私が小学2、3年生くらいの時です。
何が原因かは忘れましたが母親とケンカになりまして、激しい言い合いになりました。そこで私はあまりの腹立たしさに、手近にあった聖教新聞をビリビリに破いてやったのです。
その時、聖教新聞と共に一般紙も置いてありました(我が家は昔から二紙取っていた)。
私は新聞に手を伸ばすその一瞬で様々なことを考えました。
聖教新聞を破けば母親は更に怒るだろうことは息をするより簡単に想像できます。しかしその時まさに母親とケンカしている私は、敢えてその母親が嫌がるだろうことを選択しました(注:当時私はアンチですらなく学会の何たるかも知らなかった)。
そして同時に母親を試す気持ちがありました。
ここで一般紙に手を出した場合の反応と同様(と思われる)の反応を見せることができれば、まだ母親は母として子どもに対して公平な心で接しているのだという確認です。
結果、母親は半狂乱のように激怒して私に数回平手打ちを喰らわせました。
私は想像通りとはいえ、こうなってほしくなかったという母親の態度に腹立ちMAX。
私「なんで叩かれなアカンねん!」
母親「モノにあたるからや!」
私「違う!母さんは聖教新聞やから怒ったんや!こっちの新聞(一般紙)やったらそこまで怒らんかったやろうが!!」
私がそう言い放つと母親は怒った表情のまま押し黙りました。
それが図星・肯定の証です。
「違う、普通の新聞でも同じだ」と母親は言えませんでした。
もちろんその時の感覚では、一般紙を破いた時半狂乱のように母親が怒り狂うなんて想像できません。明らかに「聖教新聞だから」母親は怒ったのです。
けれど私の指摘を「そうだ、その通りだ」と認めることも、さすがにできなかったようです。
それをすれば、自分の子供よりも聖教新聞を大事にしていると子供に突きつけることになり、さすがに人間的にそれはすべきでないと察したのでしょう。
当時の私は理屈よりも感覚でそのことが分かって、怒りと悲しみと聖教新聞に対する嫉妬で泣き喚きました。
もうそれはそれは、長い間泣き喚きました。
途中から意地になって泣き続け、泣き疲れて眠るまで泣きました。
その頃からハッキリと私の中では、学会関連のものに嫉妬や苛立ちや腹立たしさというものを感じ始め、意識的に遠ざけるようになりました。
昔から聖教新聞は私にとって不愉快な存在でしかないのです。実家を出る原因もマイ聖教でしたしね。
しかし今になって思えば、母親も可哀相なものです。
聖教新聞なんていうたかだか機関紙によって、小学生の子供に母親の愛を疑われ信頼を失墜させられるとは。
そんなもののために失っていいものではないでしょうに。
聖教新聞は学会の機関紙で学会員さんには半強制的に購読が求められ、地区ごとに(目標という名の)ノルマさえあります。
けれど私のこの体験を見て分かるように、学会員さん一人ひとりの自己責任です。
母親は自分の行動の責任は自分でとらなければならないのです。母親の信頼を損なう身代わりを学会はしてはくれないのですから。
聖教新聞だけではありません。学会が推奨・奨励する様々なことは、自己責任としていずれその身に降りかかってくることでしょう。
学会員さんはそのことをよくよく考え、活動してもらいたいものです。
たかだか機関紙が、一つの親子の信頼関係をズタボロにしたという事実。こんなことはどの家庭にも繰り返してほしくはありません。
初めまして。
聖教新聞で入会されたとか、少し珍しい形ですね。
聖教新聞程度のいいこと書いてある宗教出版物など山のようにありますが、たまたま出会ってしまったのが聖教だったとは、私から見れば残念なことです。
しかし人それぞれ琴線に触れるものが違いますから、通りすがりさんにはそれが良いことであったのでしょう。
>お母様が学会活動に忙しくて、寂しかったでしょうね。
いいえ。全然です。
過去にも書いていますが、うちの母親は体が悪いこともあり活動自体は活発なものではありません。
それにもまして、私たち子供は親が家にいないほうが嬉しかったような子供でしたので。
それに誤解をされたのも仕方ない記事の書き方だったと思いますが、私は母親を恨んでなどいません。
勿論憎んでもいません。
産んでくれて感謝といわれれば微妙ですが、育ててくれたことには感謝しております。
その感謝の最大限で最低限の恩返しが、自分の力で生きていく事のできる人間になることだと私は思っています。
ですから私の中では、もう親孝行は終了しています。
>「鏡に向かって礼拝する時、そこに映る影(姿)がまた私を礼拝する」
このようなお気持ちで、関係の悪かったお母様と良い関係を築けたこと、何よりだと思います。
その言葉を受け取るならば、うちの母親は通りすがりのものさんのような信心ができていないということなのでしょうね。
家族全員に理解されていないのですから。
これはその他多くの一般の学会員さんにも言えることでしょう。
>咄嗟のことで、お母様も動揺されたと思いますが、どんな時でもお母様はあなたの幸せを祈っていると思います。
何に動揺したのかが分かったから私はショックだったのですが…。
それでも母親は母親なりに私たち姉弟のことを大事に思っていることは分かっていますよ。
このような記事やコメントの書き方で、とんでもない娘のように思われたのは仕方ないことだと思いますが、ご理解いただければ幸いです。
トニーさんのカラオケのレパートリーを見て、恐らく私より少し年上の方かな?と思いました。
私は声が低いほうなので男性ボーカルの曲ばかり歌いますw
GLAYも歌いますよ~♪
>生まれ変わったらアイツら、俺が親として一から一人前の人間に育ててやりたいとすら思っています(笑)。
思ってしまいますよねー。
親から叱られるよりも、親に説教するほうが私の人生では多かったように思います。
しかしその性格でウン十年育ってしまった人間は、なかなか悪い癖は治らないものです。
表彰台独占、おめでとうございます~!!
凄いですね~。
料理の腕も表彰台に上るほどとか。
私は一応ちゃんと自炊していますがめんどくさがりなので、後片付けが楽な料理ばかりパパッと作ってしまいますわ^^;
お母様が学会活動に忙しくて、寂しかったでしょうね。私もとても寂しい幼少期でしたから、随分と親を恨みました。学会に入会し、
「鏡に向かって礼拝する時、そこに映る影(姿)がまた私を礼拝する」との御聖訓を知りました。どんなに恨んでも、母がいなければ、私はこの世に生まれることはありませんでした。母を鏡に映った自分のごとく、大切にし始めた後、本当に母と良い関係になりました。そして昨年、母を感謝の気持ちで看取ることが出来たのは、この信心のお陰だと思っています。
咄嗟のことで、お母様も動揺されたと思いますが、どんな時でもお母様はあなたの幸せを祈っていると思います。
通りすがりでゴメンナサイ。気になったので
コメントさせて頂きました。
つい先日、同い年の友達とカラオケに行きました。その人と行くのは初めてで、僕は自慢のハイトーンボイスでGLAYやシャムシェイドをオリジナルと同じキーで唄いました。少し疲れたので、僕にとってはやや低めのTMや杉山清貴、そして氷室京介を唄ったところ、相手から「ボウイ縛り令」が発動されました。しかも、「先に唄える歌がなくなった方が負け」というルールで…。甘いですね、ラストギグスに参加した経験を持ち、初めてバンドでコピーした曲は「ノーニューヨーク」の僕に勝とうだなんて…。もちろん勝利しました(^-^)v。僕の年齢はだいたいそれぐらいです。
下らない話で失礼しました\(__)
>「この両親の元には二度と生まれてきたくありません」
って言い切ってしまうと、何だか自分が人でなしのようで気が引けるのですがね…。
…解るんですよ。僕もそうとうに不幸な家庭を通過して育った人間ですから。アルコール依存症の母親と仕事依存症の父親。テストで99点をとると母親に酒瓶で頭を小突かれ、酒でへたばった母親の変わりに家事をこなした結果、少なくとも自己採点では99点をとると、「俺は仕事が大変なのにトニーお前というやつは」と父親に怒られる。
ふふん。生まれ変わったらアイツら、俺が親として一から一人前の人間に育ててやりたいとすら思っています(笑)。
今日は趣味であるホビーラジコンのレースでした。前々から、仲間たちの共通の夢であった、ワンツースリー、つまり友達だけで表彰台を独占するという夢をついに叶えました(*^o^)/\(^-^*)。
次の週末は仲間たちのたまり場である僕のアパートで祝勝会の予定です。料理はもちろん僕。仲間たちからはデニーズを文字って「レストラン・トニーズ」と呼ばれています。母親からのかなり特種な「英才教育」のおかげで、中学のときすでに家庭科の先生より料理が上手になっていました。皆から「もったいないから今からでも店を出せ」と言われます。が、生活の必要から身につけたスキルを職業にしたくはありません。働かない母親と、食べるだけでまるで作れない、味覚と口だけは超一流な父親に感謝しなくてはいけない、…のかも知れませんが、今だに答えは出ないままです。
石野真子といえば、私の中ではたまにバラエティとかに出てくる昔アイドルだったおばさん、という認識しかなくて^^;
河童さんは私の母親より少し若いくらいの世代でしょうか~w
「この両親の元には二度と生まれてきたくありません」
って言い切ってしまうと、何だか自分が人でなしのようで気が引けるのですがね…。
うちの両親は本当に酒にだらしなく、つい先日も醜態を曝しておりまして。父親はもう還暦を過ぎた年だというのに、情けないことです。
学会の問題よりも、もっともっと根本的にうちの両親は目も当てられません。
学会のカルト性を知ってからは、母親の困った性格だと思っていたものが学会の影響ではないかと考えられる部分が多々あり、うちの家庭不和に学会がまったく関係していないとは言えないとも思うのですが…。
それでも河童さんのコメントを読んで想像してみたんですよ。
生まれ変わって仲の良い両親でその両親を大好きな自分。
感想は「キモっ!!」でした(汗)
なんかもう普通の家庭が想像できないくらいなんですよ。うちの家族。
逆に私が親になって性根を叩き直してやりたい気もしますがねw
こんにちは!コメントありがとうございます。
聖教新聞、取り扱い注意!ですねw
キリスト教における聖書のような?いや、それは人間革命の本なのかな~?
おかしいのはうちの母親、記事にした昔の頃から全然読んでいない(テレビ欄しか開かない)のに、一般紙より格上に思っているんですよねー。
だから中途半端な学会員なんですよ、うちのママンは!
「私ら(婦人部)は(信心は)体験やから~」と、学会の矛盾を指摘すると笑います。
どのような矛盾や問題があろうと、自分らが体験した功徳に疑いはないということなんですね。
その功徳こそが一番あやふやで、信じるに足らないものだというのに。
日常に起こるいいことは信心のおかげ、悪いことは信心が足らない&信心によってこれくらいで済んでいるという解釈を何十年も続けているのです。
自分の母親になんですが、狂っているといっても過言ではない心理状態です。
「社長会記録」の池田氏の発言、私も見たことがありますよ。
逆に、部数アップで職員にボーナス出そう!とか言って啓蒙を煽っているものもありました。
たぶん「減らそう」発言の相当後になるものだと思うのですが。
池田氏の発言は年々金満体質に変化していますね。
>毎回、料亭やホテルでご馳走を食べながら、どうやって金儲けしようか策を練っていたようです。
そもそも「社長会」が意味不明ですよね。宗教と何の関係もない(ハズ)。
何者のつもりやねん!とツッコミたくなります。
しかしこの姿こそが、池田氏と創価学会の本来の姿なのでしょうね。
毎度毎度、第二別館で各部代表者と勤行していると言い張るのなら、その写真を新聞の一面に載せてみやがれ、なんてね。
>スイマセン、ジュリーのくだり分からないです
ほろ酔いで時空を飛びすぎました。
石野真子の全盛期を知っている自分としては「ライバル」と言えば「ジュリー」を連想しちゃうんですね。歳がバレそう。
>私はこの両親の元には二度と生まれてきたくありません。
クロさんのこの言葉は重いです。
私は幸か不幸かもう一度やってみたいです。
親の至らぬ点は重々承知していますが、それ以上の恩義を感じています。なのに今世で返すことが十分に出来ませんでしたから。
普段接しているとなかなか出来ないのに、亡くなると後悔する・・・素直さは恥だと誰が教えたのか・・・
りりこさん
サンキューソーマッチ(センセイ風に)
学会でヘンな正義感を鍛えられると、実社会でも冗談に紛れ込ませて無遠慮に本質を突く言い方をしてしまいます。それが仲間受けするので調子に乗る訳です。
お前が口を慎めばもっと速く出世していたと言われます。そんなことはどうでもいいと思えちゃうところがバリ活後遺症ですね。サラリーマン失格です。
小さい頃から母親に「池田先生のお手紙だよ」と聞かされてきました。
バリ活時代の出来事ですが未入会の主人が、朝 聖教新聞をポストから取り出し部屋に向けて投げたんですよ。
それを見た私。カーッとなり「丁寧に扱ってよ」と主人に。 そしたら激怒して「拝んでから持ってくりゃいいのか!」と嫌味を。
今思うと笑い話ですが、たかが新聞なのに夫婦喧嘩の原因になるなんて(^^ゞ
河童さんが言われるように業務連絡ばかりの有料社内報そのものですね。
毎日、代わり映えしない紙面。 数年前の新聞と比べても内容なんかさほど変わらず。
最近は何年も前の大先生の写真を載せてるから尚更ですよね。
そうそう「社長会記録」と言う学会外郭企業の社長の集まりで大先生が話した記録なるものをネットで読んだんですが こんなのがありましたよ。
「~聖教新聞の多部数も減らそう。~ 班長、地区部長で5部以上の人は減らしてもよいと打ち出しなさい。 聖教が50万位減るだろう。 だが、良い。少しでも無理をなくしてゆこう」
はあ?です。 昭和45年の記録ですが、多部数購読ってそんな昔からやってたとは驚き~! 42年も前から?
余談ですが その社長会記録の中に可笑しいのがありました^^
「私の嫌いなものは、鯛、貝、ひかりもの。これは前にあたってジンマシンになってから駄目。山梨の〇〇(店名)、昔の庄屋をそのまま食堂にしたので1回連れていってやりたい。 あそけでは鯛も食べた。 肉も旨い。 結局、美味しいものは食べられるよ」
ほかにも「〇〇(店名)の料理は本当に旨いね。 どんな旨い所でも2~3回行くとちょっと飽きるが、ここだけはいつも旨い。 一番だね。 特に今日は旨い。」と絶賛。
毎回、料亭やホテルでご馳走を食べながら、どうやって金儲けしようか策を練っていたようです。 ムカつく~~(-.-;)
話がそれてしまいすみませんでした(^^ゞ
この親子ゲンカを発端とした出来事、聖教新聞さえ絡まなければうちでは珍しいことじゃなかったんですよね。
つまりうちではよく子供は叩かれた、ということです。
でもまあ、そんなに子供たちは深刻には捉えてなかった感じです。
叩かれる理由が(暴力を正当化するものではなく)それなりに子供にも理解できたものが多かったので。
しかし記事にしたように、叩かれる意味が分からない、完全な母親の感情的な暴力というものも数回ありまして、それは今回記事にしたように鮮明に覚えていますね。
躾と虐待の線引きは難しいと言われますが、私はこの親の感情的な大人の力での暴力は絶対ダメだと思いますね。
暴力だけでなく、精神的な虐待も勿論ですが。
>またこの思想がなかなか理解されないのは、欠如したままの方が親にとって都合がよいからこそなんです。
そうですよね。重いことだと思います。
大人側が、自分達の非を認めることからしないと始まらないのですから。
>恐らくクロさんのお母さんも、このときのことは忘れてはいないでしょう。
いや~、これはどうかな。先に書きましたようにケンカ(叱られるのではなく、同レベルのケンカですw)自体が珍しいことではなかったので…。
それにうちの母親は都合のいいように記憶を改ざん・捏造する名人でして。なんかの心の病なんじゃないかと思うくらいです。
このとき母親も自分の身勝手さを指摘されて気まずい思いをしたはずです。
もしも本当に、学会関連のものを無碍にした罰が子供に対してでさえ疑いようもない正義であったとしたら、押し黙ってそれ以上手をあげないということはないでしょう。
御本尊の前で土下座させられるくらいしたんじゃないですか。もしそうなら。
ただ単に、母親の好きなものにあたったから、感情的に手を出したという出来事だったと思います。
私はその母親の「好きなもの」の「好き」が、子供を「好き」な気持ちとどっちが勝るだろうと、半ば答えが分かっていながら試したんですね。子供ながらに。
ごく普通に、子供が一番好きな母親であってほしかった。
その気持ちがずっとずーっと心の奥底で燻っていたのだと思います。
>創価学会が、母親を母親ではなくしてしまう恐ろしいカルトであるという証拠に他なりません。
これはその通りだと思います。
自分の子供よりも大切なものだと信仰させる宗教など、宗教ではありません。
自分の子供も家族も家庭も、自分自身さえよりも、上位に祀り上げる宗教など、人間を人間でなくすようなものだと思います。
>幼い当時のクロさんを抱きしめにいきたくなりました。
ありがとうございます。心は本当に抱きしめられた気持ちです。温かいお言葉に泣けてきます。
聖教新聞の外部啓蒙、河童さんも仰ってますがよほど人間革命wできていないと恥ずかしくて薦められるものじゃないですよね。
私も全然開いたことがなかったので知らなかったのですが、実はこの聖教新聞こそが私をアンチへと覚醒させた重要アイテムなのですよ。
かなり初めのほうで書いたと思うのですが、ネットで最初学会の批判情報を見たときまだ半信半疑で…。
それで「まさかなぁ…」と思いつつ聖教新聞を開いてみるとお決まりの罵倒座談会、寸鉄の誹謗中傷。
私はネットに書かれている批判こそが正しいと、その時確信しましたからね。
>こいつらは池田先生を何度も何度も殺したようなもんなんだ。いやそれ以上の罪を犯したんだ!
一般人にとっては池田先生がどれほどのものか、分かっていないのですね。お可哀相に。
外部の感覚をとうに離れてしまったからこそ、この新聞啓蒙も熱心になれるというものです。
また、この誹謗中傷されている人たちが悪人だとしても、それをあの新聞に書かれているように侮辱し、呪いの言葉を浴びせかけ、嘲笑の的にすることは仏法はもとより人道にもとります。
人道に反することをしてまで誹謗中傷することを、誰も理解しません。賛同もしません。
この支部長さんのように、一般の感覚から外れてしまうとそんな簡単なことすら見えなくなってしまうのでしょうね。
本当にお可哀相に。
次なる「後一部啓蒙!」の命令から察するに、成果主義に追われての盲目なのかもしれませんね。
>「生涯 学会活動はしません」宣言をしちゃった私には もう誰も近づかないので 言い返す機会もないですが・・(笑)
いや~、いいんじゃないですか。
一つ言い返したら十にも百にもなって返ってきますからw
関わらないのが一番平穏、ということで。
こんにちは。
スイマセン、ジュリーのくだり分からないです^^;
ジュリー(沢田研二)は知ってますけどw
>いや~それにしてもクロさん、随分ご立派に成長されたものです。
お褒め頂き恐縮です。
自分ではそんなに変わってない、まだまだ子供(笑)のような気もしますが。
まあでも、この頃のように感情をぶつけることはなくなりましたね。
それが良いか悪いかは分かりませんが。
>学会では活動を邪魔する働きを「魔」と見なしますよね。
私はこれは、自分達(学会組織)の胡散臭さを見破られ指摘されることへの言い訳だと思いますね。
仰るように理屈に合ってないのですから。
そのことを学会員が考え始めると離れていく一方であるから、そういう言い訳を用意して防御しているんでしょうね。
そもそも何が「魔」なのかハッキリしないから解釈はどこまでも膨張します。
「功徳」も同様ですがw
来世では一家和楽ですか~。
私はこの両親の元には二度と生まれてきたくありません。
いや、学会問題がなくてもあまり褒められた両親ではありませんので(汗)
でも別に、この両親が不幸になって欲しいとも思っていないので、また来世は違う魂と出会ってよい家庭を築きご勝手に幸せにおなりください、って感じですね。
創価学会に関係して熱心な信者のまま人生を終えた人でも、きっとあの世に行って学会が本当はどういうものだったのか分かれば、次の人生は学会とは無縁の世界に生まれ変わりたいと思うでしょうね。
あんまり死後の世界や輪廻のことは分かりませんが、大きな輪廻転生の輪の中で学会というのはただ一度きり通り過ぎる障害物というか、悪路なんじゃないですか。
漠然と思っただけなんですけどね。
聖教新聞=社内報(有料)説、私も支持します!
量的にも社内報にテレビ欄がくっついただけくらいですしねw
日刊強制社内報(有料)。配るのも作るのも社員(学会員)だし、的を射ています。
支部長は びびってる私にさらに「りりこさんは頭でっかちなんだ。いつも頭で考える。創価学会は行動して結果を出さないと意味がない。次の座談会までに 後一部の啓蒙!」と 命令しやがった。もとい、命令しました。
これって まったく私の訴えに応えてないですよね。
啓蒙しようと頑張ってる人間の発言なのに・・でも今考えると支部長クラスには何もできないですよね。地元では幹部なんて言われても 学会上層部からみたら 末端ですもんね。
別にクロさんの母親を悪く言うわけじゃないんです。社会全体の子育てに対する考え方自体が間違ってるんです。親が子供を叩くとき、必ずそれをやれ教育上の必要からとか愛の鞭とか言って正当化します。結果、子供に対する暴力は暴力ではないとMCされた人が親になり、我が子にそれを繰り返す。負の再生産。つまり社会全体が、子供を傷つけているという自覚に欠如しているんです。またこの思想がなかなか理解されないのは、欠如したままの方が親にとって都合がよいからこそなんです。学会活動なんて社会に迷惑をかけているだけなのに、学会員がそれを独自の身勝手なドグマで正当化するのとまさに瓜二つでもあります。
恐らくクロさんのお母さんも、このときのことは忘れてはいないでしょう。しかし学会の出版したものに手を下したという事実から、自らの行為を正当化しているに違いありません。そのようにMCされているからです。この話は、創価学会が、母親を母親ではなくしてしまう恐ろしいカルトであるという証拠に他なりません。こんな不幸な家庭が一つでも多く減ることを願ってやみません。
河童さんの「有料の社内報」まさにそうですね。いつも的を得た表現、どこかクスッと笑える文章をお書きになる河童さんの実は私、隠れファンです(あっ隠れなくていいですよね 笑)
活動家の頃は結構頑張って新聞啓蒙してた私ですが、「いくらなんでも内容が下品すぎないか?虫けらだの糞坊主だの」と若干疑問が頭をもたげ始めた頃、支部長に訴えました。
「友達に啓蒙っていうけれど 創価学会まだよく知らない人に日顕、竹入は極悪だあぁ???なんて内容はさっぱり意味解らないと思うし、もっと仏法のすばらしさとか そんな一般の人に理解されやすい新聞じゃないと これ以上啓蒙は難しいです」みたいな事を・・。
支部長・・いやぁ怖かったですね。「りりこさんも こいつらが池田先生に何をしたか しってるだろ?こいつらは池田先生を何度も何度も殺したようなもんなんだ。いやそれ以上の罪を犯したんだ!」
当時の私はびびるだけで 何も言えませんでした。今なら何倍にもして言い返してやるのに・・・!「生涯 学会活動はしません」宣言をしちゃった私には もう誰も近づかないので 言い返す機会もないですが・・(笑)
クロさんの幼心を深く傷つけた・・・それが実の母親であるところが、創価ゆえの救いがたい思想ですね。泣けてきます。
いや~それにしてもクロさん、随分ご立派に成長されたものです。冗談抜きで。いいなクロさん。
学会では活動を邪魔する働きを「魔」と見なしますよね。本当は正法を広める途上での理不尽な事象に限定される筈だと私は思うのですが・・・
仏法でも無い学会活動が理屈に合わないから家族が文句をたれる。それなのに家族に「魔」が入ったと指導される。家族が、子供が深く傷ついているのに正面から向き合おうとせず、「魔を打ち破るのだ」と更に活動をエスカレートさせる。
こんな調子で今世ではいつもすれ違いですから、せめて来世では一家和楽して欲しいものです。
そんな中で聖教新聞は機関紙だといいますが、私は有料の社内報だと思っています。業務連絡ばかりで意味不明ですから。
あれを外部に啓蒙しても平気というのは、ある意味「人間革命」出来た人です。