真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

池田大作の品格PART2 ~はじめに

2010-01-31 01:46:31 | 創価本の紹介

ようやく「池田大作の品格PART2 ―創価テロリズムを許すな― 」のご紹介です。

でも本編は次回から(汗)。

「はじめに」を読んで

著者・小多仁氏は前作の反響で、「池田創価学会については、信仰に関係している人たちだけでなく、社会のあらゆる分野の人たちがかなり密接に関わっており、学会員と接する際にいろいろな感情的摩擦を経験している」ことを知ることができた、と書いています。

その感情的摩擦とは、学会員が持つ一種独特な価値観と集団の持つ圧力に、「辟易している感情」「ストレスが溜まる不快感」を一様に抱いていることであった。続編のサブタイトルを―創価テロリズムを許すな―にした理由は、池田創価学会がこのままの姿で社会の中で暗躍していくならば、一般人や批判者との「感情的摩擦」が益々、激化していき、暗い市民社会の現出すらありうるという、警告・告発の書である。

この感情的摩擦は社会の中にあることは当然だが、社会のルールを無視してまで自分達の目的を達成しようとする姿勢が問題なのだ、とあります。

そのルールを破るとはいかなることか。被害の状況の一例がまたすごい。

「批判したら地獄に落ちると言われた」

「尾行や無言電話攻撃を受けた」

「近所に無い噂を立てられた」

「暴力を振るわれた」

「創価学会に盾突いたら反撃が怖い」

「何をされるか不安だ」

「集団で圧力をかけてきた」

「警察もグルのようだ」

「裁判が偏向。学会寄りだ」等々。

どれを取っても、宗教団体のことを言っているとは思えない状況です。これが日本最大の宗教団体の姿ですって。

そしてサブタイトルにある「テロリズム」。

これは池田氏が「日本制覇の野望」を達成すべく、権力を求道する「政治集団」へと変貌したことについての警鐘です。

一般の方々も同様の解釈を持っているかと思いますが、創価学会は宗教団体というよりは「選挙屋」「=公明党」というイメージです。

「金」「票」「情報」を手にし、池田氏の目的である「日本制覇」のために日夜活動する…。

池田氏の「偉人化計画」も「世界からの称号」も「池田神格化路線」も、この「日本制覇の野望」達成のためのアクセサリーである、と小多仁氏は表現しています。

そして一宗教団体がここまで肥大化した責任は日本社会、とりわけオピニオンリーダーの責任は非常に重い、と。

これは相手が相手なのと、日本人の気質が合わさってここまで放置されてしまったんだと思いますね。しかしこれほどまでに社会に影響を与えるようになった集団が、「宗教」の影に隠れてやりたい放題では、許されるはずはありません。

「宗教」を声高に掲げれば掲げるほど、それは「宗教」を振りかざして悪用していると言っているようなものです。

最後に池田氏のXデー後について。

「池田イズム」は、予想以上に、この社会の隅々までウイルスの増殖菌のように深く静かに侵食しているからである。池田大作が死んでも、一度マインドコントロールの呪縛に合った人間は、簡単に解放されないため、「池田イズム」を己が使命として邁進する人生を選択するのである。

~中略~

「しまった」と気がついた時には、もう手遅れであることを知るべきなのだ。池田大作が言っているではないか、「奴等が、しまったと言うときには、こちらのものだ」と。

私は学会員さんは騙されている、利用されていると思うのと同時に、それを自ら選んでいるのだとも思っています。

騙されているなどとは夢にも思わず信仰だと信じている。恐らく多くの学会員さんはこれに当てはまると思いますが、これは「信仰している」という「免罪符」が欲しい一面があると思います。

「信仰者」はそれをしていない人よりも上だと思っているのでしょう。よく聖教新聞にも「宗教は哲学だ。哲学の無い人間は劣っている」というようなフレーズが飛び交っています。

現世利益を謳ってはいますが、学会に入ったからと言って利益が降ってくるわけではありませんのでね。多くは精神的優越感と、まるでボランティアに従事して「私、善い事したな~♪」と自己満足しているような感覚があるのではないでしょうか。実際もっと激しい印象ですが。

そして一回そのように感じてしまえば、自分自身でその感覚を覆すことはかなりの苦痛と勇気を伴うことでしょう。

もう一方は利用されているのを分かりつつ、学会のくれる甘い蜜(優越感など)から離れられなくなった人。

これは上層部に多そうですね。職員とか、一部の幹部とかでしょうか。池田氏の周りの人間はこのような方が多そうです。

前作にも書かれていましたが、池田氏という王様の周りにはべるという優越感は、多くの学会員たちを足元に置き、なんとも得がたいものであるようです。

また、学会職員はとてもオイシイお仕事のようですから、割り切っている人もいるかもしれませんね。

こう書いてみると、学会員でいることを選ぶ人は麻薬中毒の症状にも似ていますね。前者は麻薬を「良い薬」と思い、後者は「悪い薬」と分かってる…みたいな。

「麻薬」は、一度手を出してしまうと二度とやめられない薬です。麻薬から足を洗うということは一生「やめ続け」なければならないのです。一生、禁断症状・誘惑と戦い続けなければならないのです。

難しい問題です。もし社会で創価学会への糾弾の声が大きくなり、私たちの望むように色々な闇の部分が暴露されていたとして。または池田氏が天に召されたとして。

学会員さんたちは、自分達がどうなっていくかの予想はついていないのでしょうね。

私にもつきませんけど。

次回から本編の読書感想文です。まえがきなのに長くなっちゃった。


4 コメント

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>池田氏の目的である「日本制覇」 (kan)
2010-01-31 22:10:38
>池田氏の目的である「日本制覇」

これは昔から陰では言われてましたね。
活動家だった頃、何度か耳にしたことがあります。

その時は、そんなバカな!と一笑してましたが、私自身も広宣流布を願い
多くの学会員の増加を願っていたのは事実です。
それが民衆の平和と幸せの道だと信じてました。

「日本制覇」とは何とも大袈裟な言葉に聞えますが、池田氏は狙っていたと思います。
なので、あらゆる階層に会員を張り巡らせ、全てを優位に運ぶ手を着々と打ってきた・・・・そう思います。

でも一度MCにかかっても、気がつく人は増えています。
私もそうです。

おかしい?異常だ?
創価を見れば、こういう普通の疑問は誰でも起きます。
外部はもちろん、内部の人達もそう思う人が増えています。

現実に創価は衰退してます。
これだけの大組織ですから、簡単に崩壊などないでしょうが、今後益々衰退は静かに進むでしょうし、発展どころか・現状維持もありえないと思います。

ネット社会の情報開示も大きなキーになってる気がします。
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kanさんへ (クロ)
2010-01-31 22:33:52
kanさんへ

私も創価学会の異常性は着実に世の知れるところとなっていると思います。
ネットの存在も大きいです。私もそれで知った一人ですからね。

MCは暗示に要した時間と同等の時間が解放には必要だといわれていますね。
kanさんのように気付いて、そして自分の心を見つめなおした人でさえ、創価学会のことを忘れられる日は遠いものだと思います。

それまでずっと「やめ続けなければならない」苦痛はタチの悪い薬と同じだと思います。
もちろん完全に忘れるのではなく、過去の失敗として反省して、成長の踏み台にすることも努力次第で充分ありうることです。そのあたりも薬と同じです。

池田氏の「日本制覇」は、矢野氏の著書「私の愛した池田大作」のおわりに、「水滸会記録」という文献でも紹介されています。
これについてはまた後々詳しく記事にしたいと思っていますが、昭和二十七年に戸田会長の元結成された「秘密組織」であり、そこで今ある創価・公明の軌跡がすでに語られていたとあります。
この執念深さ、「日本制覇」は本気なのでしょうね。
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クロさん (タイガ)
2010-02-01 21:37:32
クロさん
kan兄さん


こんばんは、全く創価の実態を知るにつけ呆れるというか、空いたクチがふさがらないというか‥。

これはある程度の割合の学会員にも言えることと思いますが、私も含めただ「病気や悩みを改善したい」とか「幸福になりたい」とか、なかには「人間的に成長したい」などのそれほど不純ではない動機のもとに発心して「信仰=学会活動」と植え付けられ、組織に付かない信仰は信仰ではないと思わされ‥組織でやっていることは政治活動・新聞拡張維持・教祖の宣揚etc‥

それらが信仰であると信じ込まされ、現実の人生の問題に向き合う時間も奪われ‥。

会員で創価に疑問を持った方は少なからず「こんなはずじゃなかった」「こんなことをするために信仰した訳じゃない」「何かがおかしい」などと思っていると思います。

創価の実態を知ればそれもそのはず、池田創価は会員のことなど省みませんから、会員が疲弊して疑問を持つのは当然の流れでしょう。

くだらぬ野望の為にどれだけ多くの人の尊い人生を捧げさせたのでしょう?
本来あるべき普通の生活を奪い、身を粉にさせ、お金・時間労力を奪い、それがすべて三世に渡る崩れえぬ福運になるとうそぶき、それが末代まで続くとのたまいます。

自らの腐った理想郷建設のために多くの人をだまし、一体どれだけの罪を重ねれば気が済むのか?

「広宣流布は完成した」正本堂が完成したときに池田がそう言ったそうです、これは創価に敵対する組織の方から聞かされました。

広宣流布の暁、公明党が政権に入り10年以上すぎて現在のような世の中が実現しました、団塊ジュニアの年収はこの10年で200万さがったそうです、夢や希望が見いだしにくい世の中です、10年も創価思想根本に政権運営をしてきた公明党には責任があるでしょうね、もっとも反省されているようには全く見えませんが。

私が去年学会員から聞いた言葉です「公明党のおかげで世の中が良くなっている」
一体どこに目をつけているのでしょうか?頭は大丈夫なのか?と言いたかったです。

あの組織のなかにいると、ここまで現実が直視できなくなるのです、自分の素直な感性に嘘をつき生きるようになります、あるがままの実態を認めなくなります。
御大が「カラスは白いんだ!いいね!」と言えば「ハイ!」と言うのが純粋な学会員です。
例えば池田書写の本尊でも拝めるようでなければ純粋な学会員とは言えません。 失礼しました。
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タイガさんへ (クロ)
2010-02-02 22:58:43
タイガさんへ

宗教へハマる心理というのは、切羽詰った状況というのもあるのでしょうが、やっぱり何かを強く信じてそこに心を預けて安定を得たいという、人間の弱さを突いたものなんでしょうかね…。

純粋な学会員さんというものは、よく北の将軍様を仰いで涙を流すお隣の国の人たちに似ていると言われます。
私もそっくりだと思います。
では彼ら、強い精神を持った人に見えるかといえば、おそらくほとんどの日本人はNOと判断するでしょう。
過酷な訓練に耐え、身を削る献身でトップに忠誠を誓う人間なのに、です。
自分の意思を持たず考えることのない人間は、幸せかどうかは別にして「弱い心」の人なのだと思います。

ねまさんがよく仰ってますが、そうして自分で考えない生き方は「安心でラクチン」なんですね。
だからますます「弱い心」が育ち、そこから出られなくなってしまう。
それだけが原因ではないにしても、悪循環です。

現実の状況が見えていないと思われる人たちも、「認知的不協和」の理論で現実の実像を歪めてしまっているのでしょうね。
そうしないと自分にとって都合が悪くなっちゃうから…。
現実を認めるのも「強さ」なんですけどね。

池田氏の「広宣流布は完成した」とは、日蓮さんも成し得なかったことを自分が達成した、と主張したものですね。
そりゃー破門されるわ、って感じです。
正宗のトップを跳び越して「日蓮大聖人」の上まで行っちゃったんですからね。
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