シルバーウィークは皆さん、いかが過ごされたでしょうか?
私は両親が法事で田舎に行っていたので、実家と自宅を行き来してにゃんころりんたちの世話などをしていました。
分かっていたことなんですがねー、実家があまりにも汚かったので、私が散らかしたわけじゃないのに…と思いつつ、掃除などはじめちゃったわけです。
すると棚の上に無造作にコピー用紙が置いてありました。
そこで見つけたものは、総選挙後に色々な他のブログさんでも話題に上った「負けるが勝ち」のありがた~い名誉会長のご伝言だったのです。
私は「コレか!まさかウチにもあるとは!」とちょっと驚き、いいブログネタだとちょっと喜んだりして書き写してきました。
ウチにあったのはどっかからFAXされたものをコピーして配られたもののようで、幹部(?)のコメントも添えてありました。
では池田先生からのご伝言から抜粋。
~学会を護るため、広宣流布を進めるために、大きい意味があるんだ。
~「負けるが勝ち」だ。
~先は長い。意味がある。
オイオイ、公明党の選挙の結果と「学会を護るため、広宣流布を進めるため」は一体何の関係があるんですか?
政教分離を宣言したんじゃなかったんですか。
そしてまだまだ続ける気なんですね…(汗)。
負けるが勝ち、と言うのなら、最初から勝利を目指さなければよろしい。
そもそも最初から土俵に上がらなければいい。全力で一生懸命取り組んでいる相手の候補者に失礼ですし、投票を呼びかけた有権者をバカにしているんですか?
同じことは高校野球(創価高校)でも言われたようで、スポーツマンシップを何だと思っているんでしょうね。
負けることに意味があるのは、そこに意味を見いだそうとして初めて言える事であり、後からついてくる事です。負けたことを「反省」して負けた自分を超えていかなくてはならない。そのためには、まず「負けた事実」を受け入れなくてはならないのです。
「負けるが勝ち」と言って現実から目を逸らし、都合のいい解釈をしていては、ただの負け惜しみでしょう。
まぁ、と言うよりも、結果がついてこなかった時の常套句なのですね。改めて知りましたが。
では2009年8月号の大白蓮華より池田氏の言葉を抜粋して紹介しましょう。
「団結」は常勝の秘術なり 池田大作
~略~
旧・関西本部の懐かしき管理者ご夫妻の叫びが思い起こされる。
「皆が仲よう団結できるんも、信心の大確信が湧くんも、師弟の絆のおかげです。この原点があるかぎり、嵐がくるゆうても、荒波がくるゆうても、常勝関西は永遠に負けしまへんで!」
~略~
地涌の菩薩の本領は、総立ちして一気に躍り出る大攻勢である。
創価の誉れの友は、日本全国、そして全世界、呼吸を合わせ、祈りを合わせ、同心の連帯で一段と勢いよく前進している。
「団結」の力が「まさか」を実現する。さあ、「異体同心」の旗高らかに、共々に栄光の創立八十周年へ、明朗な快進撃を!
偉大なる
創価のスクラム
組み直し
正義の勝利を
天下に示せや
負けて勝つ気なんかサラサラなかったようです。ある意味「まさか!」でしたでしょうが。
管理者ご夫妻は「皆が仲よう団結できるんも、信心の大確信が湧くんも、師弟の絆のおかげ」と言っています。で、その師匠先生の言葉は「『団結』の力が『まさか』を実現する」。
ざこばさんは「信心が足らなかった?(名言!)」と仰いましたが、足らなかったのは「師匠の絆」だったんでしょうかねー。
それに「信心の大確信」も師弟の絆のおかげらしい…。信仰の前提に師匠との絆…。
池田教と呼ばれる理由がよく分かります。
この「師弟不二」路線はどこまで行くのでしょうね?
以前にも銀魂を紹介したときに書きましたが、自ら師匠を名乗るものではありませんよ。
ましてや「私が師匠」などと押し付ける輩にロクな人はいません。
師は弟子のためにあるのです。師のために弟子があるのではありません。
師匠を誰にするかはそりゃー個人の自由ですが、独自の師弟観を持ち出して他人に押し付けるのは如何なものか…。←は創価の組織のことを言っているんですよ。
学会員さん個人が勝手に池田氏を師匠にするのは自由ですが、池田氏本人がトップに立つ組織が、たとえ自分とこの会員だからと言って勝手に作った師弟観を押し付けるのは激しく疑問です。
個人が池田氏を師匠にするのは自由です。まあたぶん、学会員さんは「自分で考え選んでいる」とお思いでしょうから、せめて師匠のことをもっと色々調べてみた方がいいんじゃないでしょうかね?
今はインターネットで、とても簡単にたくさんの情報を得ることができます。
私の母親にWikipedia(フリー百科事典・ウィキペディア)の「池田大作」の項目を見せてやったら驚いてましたよ~。
皆さんも「池田大作」と検索してみましょう。きっと世界が広がりますよ!
クロさん禁断のFAXを見つけてしまいましたね~!みーたーなー!(暴走)
‥取り乱しましたが、私も詳細を知らなかったのでありがたいです。
また大白までも取り上げていただきありがとうございます。
では突っ込んでまいりましょうかー
〉~学会を護るため、広宣流布を進めるために、大きい意味があるんだ。
先生様、具体的にお願いします、大きな意味とはどのような意味でしょうか?
またどのくらいの大きさでしょうか?
〉~先は長い。意味がある
うん?先生様の生い先はあなたが思っているよりも全然短いと思いますが?
で、今回負けたのはどのような意味がおありか?
大白にも突っ込みましょ
〉「皆が仲よう団結できるんも、信心の大確信が湧くんも、師弟の絆のおかげです。この原点があるかぎり、嵐がくるゆうても、荒波がくるゆうても、常勝関西は永遠に負けしまへんで!」
なるほどね~永遠に負けないんだ~でも負けたよね~(はるな愛風)
負けたのも師弟の絆?とか言うよね~(はるな愛風2)
〉地涌の菩薩の本領は、総立ちして一気に躍り出る大攻勢である。
へえ~総立ちね~1人じゃダメなんだぁ~群れてないとね~
「団結」の力が「まさか」を実現する。さあ、「異体同心」の旗高らかに、共々に栄光の創立八十周年へ、明朗な快進撃を!
偉大なる
創価のスクラム
組み直し
正義の勝利を
天下に示せや
「まさか」ね~あんなに見事に負けるなんてね~実現するなんてね~アンチでも思わなかったけどね、アンチから見ても「まさか」の展開でしたぜ!大作さん!あんたカッコイイよ!負け認めねーし最高だよ!そこまで悩乱できればかえって心地いいよ!
「いいもん見せてもらったぜ!あばよ!」(柳沢慎吾風)
以上、独断と偏見によりお送りしました。
追加ー!
〉偉大なる
創価のスクラム
組み直し
正義の勝利を
天下に示せや
これはちょっとだけ賛同。
そうね~もう行き詰まってきてるから「創価のスクラム」は一度バラバラにして、もう一回組み直したらいいんじゃない?
でも反省して改善しないと何回組んでも一緒だけどねー。トップ変えたほうがいいね、でも世襲はダメだね、池田家は排除しないと変わらないから。
あーあと「正義」だなんて世の中の学会員以外の人はだーれも思ってないから、勘違いしないように。
失礼しましたー。
フフフ、見つけてしまいましたよ、禁断のFAXを…!
この「ご伝言」によって選挙戦を頑張った学会員さんは「よくやった、私!」と自己満足できて「敗北」の現実は忘れてしまうのでしょう。
そして次に繋がっていく…。先は長い長い(つもり)。
「まさか」はまさに学会員、アンチ関係なく「まさか」という感じでしたね。ここまでを予想していた方は少ないでしょう。
記事を書いていて「異体同心(いたいどうしん)」を変換したら「痛い同心」(笑)と表示され、このまま載せてやろうかと思ったクロでした♪
クロさん
文章表現が上手になりましたね。
何かいい事があって、気持ちが爽やかになった!というような雰囲気が
文面から伝わってきます。
ウィキペディア)の「池田大作」
これは以前に私が見た内容と変わってる気がします。
どうみても創価よりに書かれてます。
著書の執筆が殆ど池田氏じゃないことは周知の事実ですし、
出版業界の常識になっています。
しかし、詩も平和提言も写真も含め全て池田氏のように掲載されてます。
池田氏自身、何一つ専門的な教養がないことは彼の学歴や経緯で明らかです。
あれだけ多くの原稿を書くのは、物理的に不可能です。
どんな才知に長けた方でも、時間的に無理です。
でも、さも池田氏が全て書いたような表現です。
周総理や他の著名人が池田氏を賛嘆する言葉まで、ご丁寧に載せてます。
度を越したいやらしいPR根性が丸出しです。
ネット上の「百科事典」としての掲載にしては、あまりに異常です。
普通、客観的視線と事実だけなら、そこまで掲載しません。
本当に本人が言った言葉かどうか、客観性がないから
そういうことは普通は掲載しません。
でも、本当かもしれません。
それは寄付が膨大だからです。
膨大なお金は全てにおいて助かります。
大袈裟なお世辞など、いくらでも言ってくれます^^;。
日本では一切受け入れられず、評価されず・一切の公式評価など皆無です。
マスメディアも広告宣伝の得意先だから、悪いニュースは伏せます。
でも、極端に創価の都合のいい事も載せないのは、
せもてものカルトへの対応なのかもしれません。
ウィキペディアの「池田大作」
これは創価によって、捏造されてると私は思います。
おそらく、そう思ってる方は・いやそう確信してる方は多いと思います。
ウィキペディアの改竄・捏造くらい創価の力なら簡単に出来ると思います。
「師弟不ニ」
相変わらず、バカの一つ覚えのように、そればかり連呼しています。
真摯に冷静に見れば、幸せを現実に顕現する上で、あまり意味のない言葉です。
まして、人々の波動が上がり・真実を感じ取る人々が増えた21世紀には、
まさに邪魔な言葉です。
「隷属」を押し付ける愚かな言葉と言っても過言ではないかもしれません。
そんなことは創価も充分わかってっる。
でも、そういって何一つ教養のない池田氏のカリスマ性を持ち上げ、あげくの果てに「永遠の指導者」と思わず噴き出すような・爆笑されるような言葉で、何とか中央集権体制や全体主義体制を保つしかやりようがないのだと思います。
俳句や和歌の語並びをもじって、言葉を並べる。
全然大した文字言葉じゃないのですが、小学生高学年にも劣る語並びですが、
カリスマ性がそれを立派に見せてる。。。。
それも、昔は効果がありましたが、今はもうおぼつかない実態です。
創価にも頭の切れる優秀な方はいますし、優秀な見解の情報も得れるパイプは
一杯あるはずです。
でも、会員さんや周囲に出す言葉は、昔の子供の字並びのような俳句もどきです。
いつまでたっても、成長の欠片もない。。
そして、「反省」しない組織。
独りよがりの言葉を流す組織。
組織=池田大作なのですが・・・。
これでは、将来の益々の衰退は明らかです。
私は、いくらカルトでももう少し・ちゃんとした表明と展開の言葉と打ち出しがあると思いましたが、予想以上に愚かな気がします。
でも、これだけの組織。
膨大な財力と、野党とはいえ政治力はあるし、あらゆる分野の優秀なプロも数多く携えてる巨大組織です。
しぶとく・嫌われながら・笑われながら・湿地帯に潜む爬虫類のように、生きていくような気もします。
随分固い表現になったようで^^;、そして過去のコメント内容とダブルような部分もあったように思います。
他の方のブログでもそうなのですが、思いのまま素顔で綴ると
どうしても過去のコメント内容と重なる部分もあります。
それは私がいつも、ピュアな気持ちでコメントさせて戴いてるという意味で
ご理解戴ければ幸いです。
「師弟不ニ」
他のブログでもコメントさせて戴いたのですが、師匠って・しいて言えば日蓮さんだと思います。
だって信仰の世界ですから、当然そうだと思うんです。
で、実質は、師匠は自分だと思います。
自分の胸に秘めた本音・この自分の偽らざる気持ちが師匠で、それが今後の自分を成長させてくれるわけで、この気持ちを大切にして・この気持ちに従うのが
大事な気がします。
弟子も自分です。
その自分の気持ちに忠実に、自分の本音のままに・ピュアな言動で生きていく。
これが本来の姿で、自分しかない花が咲くように思います。
じゃあ、我見に陥ってしまうじゃないか!
大丈夫です^^。
人は誰しも、幸せに生きるように出来ています。
人は宇宙の一部・神様の一部です。
自分の思う気持ちのままに・ピュアに生きていくことが、
それが一番の自分のハッピーロード♪なのだと思います。
何度も失礼いたしました。
>文章表現が上手になりましたね。
>何かいい事があって、気持ちが爽やかになった!というような雰囲気が
>文面から伝わってきます。
これも皆さんのおかげです!こうしてkanさんはじめ色々な方がコメントくださり、そのやり取りの中で私自身、画面の向こうにいる人たちの存在を改めて強く、ありがたく感じるようになってきたからだと思います。
とはいえ、まだまだ修行中。これからも皆さんとのやり取りの中で、私を磨いていきたいと思います。
>ウィキペディア)の「池田大作」
>これは以前に私が見た内容と変わってる気がします。
私もご指摘があって確認してみましたが、本当ですね。
数ヶ月見てなかったですが、明らかに内容が増えてます!前はもっと短かった。
それと、私が最初の頃見た印象で言うと、創価学会を知らない一般の人が見たら創価にとっては都合悪いだろうなー、という感想でした。
まだ客観的であったかと。
しかし今の内容では下手に批判の文章も残っているから支離滅裂というか、知らない人にとって「池田大作」という人がますます分からない内容になっていると思います。
私の憶測ですが、内容が書き換えられたとするならばやはり都議選や総選挙への影響を考えてのことか…という気がします。
あるいはこの公明党惨敗を受けて(見越して)のイメージ戦略とか…?
>他のブログでもコメントさせて戴いたのですが、師匠って・しいて言えば日蓮さんだと思います。
私もそう思いますし、学会も池田氏も昔はそう言っていました。
しかし各地で建てられる会館や墓地に冠される名前は圧倒的に「池田記念〇〇」で、たまに「戸田記念〇〇」。
池田氏は開祖でも初代会長でもないわけで、未だ存命中なのです。
組織(池田氏)が学会員さんの視線をどこへ向けさせたいか、分かりやすい一端だと思います。
外から見ていると「日蓮大聖人」って形骸化しているように感じますが、内部ではそんなことないんですかね?学会員さんにもよるでしょうが…。
>で、実質は、師匠は自分だと思います。
>自分の胸に秘めた本音・この自分の偽らざる気持ちが師匠で、それが今後の自分を成長させてくれるわけで、この気持ちを大切にして・この気持ちに従うのが
大事な気がします。
とっても大事なことですね。
例えば伝統文化や技術的なことでの師匠さんとかもいらっしゃいますが、「この人を師と仰ごう」と決める自分の心がkanさんの仰る「師匠である自分」なのかなって気がします。
たとえ人に勧められたりしたとしても、それに従うことを選ぶのはやはり「自分自身」なのです。そこの自覚がちゃんとあって、「誰それが言ったから…」と人のせいにするのではなく、自分の選択だと理解し覚悟する人たちはたとえ失敗してもその道から何かしら大きな成長を得られるのかな…って。
そしてそこから得られたものや周りの人々、環境に感謝を感じて幸せを実感することが弟子の役割でしょうか。
こうして文章に書いてみると大げさにも見えますが、これって当たり前というか、誰しも本来自然に持ち合わせている心の働きであると思います。
社会、特に日本のような複雑で忙しい社会に生きていると、見失いがちになってしまうんでしょう。
でも「見失っている」と気づく人もまた、多くなっていると思うんです。
きっと自分の花を咲かせる人はこれからもたくさん出てくるでしょう。
その周りに咲く花を見て、また多くの人が気づき自分も蕾をつけていく…。そういった嬉しい連鎖が広がっていって欲しいです。