
ゴルバチョフさんご夫妻と一緒に創価大学に桜を植樹した話、厚田村の桜の話など書いてありました。
あれれ~? 大事なあの桜をお忘れでは?
創価大学に植樹されている『周桜』について全く触れてませんよ。なぜ、なぜ、なぜ?(笑)
確か昨年の4月6日の【】周桜観桜会に名誉会長は出席されず、よりによって(笑)前日の5日に創価大学視察に行かれたんでした。
面白いことに今日の随筆の紙面に載ってる写真の1枚は、昨年4月5日の創価大学視察時に車の中から撮ったと思われる写真かと。
なぜならば写真の説明に(池田名誉会長撮影、2014年4月、八王子市内で)とありましたからね。
昨年4月5日に創価大学を視察したことは公にしていながら、その時撮った写真を1年後に載せるとは(笑)
たぶん近々、恒例の【周桜観桜会】が開催されるでしょう。
ひょっとして名誉会長は今年こそ参加するおつもりで、わざと随筆では『周桜』について触れなかったのかしら。
名誉会長がサプライズ登場したりして…なんてね(笑)
そうそう今日2日は創価大学の入学式でしたね。
もしかして創価学園の卒業式みたいに、閉会間際に名誉会長のナマ声中継があったりして?(笑)
アハハ 明日の聖教がちょっと楽しみですわ。
きのうに引き続きまた聖教ネタでございます。
残念ながら昨日の創価大学&短大の入学式で、創立者のナマ声中継はなかったようですよ(笑)
メッセージとは別に「真心の伝言」が贈られたんだとか。
「きょうは朝早くから、入学式を見守っているよ。 桜が満開で良かったね。 入学式、おめでとう! 留学生の皆さんも、ようこそ! 皆さんの成長を、世界中が見守り、祝福してくださっている。 本当におめでとう! 役員の皆さん、パイオニア吹奏楽団の皆さんも、ありがとう! 保護者の皆さまにも、心よりお祝い申し上げます」
へぇ~~ 名誉会長は朝早くから入学式を見守っていたんですか?どこで?(笑)
記事によるとウズベキスタンやナイロビや上海から多数の来賓がお見えになっていたそうです。
それなのに創立者が姿も現さず、声も聞かせずどこかで式を見守ってるよと言われてもね…(笑)
そうそうウズベキスタンの元文化・スポーツ大臣さんが祝辞を述べてますが 「池田博士」「博士」をナント22回も言ってます。
「創立者」と1回だけ言ってるんですが創価大学なんですから全部「創立者」でいいと思うんだけどなぁ。
同じ1面の左端に戸田2代会長の追善法要の記事がありました。
昨年の切り抜きがあったので読み比べてみました(笑)
いやはや、ほとんど同じ文面でした。
昨年同様
「池田名誉会長、また原田会長は、東京・新宿区の創価学会恩師記念会館で…」とありました。
確か昨年もこの「また」と言うのが、な~んか意味ありげ?な表現でコメントしたんでした。
普通なら「池田名誉会長と原田会長は各部の代表らと共に…」でいいんじゃないですかね。
また面白いことに1段目から4段目の1行目までの文が昨年と全く同じと言っていいくらい。
違うところは「各部の代表と」が今年は「各部の代表と共に」と「共に」が追加(笑)
「世界平和のために戦い抜いた恩師の崇高な生涯を偲んだ」が今年は
「広宣流布の大願を貫いた恩師の崇高な生涯を偲んだ」になってました。
あと「大誓願を継承し」が「大誓願を受け継ぎ」になっていたり
「世界広宣流布の新時代は厳然と開かれた」が
「世界広宣流布の大道は厳然と切り開かれたのである」とちょっと違うだけだったり。 手抜きか?(笑)
いつものパターンだと各種記念日勤行会は名誉会長は第2別館でやったとあり、別会場の原田会長ご一行さまの写真だけ載りますよね。
でもこの追善法要は、名誉会長と原田会長らが一緒に恩師記念会館でやったかのような記述だから写真も載せるに載せられず?(笑)
「池田名誉会長、また原田会長は…」の「また」がやっぱり引っかかりますわ(笑)
しばらく名誉会長ご夫妻の2ショット写真は見てませんねえ。
元旦付けの聖教に載った写真は、昨年11月に撮影したものだったし。
元旦号以降、名誉会長の近況写真は全く掲載なし。
次に予想されるのは5.3記念の2ショット写真でしょう。
きっとまた「東京・新宿区内で」撮った、焦点がイマイチ合わないような写真かも知れませんね(笑)
「また」との記述は、本当に意味深ですね。おそらく、何らかの意味を込めているのでしょう。
ちなみに、「名字の言」の中には、「池田名誉会長」という文言が一つも記されないものがあります。
「名字の言」の執筆者のイニシャルと、「池田名誉会長」の記載との相関を調べたら、面白いことが判明するのではないかと存じます。
もし可能であれば、このような観点から「名字の言」の分析結果をコメントでご紹介頂ければ幸いです。
今度の日曜日は、クロ様はお忙しいとのこと、くれぐれもご無理なさらないようにお願い申し上げます。
池田カルト一派との裁判で大変かと思いますが、体調に気をつけられ頑張ってください。
陰ながら応援しています。
聖教は突っ込みどころ満載なんですが、何年経っても記事内容がワンパターンなのでつい私のコメントも相も変わらず同じようなものになりがちで(笑)
今日の2面『新時代を駆ける』にこんな部分がありました。
「…戸田先生の祥月命日の2日、私は恩師記念会館で勤行・唱題し、追善の祈りを捧げた。……」
アハハ 例の
「池田名誉会長、また原田会長は、東京・新宿区の創価学会恩師記念……」の『また』に突っ込み入れたせいでしょうか
「私も2日にちゃんと追善祈念したぞ」アピールのように思えました(笑)
【創立者・池田名誉会長 創価大学を訪問】と言う見出しが目に入りました。
なになに… 名誉会長夫妻が9日午前、創価大学を訪問したんですって?
きのうの話なんですね。
車で『創大門』から『中央教育棟』へ。
創大の田代理事長と馬場学長と短大の石川学長と懇談したそうです。
そのあと「…創立者は『文学の池』や『周桜』などを視察し、居合わせた学生の代表に万感の励ましを送った」とか。
いやはや 2日の入学式には名誉会長の姿も声もなく、1週間後の9日にキャンパス視察ですか(笑)
「居合わせた学生の代表」さんを励ましている写真でも載せて欲しかったけど(笑)
そうそう 今回はきのう周桜を視察したんですね。もうほとんど葉桜だったのでは?
もしかして去年同様、観桜会の前日なんぞに視察してなんやかや言われたくないから今年はちょっと考えた?(笑)
それにしても周恩来さんとの深~い友情の証である記念桜なんでしょうにね。 どのみち9日に視察するんだったら5日の観桜会に出てもよかったでしょうに(笑)
きのう1面に名誉会長夫妻の視察記事が出たと思ったら、
今日は2面の【新時代を駆ける】に名誉会長が次のような文章を。
「武蔵野の春の光にあふれた東京・八王子の天地を、私は妻と共に訪れた(9日)。
大学のキャンパスでは、植樹から40年の年輪を刻んだ、日中友好を謳う『周桜』を仰ぎ見た。
向学の息吹に燃える新入生にもお会いした。若き皆さんの凛々しい心意気が頼もしかった。
…… 東京牧口記念会館では、日本と世界の全同志に、和楽あれ、ご多幸あれ、勝利輝けと祈念した。……」と。
きのうの記事に牧口記念会館で祈念した事は書いてなかったけど。
周桜を仰ぎ見たそうだけど、それならやはり5日の観桜会に出席なさればよかったのにとお節介ながら思いますわ~(笑)
それにしても9日の視察中に
「居合わせた学生の代表」に「万感の励ましを送った」という記事や
「向学の息吹に燃える新入生にもお会いした」
との名誉会長の文章からは、その学生たちと『会話』しているようなシーンが浮かばないのは私だけ?(笑)
最近のパターンは まず名誉会長の動向記事が載り、後日ご自身の文章や側近幹部の文章で当日の様子を更に詳しく…みたいなね。
なんだか「本当に行った。やった」と言い訳っぽくて(笑)
確か名誉会長、書いてましたね。
「皆さん方の題目のおかげで、私も妻も、ますます元気です」と。
その元気いっぱいの動く名誉会長、話す名誉会長を映像でチャチャッと見せるだけで「お元気なセンセイだ!」と全国の学会員が喜ぶでしょうに。
なぜやらないのかな?(笑)
ついついツッコミたくなる聖教なものですから(笑)
今日の1面は名誉会長の写真と詩が載っている【光の言葉 幸福の曲】でした。
写真の説明で
「…創価大学(東京・八王子市)の中央教育棟と満開の桜…」と言う箇所と、
「…創立者の池田名誉会長がカメラに収めた…」と言う箇所だけに目が止まりました。
おっ これは9日に名誉会長夫妻が創大視察した時のだ…と思いきや私の早とちりでした。
ナントナントよく見たら「…昨年4月5日、創立者の池田名誉会長がカメラに収めた。 それから1年ーーー名誉会長は今月9日、再び夫妻で桜花舞うキャンパスを訪れ…」とあるじゃないですか。
「昨年4月5日」???でしたわ(笑)
ほら、あの周桜観桜会の前日に視察したあれね(笑)
いやはや今月9日に訪れた創大視察の時の写真かと思ったら違ったんですねえ。
1年前の写真載せるなんて(笑)
もう1枚の写真も、2003年3月に名誉会長が創大で特別文化講座を行ってる写真ですよ。
12年前の写真載せるんなら、9日の視察中に創大生に会ったり励ましたりした1枚でも載せて欲しかったけど(笑)
あっ! それはこんど『1年後』の聖教に載せるんでしょうね。たぶん(笑)
今ごろ拠点では必死のぱっちでお題目をあげたり意味のない票読みをしたりしているのでしょうか・・・。
ミルフィーユさんのコメントを見てますと、
選挙の終盤、池田氏の記事でやる気が出るという学会員がまだまだたくさんいるということでしょうか。
師弟不二とか、もう気持ち悪さしかありません。
子供が小さかった頃、ぐずるからという口実で拠点近くの公園へ行った(逃げた)ことを思い出しています。
桜が咲いていたので市議選投票日だったのかな。
桜吹雪のなか、子供を抱いてブランコを揺らしながら
拠点に戻るのが嫌で、ずっと桜を見ながらこうしていたいと泣きそうになりました。
私の人生はどこでこんなことになってしまったんだろう、と虚しさがまた後ろめたくもあり憂鬱でした。
それでも、覚醒にいたらなかったところが怖いです。
ほんの少し客観的になれば
創価学会がどれ程異様なことをやっているのか気づけるのが選挙の時なんですけどね。
今夜は池上さんの番組がありますね。
バッサリ斬り込んでくださるのを期待して、観てみようと思います。
きっと聖教新聞社の方たちも、こんなに熟読してくれる読者がいてくれるとは思っていないでしょうw
知ったらきっと泣いちゃうんじゃないですかねw
創価大学、短大の入学式では声の珍入は無かったんですか~。それは残念。
きっと先の新聞を読んで新入生や保護者の方々は期待に胸を膨らませていたと思うんですがね。
やはりアンチ界隈でのツッコミに(精神的に)耐え切れなくなったか・・・。
どうでもいいですが、池田氏の「博士」呼ばわりは学歴詐称に引っかかりますよね。勝手に呼ばれる分にはいいのだという解釈でしょうが、海外のお偉いさん方の誤解を放置する姿勢には誰も疑問を抱かないのか?
評価を下げて誤解されるならまだしも、謙虚な日本人なら「いえいえ、博士と呼ばれる学位は持っていないんですよ」と言わないと!
でなければタダの「ニックネーム」になってしまいますよw
大勝利さんのブログで知ったのですが、名誉会長夫妻の創価大学訪問。
なにやら1面ではあるもののトップ記事ではなかったとのこと。
聖教のスタイルを考えれば、どう転んでも名誉会長の動向がトップになるだろうに妙なところで控えめにするということに違和感を感じておられました。
本当にねぇ・・・これだけ傑出した世界のリーダーとして宣揚している名誉会長で「〇〇称号を贈られた」というような記事は大々的にトップ記事にするくせに、何故本人の動向はイマイチ大きく扱えないのか。
そこに注目されると困る何かがあるのか、なーんてアンチならば勘ぐってしまいますよねぇ。
「博士」と誤解される分には言わせておく傲慢さがありながら、自分の行動は控えめに発表する謙虚さ。
この二面性や如何に!?
>「居合わせた学生の代表」に「万感の励ましを送った」という記事や
>「向学の息吹に燃える新入生にもお会いした」
>との名誉会長の文章からは、その学生たちと『会話』しているようなシーンが浮かばないのは私だけ?(笑)
さすがミルフィーユさん、鋭いですね。
言葉から想像する光景は、学生たちを見たっていう感じですね。双方向のやり取りの光景を感じられません。
「居合わせた学生の代表」に「万感の励ましを送った」と言っても、その学生の目の前でとは限らないですもんね~w
だから写真の一つでも載せろって言うんですよw
余計な猜疑を招くでしょ~。
12年前の写真はいいから!
しかし・・・一年ごとの繰り返しですね。
最近大勝利さんのブログで毎日の一面の触りを拝見していて何となく思ったのですが。
池田氏がまだお元気でそれこそリアルタイムの写真が使われていた頃から、今と同じような紙面づくりはあったのではないかと。
つまり、写真やら何処そこに訪れたということは本当でも、その中に今と同じく昔の動向や写真が織り交ぜられていたり、本当にやって(行って)もしないことを「やった(行った)」と記事にしていたのではないでしょうか。
今とは違い本当だと信じるに足る情報の中に織り交ぜられていたことで気付かれなかっただけで、手法としては昔からあったのではないかなーと。
名誉会長が表に出られなくなったことからの苦肉の策ではなく、常習化していた紙面作りなのだろうなと思います。
ミルフィーユさんがよくご指摘されるように、テイストが同じですしね。
一つの嘘がばれると、その後ろに積まれていた嘘も連鎖的にばれていく、みたいなことになるんではないかと思います。
そうなるように、きちんと情報の蓄積と多角的な分析を意識しないといけませんね。
ミルフィーユさんのコメントはそのためにも、とてもありがたく思っています!
ミルフィーユさんも仰っていますが、寒暖の差が激しい季節の変わり目、どうか体調にお気をつけて頑張って下さい。
聖教新聞には、創価学会の抱える矛盾や名誉会長の不都合な真実が凝縮されているような側面がありますね。
せっかくの会員M・Cツールなのに、皮肉なことです。
そもそもがその矛盾や不都合な真実をタテマエと虚飾で塗り替えて発信しているのですから、当然といえば当然なのでしょうが。
そういった客観的な目で見ると、この機関紙ほど愉快なまま不愉快になれるものはないのではないかと思います。
本当にいつになれば国民は選挙とその影響に潜む重要性に気がつくのか。
>私の人生はどこでこんなことになってしまったんだろう、と虚しさがまた後ろめたくもあり憂鬱でした。
お辛い思いをされていたんですね。
桜のキレイな時期に子供と公園にいて、そんな気持ちにならなければいけないなんて悲しいことです。
「こうあるべき」「こうあらねば」という意識が強ければ、自分の心に反することであっても「嫌なこと」だと認識できないことが多いと思います。
義務感というか、責任感というか、ですが。拒否するという選択肢が初めから存在していないのでしょうね。
カノンさんも、その意識が強かったことで覚醒には繋がらなかったのではないでしょうか。
「やめてもいいんだ」という道筋が発見されなければ、覚醒はしようがないことかもしれません。
「脱会」という選択肢がそもそもないかのようなM・Cはその為でしょうね。
私も選挙番組、観ようと思っています。
国政選挙とは違ってちょっとトーンダウンするかもしれませんが、池上さんの切り込みぶりを期待しています。