今日2012年3月11日で、東日本大震災から一年が経ちました。
一年前の今日、私はビルの中にいて目眩のような揺れを感じました。すぐには地震とは分からなかった。
その後、宮城県沖で地震発生と携帯のフラッシュニュースに流れましたが、それと先ほどの揺れとは結び付けませんでした。
いやいや、宮城の地震がここまで来るわけないって。そう周囲の人と話しました。
しかし夕方頃には号外が配られていると知り、これは大きな災害なのだとようやく認識しました。
私のように関西に住んでいて被害もない人間にとってみればあっという間の一年でしたが、被災された方々、あるいは未だ余震の多い関東~東北にお住まいの方々にとっては、苦しく長い一年に思えた方が多いのではないでしょうか。
今日はテレビでも震災の特番ばかりですね。
何を書いても軽薄な言葉にしかならない気がして、うまく書けません。
ほんと、テレビ観て思うことは行政はもっとできることあるだろうに何やってんだ!ということを切実に感じます。
一年前の今日、あの地震と津波、それ以後の混乱で亡くなられた多くの方々、ペットや家畜の動物達の魂がどうか、温かく清らかな場所で安らかに眠れますように、願います。
3月11日という日を、忘れない。
「パラべラム弾」という軍事用語があります。西側諸国で規格を統一した9ミリの弾丸のことです。もとは、「平和を欲するなら次の戦いに備えよ」というラテン語に由来しているのだそうです。…平和ボケしちゃってる一般的な日本人の感覚からすると、一見「?」な主張に思えてくるかも知れません。が、意訳するなら、「今の一時期が平和だからって油断大敵。敵は周囲に常にいるのだ。警戒を怠るな」と警告しているのだと僕は捉えています。
危機管理に対してあまりにも幼稚な感覚しかない。…これは日本人の致命的弱点と考えます。「島国だから海に守られている?」。それはもう過去の話です、今はミサイルが海を軽々と飛び越えてやって来る時代なんです。誤解を恐れずあえてものすごく厳しい言い方をするなら、3・11から繋がる一連の問題は、常に事前にあらゆる危機に対して万全な対策をする必要性を疎かにしてしまったからこそ起きた人災、と考えられるのではないでしょうか?
今、石破茂と清谷信一の共著、「軍事を知らずして平和を語るな」を読んでいます。この人マスゴミが吹聴するようなただの軍事オタクなんかじゃありません。むろんその方向の知識が豊富なことは認めますが、戦争をはじめとする災害や事故に対してきちんとした考えを持っています。なお、このタイトル、ラテン語に意訳するならまさに「パラべラム」ではないかと思いますがいかがでしょう?
最後になりますが、東日本大震災で亡くなられた尊い命にご冥福をお祈り申し上げます。
コメントありがとうございます。
去年の震災は本当に甚大な被害をもたらし、その傷跡は一年経った今でも大きく生々しく残ったままです。
忘れないこと、これは亡くなった方々の犠牲を無駄にしないという、そういうことだと思っています。
教訓を活かし、実践して、一つでも多くの悲劇をなくしていかなくてはと思います。
>「平和を欲するなら次の戦いに備えよ」
初めて知った言葉です。奥深いですね。
平和を保つための力を持っていなければ、蹂躙されて今ある平和が脅かされるのですね。
そろそろ平和ボケした日本人でも、これくらいのことは気が付いてほしいものですが。
また尖閣に中国船が来てますしね。
>3・11から繋がる一連の問題は、常に事前にあらゆる危機に対して万全な対策をする必要性を疎かにしてしまったからこそ起きた人災、と考えられるのではないでしょうか?
これはその通りだと思います。
政府や東電の対応は、人災に匹敵すると思います。未だに誰も責任を取らないのはどういうことなんでしょうか。
福島第一原発の所長さんが亡くなったという情報もありますが、本当なのでしょうか。
本当ならば、東電や政府はどのように発表するつもりなのか。
一部の人間の利権のために、人や動物植物の健康や命が脅かされるなど、許されることではないと思います。
この歪みを正すことこそ、復興の要なんじゃないでしょうか。
先のコメントに記しました(元)所長さん死亡情報はガセだったようです。