真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

汚い大人たち

2010-04-11 00:43:22 | 我が家の創価問題

ちょっと思い出したので昔話です。

私が子供の頃に「大人って汚いなぁ…」と思ったのは、もれなく学会員さんでした。

ある意味いい社会勉強というか、簡単に人を信用してはならないと教えてくれた、反面教師的な存在といえるでしょうが。

私が一番最初に「大人って…」と思ったのは、まだ小学校に入る前、うら若き(笑)幼稚園生の頃です。

私と弟は小さな頃、お留守番が苦手な子供でした。というのも、母親が子連れで買い物など行きたがらない人で、子供を置いて行きたいけど子供はついていきたがる…。で、子供が寝ている間や遊びに夢中になっている間に置き去りにして出て行く、ということがよくありました。

私と上の弟(下の弟はまだ生まれていない)は気付くと母親がいないわけで、ただでさえ嫌なお留守番で軽くパニクって玄関を飛び出して家の前でわんわん泣いていました(当時一戸建てに居住)。それがしょっちゅうで、今思えばいいご近所迷惑ですね…。

ある時、また気付くと母親がいなくて弟と二人、玄関前の路上で泣き倒します。そこへ小学生のお兄ちゃんが下校で通りかかりました。私たちはお互い顔を見て「アッ!」と思いました。

そのお兄ちゃんは、前日母親に連れて行かれた座談会で会ったお兄ちゃんだったからです。

この頃は母親が出席する座談会などに、弟ともどもよく連れて行かれていました。その小学生のお兄ちゃん(確か小6)も母親に連れられて来ていて、「子供同士こっちで遊んどき」みたいな感じで一緒にされたのです。

そのお兄ちゃんは私たちに近づき、「どうしたん?」と聞いてきました。私は「お母さんおれへんねん」と言うと、「ウチついといで」と言って私たちを自分の家に連れて行ってくれました。

私はお兄ちゃんの後ろについて歩く道中、とても安心したのを覚えています。なぜなら前日、このお兄ちゃんのお母さんがとても優しくて、私たちを「いい子やねー、賢いねー」と、とても褒めてくれたからです。「もしかしたらお母さんを探してくれるかも」とさえ淡い期待を抱いたほどでした(子供だからね…)。

しかし現実はそう上手くいきませんでした。

お兄ちゃんは家に着くと、まず私たちを玄関前で待たせて自分だけ家に入りました。そして暫くしてお兄ちゃんのお母さんが出てきました。

私はそのお母さんの顔を見た途端、それまでの嬉しさや安堵感が一気に引くのを感じました。それは昨日の座談会とは打って変わった、迷惑そうな、冷たい顔でした。

その人は開口一番「どこの子?」と聞きました。昨日の今日で、私は「知らないはずがないのに」とうろたえながら「〇〇(苗字)です…」と答えました。するとその人は聞こえなかったのか、「え?誰って?」と威圧的に聞き返してきます。子供だったから威圧的に見えただけかも知れませんが…。

私は再度、ハッキリと「〇〇!」と答えると、その人はあさっての方を見ながら「あぁ…〇〇さんとこの…」と言いました。私はこの瞬間、「この人は私たちを子供だと思って騙そうとしている」と悟りました。

「◇◇君(お兄ちゃんの名前)これから勉強やから、遊ばれへんの。おうち帰ってくれる?」

私は頷いて、弟と手を繋ぎまたわんわん泣きながら、お兄ちゃんに連れられて来た道をとぼとぼ帰りました。このお母さんの言っている事は全部ウソだと分かってました。

本当だったら悪いですが、◇◇君はどー見ても学校から帰ってすぐ勉強するタイプの子供ではなく、このお母さんは私たちを追い返したくて仕方なかったのが子供の目から見ても丸分かりでした。

いや、いいんです。突然顔見知りの子供が泣きながら家に来たからと言って、家に招き入れて面倒見ろとは思っていません。当時からそんなことはしてもらえると思ってませんでした。

が、ただ、前日に座談会でとっても優しくしてくれて、母親同士でとっても仲良さそうにしていたので、持ってはいけない期待を持ってしまったのです。そしてそれを、予想以上の態度で裏切られてしまったということです。

私はこの経験で、「大人は信用できない」と学びました。

どれだけ親しそうにして笑顔で接していても、知らないふりもすれば泣いている子供を追い返しもする。

そして母親と仲良しなのも、表面的な「ウソ」だと直感しました。だって本当に親しくて仲良しさんの子供なら、家に上げないまでもあんな態度取らないでしょう。

私はその後、座談会でこのお兄ちゃんのお母さんに会っても、決して近づくことはしませんでした。でもそんなことを知らない(言ってはいけないと思った)私の母親は、当然のように親しげに笑顔で会話します。

向こうのお母さんも、私のことなど目に入らないように、母親とは「親友か!」とツッコミたくなるような仲良しぶりで接します。これを見て、私はまた「大人って汚な~…」と思ったものです。

これだけだったなら、これはたまたまこの人がそういう人だった、として済ませられる話かもしれません。

しかし小学生で私は引っ越して転校し、新たな地域で出会う母親の周りの学会員さんというのが、これがまた良く似た人たちばかりだったのです。

小学生1~2年生になる頃には、逆に慣れてお留守番が得意な子供になっていました。むしろ親なんて留守の方がいい、くらいの(笑)。

ですから状況はまた違うのですが、婦人部の学会員さんに共通するのが「大人(親)がいる前」と「相手が子供だけ」の時でまったく態度が違うということです。まぁ、ウチの母親が人望のあるような人じゃないというのも手伝っているでしょう。

子供の親が一緒にいるときは、まるで褒めなくてはいけない掟でもあるかのように子供を褒めて優しく親しげに接してきます。しかし、ひとたび親の目が離れれば「この子ダレ?」みたいに冷たく態度を豹変させたり、子供だから分からないと思ってか、平然とその子供の親の悪口(軽いグチ程度ですが)を言ったりします。

当時は学会員さんと一般人とで違いがあるなどと思っていませんから、「大人」でひとくくりにして「大人って…」という風に、大変冷めた感情を育ててくれる場でした。座談会。

こうして学会のことを調べた今、思い返せば母親と親しげに接していた婦人部の方たちは、母親の顔に「学会員」というレッテルを貼って接していたのでしょう。

そのレッテルを貼っていれば、どんなにお友達になれそうにないタイプの人でも「特別優遇」してもらえるという、ありがたーい魔法のレッテル。注意書きには、「必ずしも本当のお友達にはなれません」とどこかに小さく書かれていることでしょう。

そういえば置き去りにされて泣いている私を保護してくれた人が一人いました。その人は学会とは関係のない「こわもて」のオッチャンでした(隣の空き地の管理会社の人だと思う)。

ただプレハブの事務所でテレビ観せてくれただけでしたが、このオッチャンの時は「大人って見た目じゃ分からない」と勉強させてくれたものです(笑)。


15 コメント

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こんにちは。 (ねま)
2010-04-11 07:58:16
こんにちは。
印象的なエピソードですね。

私の場合は、
会合で学会大人と一緒になることはあっても、
それ以外で関わることが無かったので、
「向こうのお母さん」みたいな経験がなかったな。

今回の記事のなかで、私的ポイントとしては、
学会に関わる大人は、態度が演技的だったってこと。
学会コミュニティの友好という、フィクションを
維持しないといけないみたいな。

「こわもてのオッチャン」の方は、
友好ムードのムリな演出は、なかったんだろうと思う。
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ねまさんへ (クロ)
2010-04-11 15:37:27
ねまさんへ

こんにちは。コメントありがとうございます。

印象的ですねー。これは私にとって、初めて人間の裏の顔を見た瞬間の出来事でした。
「裏切られた」という感覚が強かったですね…。

>学会コミュニティの友好という、フィクションを
>維持しないといけないみたいな。

これこれ、よく分かります。
人間が三人集まれば派閥ができると言われるくらいなのだから、無理して「みんな仲良し」ゴッコしなくてもいいのにね…。
少なくとも子供の目から「無理」が透けて見えるようなら、繕わないほうがいいと思いますけど。それをしないのが「学会」ともいえるかもしれませんが。

「こわもて」のオッチャンは顔が元からコワかったので(失礼)、迷惑そうなのかどうかも分かりませんでした(笑)。
でも一緒にいてくれただけで安心感を得られ、感謝の気持ちが子供心にありました。
ほんと、それだけで良かったんですよね。
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こんばんは (タイガ)
2010-04-12 21:52:44
こんばんは


私も鍵っ子でした、1人で留守番が多かったです。


おかげで現在でも1人でいるのが全く苦になりません。

良いのか悪いのかわかりませんが。
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タイガさんへ (クロ)
2010-04-12 22:44:10
タイガさんへ

こんばんは。

鍵っ子は良くも悪くも、一人が苦にならない人間に育ちやすいですね。
かく言う私も一人大好き(笑)。
出不精も手伝って、必要がなければ何日でも靴を履かない生活ができます。
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昔、アメリカのニューイングランドの精神病院で掃... (kan)
2010-04-15 11:33:45
昔、アメリカのニューイングランドの精神病院で掃除婦として働いてるおばさんがいました。
彼女の担当する地下には、「緊張型分裂症」という難病にかかった10歳の少女がいました。

何にも反応をしめさず、ただ暗い地下室のベットにうずくまっているだけ…。
少女は、回復不可能とされていました。
世界から見放され、一言も話さず、胎児のように丸まったまま動こうとはしなかったのです。
とても可愛いらしい少女だったのですが、いまや日々痩せ衰えていくばかり・・・・。


彼女は毎日、少女の個室のまわりを掃除にやってきました。
そして、食事をドアの下のわずかな隙間から、ホウキの(えで押し入れる役目もありました。

彼女にも歳の近い娘がいるので、少女を不憫に思うのですが、何もしてあげることができません。
そこで彼女は食事を押し入れた時、ホウキのえで少女を優しく・そっとつついてあげました。

「ねえ、あなたは一人じゃないんだよ。
 少なくとも、ここに気にかけてる人間がいるんだよ」
という気持ちを伝えるためです。

毎日毎日、彼女はそうしました。
そのうち、少女は自ら食事を取りに来るようになりました。
さらに、彼女とお喋りまでするようになり・奇跡的な回復ぶりをみせたのです。
病院中が驚き、大騒ぎになりました。


それからしばらくして、その病院の院長を一人の紳士がたずねました。
紳士には極度の障害がある幼い女の子がいました。
その女の子の世話をしてくれる人を探していたのです。

奇跡的な回復をみせた少女は、その時二十歳になっていました。
院長は彼女を紳士に紹介しました。

彼女の名は・・・・・・・


「アニー・サリバン」


そう、サリバン先生です。
そして極度の障害児は、奇跡の偉人・ヘレン・ケラー!!


そのヘレン・ケラーを育てたのは、アニー・サリバンです。
では、そのアニー・サリバンをつくりだしたのは、何なのでしょうか?

病院の地下室で、うずくまり死を待つだけの少女・・・
何が少女を大きく変えたのでしょうか?

それは名もないおばさんの、ホウキの先に込めた、ちっちゃな愛。
もし、そのおばさんがいなかったら・・・・・・


ボクたちは、日々いろんな人達と出会っています。
些細な言動が、どれほど大きく影響していくのか・・・・
ささやかな行為や態度が、どれほど大きくなっていくのか・・・・

特定の宗教など関係ありません。
愛と優しさのある人でいたいものですね^^。
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仕事の事務処理で、よくPCを使ってます。 (kan)
2010-04-15 22:33:58
仕事の事務処理で、よくPCを使ってます。
その事務処理の合い間にコメントさせて戴いたので、誤字があります^^;。

気になさらないで下さいね。

人は本来、愛と光でできてると思います。
なので、本来の自分らしさで生きれば、その中に「愛」・「優しさ」・「思いやり」・・・等々、自然な振る舞いでキラッと光るモノはあると思います。

もっともらしい幼稚な理由をつけて、時間やお金を搾取する宗教などに触れないほうがいい。
それは本来の自分らしさを・自分らしいキラメキを消してしまう愚かな行為だと思います。
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kanさんへ (クロ)
2010-04-17 00:13:28
kanさんへ

な、なんといいお話…。
ヘレン・ケラーの物語は有名で知っていても、このサリバン先生の生い立ちについてはあまり知られていないのではないでしょうか。
サリバン先生はヘレン・ケラーに「water」という単語を最初にとても根気強く教えた話が印象にあります。
何度も水に触らせ、手のひらに文字を指で書いて教えていく作業。三重苦の障害を持つヘレン・ケラーにこのことを理解させるのに、どれほどの根気が必要だったことか。
この根気強さ、それはサリバン先生が、病院の中で自身の経験に基づいて得たものだったのかもしれませんね。

日々接する人々、情報、環境…。たとえ些細なことでも、人によっては大きな影響になることもあります。
記事にした学会員さんの記憶は、本当に私の出会った「最初の裏切り」で大人に対する不信感を植え付けてくれたものでした。
でも学会員さんは幼稚園児相手、何も分からないと思ってのことだったのでしょう。
そしてよもや、まさか、二十年以上月日が流れた後まで覚えていられるとは夢にも思わなかったでしょう。
フフフ…、私って執念深い(笑)。印象強かったのもあるんですけどね。

私はとても幼い頃からの記憶がわりと鮮明に残っていて、大人が私を子供と侮って誤魔化したり嘘ついたりしていることをよく見抜いていました。
子供らしさがない、とよく言われたものです。
でも私をそうしたのは、やっぱりだらしない両親の影響でして。反面教師的な。
子供ながらに親を情けなく思い、長子でもあって「しっかりせねば」という意識がどこかにあったのです。

話が少し逸れました。
kanさんが仰るように、愛と優しさで接するということは、とても喜びに満ち溢れた人生をもたらしてくれます。
にゃんこを飼い始めて、それがとてもよく分かりました。
にゃんこはこちらの愛情を、そのまま愛情で返してくれます。
人間のように考えすぎて歪んだり、捉え違えたりしない。照れもない。ストレートに返ってきます。
そのように分かりやすく愛情のやり取りを教えられ、私は他の全てのものにも思いやりを持つことが大切だと気付くことができました。
そのためには、やっぱり自分を愛し幸せの余裕を持たなければならないと思うのです。
創価学会って「余裕」、ないですよね…。
戦い抜いて、勝ちまくりましょう。勝っても勝っても、その後はまた戦い。
ギスギスです。

誤字脱字の件はお気になさらず。私もよくやっていることでしょう。
他のコメンターの方も、これからはもしこっそり直して欲しい間違いを見つけたら、ナイショでコメ下されば対処します。
できれば、私の記事にもそういった誤字など発見されたらお教えくだされば幸いです。
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サラさんへ (クロ)
2010-05-29 22:10:25
サラさんへ

はじめまして。コメントありがとうございます。

女子部時代、大変な思いをされていたんですね。
「同志」とまで呼び合って仲間意識が大変強いのに、なぜにこうも組織内でのイジワルが横行するのでしょう。
勿論すべての人に当てはまるわけではありませんし、人格者の方も多いでしょうが、こういう問題の発生率が高いように感じます。


>でも何と言うか学会の婦人部ってそういう人多いんですよね。二面性と言うか、陰では悪口ばっかり言ってるのに、会合では人の為、世界の為とか。(笑)

私もそう思います!
私の家は引越しが多く、学会内でもちょっと珍しいくらい多くの地域を渡り歩いてきた学会家庭ではないでしょうか。
そして所変われど中身が変わらずで、出会う婦人部の方、ひと癖ある方が必ずいました。
たぶん私が子供であったので、うっかり本性を垣間見せてしまったのでしょうが、意外に子供ってよく見ていますし、ちゃんとワケが分かっていますからね。
ですから私は、あまり接する機会はないですが子供相手に子ども扱いはせず、対等なつもりで話すように心がけています。
たまに大人気ないです(笑)。


>正義、正義って叫ぶならまず自分が人格磨いて素晴らしいなぁって思う人になってよ、おばさん!って感じかな。

外部の人間のツッコミはまさにこういった感じでしょう。
そもそも、自分で「正義」を振りかざす人間ほど信用ならないものはありません。と私は思います。
黙して行動で示す人の方が、よっぽど尊敬できるんですけどね。
私ならそうなりたいとも思うし。
「正義」と「悪」で語れるほど世界は単純ではありません。
その中で「正義」を叫ぶことが、如何に危険で無責任であるか。
またそこが「無自覚」であることが、手に負えないんですよね…。
少なくとも簡単に口にしていい言葉ではないと、私は思います。


>もっと自然に、愛情豊かに思いやりや感謝の心を大切にしながら、生きることって素晴らしい。って感じられるような生き方したいです。

こう仰られている時点で、サラさんは愛情も思いやりも感謝の心もお持ちですね。
生きることが素晴らしい。
サラさんの暖かな心に触れた周りの人、動植物も、命なき物も、きっと同じように暖かな心をサラさんに返してくれるでしょう。
どうか暖かい心を受け取るご自分を、愛してあげてください。
そういったやり取りの中、きっと自然に感じられることでしょう。
生きることって素晴らしい、と。
もう周りにあるかもしれませんね。小さな愛情、気づいて見つける幸せ、きっとたくさん転がっています。

少なくともこのようにコメントを書いてくれて、私は嬉しくてサラさんに感謝しています。
どうぞこれからも、よろしくお願いします。
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記事を読ませて頂いて本当に共感しています。現在... (心こそ)
2013-03-23 16:11:06
記事を読ませて頂いて本当に共感しています。現在、男子部ですが気の合わない人と
人間関係に疲れてしまい現在は未活です。
初めは苦手な人だけど絶対に共に成長して
いきたい、組織のみんなで幸せを築いていきたいと祈っていましたが仲は良くなるどころかさらに追い打ちをかけるかのように男子部本部長からの圧力や威圧もあり大変でした。
そんな中、私の祖母が他界、私には母親が居らず本当母親変わりだったのでショックで落ち込んでいました。しかし、気の会わない人からは「いつまで落ち込んでるんですか」見たいな事を言われ本部長からも慰めの言葉もありませんでした。しかし、私はその後も活動を続け、人材輩出の闘いの時に気の会わない人と本部長と大喧嘩!それまで威圧的に接せられた思い自分が本当に組織のメンバーと幸せを築いていきたかった思いを訴えた時に「先生に手紙書け!俺も先輩からはそうされてきたし、俺に言い聞かせる思いでお前にも言った!」とのこと。これを聞いたとき心から疲れました。幹部にも指導を受けたところ「そんなん間違ってるわ」と初めは言ってましたが上の幹部は「そんなんでも結果出してるやないか!そら付け上がるのは当然や!」と怒られました。結果がすべてなんでしょうね。もう一年ほど出てません。

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クロさんこんにちは。いつもブログ拝見してます。... (北斗七星)
2013-03-23 20:49:16
クロさんこんにちは。いつもブログ拝見してます。とても優しさを感じて心が癒されます。
私は非活になって満3年が過ぎました。未だに学会に対する怒りは消えませんが、自分なりの人生を築きなおそうと思うこの頃です。
きょうはkanさんのコメントに感動して思い切って投稿させていただきました。
この世に本当の宗教者がいるとすればアニーサリバン先生のような人かなーと思いました。欧米ではカルト宗教には厳しく対処してる見たいですが、日本では政治家、政党が学会票を当てにしているようでは国民のための政治は程遠いようですね。
最後に、『心こそ』さんのコメントにかつての自分を思い出し、うんざりしました。
「先生に手紙書け!俺も先輩からはそうされてきたし、俺に言い聞かせる思いでお前にも言った!」とのこと。これを聞いたとき心から疲れました。
『こころこそ』さんも嫌な思いをさせられたのですね・・・。
人間として生まれた以上はもっと優しさとゆとりを持って生きて行きたいと思いますね。

取り留めのないコメントで失礼しました。
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