『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

「ヤナギ」ライブ@高円寺『Cafe炎の雫』

2013年11月15日 | Weblog

今日は、先だって参加した東北復興支援プロジェクトで知り合ったミュージシャン
「ヤナギ」さんのライブを聴きに行ってきました。
場所は高円寺から歩いて1分程度のお店『Cafe炎の雫』
http://nakadori.jp/shop/0353738589b.html

このお店の名前を見た時に、英語で『Fire&Water』なんて連想したんだけど
WebやFacebookを開いて、あながち間違いじゃないなと期待して行きました。
そのお店やご主人の話は後回しにして、まずはライブの話。

ヤナギさんとは、先週行った東北復興支援プロジェクト『The North Journey REUNION』で
陸前高田を案内して頂いた時に知り合った間柄です。
ライブで聴かせてくれた曲はオリジナルと、アメリカのフォークソング等を日本語に訳した唄。
オリジナルは、ヤナギさんのCD『旅という生活 生活という旅/やなぎ 』

に収録されている曲等、何曲唄ったのか数えても居ないから解らないけれど、
気がついたら2時間唄いっ放しのライブ。
この、気がついたら・・・・
と言うのが凄く重要で、退屈なライブだと時計が気になって
「早く終わらないかなぁ・・・」といった経験がある方が多いと思うので、
逆にどれほどライブが良かったか?が判るかと思います。
最初と最後にお店のオーナー水野さんがサポートして、なかなか締りのあるライブでもありました。

写真を見ての通り、お店は十数人で満席になるほどのスペースなので、
マイクやギターアンプはむしろ無い方が良い。
お店の壁が、良い感じの反響をして、むしろその生音感が良かったですね。
また、次のライブがあったら行きたいなと思います。

ヤナギさんの経歴を見たら、なんと「武蔵野フォークジャンボリー/吉祥寺発ぐゎらん堂EXP」
の中で英浩ブラザースというグループに参加していた。
吉祥寺『ぐゎらん堂』と言って、僕らの世代で知らない人は居ないんじゃないかな?
少なくとも僕は高校生の頃によく通っていたし、仲間と出演した事も有った。
そして、このアルバムを僕は持っているし、このあるばむで唄って居る高田渡などのフォークシンガーが
その後、僕らがやっていたライブハウス『モンド』に出演していたと言うのも面白い繋がり。
つまり、ヤナギさんとはそういった処で既に繋がっていたと言う事になる。

そしてこのお店『Cafe炎の雫』のオーナー水野さん。
この人はご自身もミュージシャンとして、今でも活躍されている御仁。
その方がなんと前出の我々がやっていたライブハウス『モンド』に出演した事があり
その当時、我々のライブハウスでやっていた音響・照明の集団(当時は会社じゃなかった)が付いていた
当時売り出し中だったフォークシンガー「森田童子」のサポートでギターを弾いていたらしく
と言う事は、間違いなく何処かで遭遇していた・・・・と言う話で盛り上がり、
当時のライブ事情から始まり、ギター談議や、日本の音楽志向の話にまで
ヤナギさんと3人で盛り上がって、結局閉店時間まで話が続いたほど・・・・

高円寺は相方と練習する拠点になっていて、練習後の珈琲タイムを過ごす場所を
いつも不満に思って居たのだけれど、そう云う意味でもいい店を見つけた。
御主人が淹れる珈琲も、美味しいので相方も喜ぶでしょう。
何だか、凄く楽しい夜になったのでした。

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被災地で地元の人に聞いた話

2013年11月14日 | Weblog

☆被災地復興の人材育成事業、未活用1億円ムダ 検査院指摘
http://digital.asahi.com/articles/TKY201310290782.html?iref=comkiji_redirect&ref=reca

この記事にあるような、無駄遣いは氷山の一角でしょう。
会計検査院が、2011,12年度の復興予算で実施された事業1411件のうち、
1401件(除人件費:約15兆1552億円)を調査し、
事業ごとに被災地の復興との関連を分析した結果によると、

▽復興に直結する事業:912件(65.0%)
▽津波対策や学校の耐震化:27件(1.9%)
▽復興事業と関連事業が混在している事業:136件(9.7%)
それ以外の326件(23.2%)は被災地とは直接関係ない事業だった。

麻生政権時代に4000億円の予算で地震対策をやろうとしていてけど、
あの岩手県宮古市田老町のスーパー堤防も、あっけなく崩壊してしまった。

この間、出かけた被災地で地元の人に聞いた話。
堤防なんていつ出来上がるか判らない。
作ってる最中にまた大きな地震が来る可能性だってある。
いくら高い堤防を作っても、それが何年持つかの保障も無い。
命を守るには、堤防を作るより、安全な場所を確保して、
そこへ逃げやすい道路と、逃げる方法をみんなで考えるのが一番だと言って居た。

堤防作る金があるのなら、仮設住宅じゃなく、しっかりとした住居を安価で早く供給する事。
例えば大船戸で震災前の値段、坪40万円で30坪の家を建てたとすると、
一軒あたり1500万円程度で家が建つ。堤防を作る金が4000億円なら、
単純計算で3万戸建てられる。共同住宅なら、もっとたくさんの人が住めるはず・・・・・

景気回復が全て復興に充てられるなら、景気回復優先の話も解るのだが、
安倍内閣の目指す『景気回復』は、『大企業の業績回復』
と言う風にしか感じないのは、私のひねくれた見方なのだろうか?

企業が利益をあげて、市場が活気づくのは大歓迎だが、儲かった金の使い道は?
内部留保とか、働く側には回らず業績アップで役員報酬に回る確率の方が高いね。
我々労働者には、一時金でちょっと上乗せしておしまい!
ベースアップなんて、後々まで響くような事は、まずないだろうと思う。

他には、政治献金などと云った政治家や政党に回る気がして仕方が無い。
いわゆる利権だよね・・・・。
被災地の復興に使うという増税をしておいて、国民が納得して居ると言うのに
企業からも税金を沢山支払って貰って、復興支援しようと言うはずの
『復興特別法人税』も、企業の業績回復のために前倒しして廃止してしまう・・・・
そんな大企業のための政策だもの、復興なんて実はどうでも良くて、
復興関連の特需でゼネコンを儲けさせて、見返りを貰う・・・・こんな筋書きでしょう。
復興をビジネスチャンスだなんて、土木関連の業者が言っているのを聞くと反吐が出る。

いまどきの国会議員に、明治維新の時のような高い志を持った
『政治家』は居ないですね。
居るのは金に群がる『政治屋』ばかりで、国民の幸福のために・・・・
なんて本気で思って居る政治家は、居なくなってしまった気がする。

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原発なんて要りません!

2013年11月13日 | Weblog

☆原発「即ゼロ」首相に迫る 小泉元首相会見「決断すればできる」
http://www.asahi.com/articles/TKY201311120668.html?ref=nmail_20131113mo&ref=pcviewpage

小泉さん、もっと声高にやってください!原発なんて要りません。
火山が多く、温泉大国の日本。地熱発電こそ日本にしか出来ない技術。
そう云う技術を推進する事で、日本と言う国の価値も上がるはずだと思う。

原発再稼働の審査に『フィルターベント』なる項目があるらしいが、
そもそも『ベント』をするための機構が無いといけないなんて言うのは
事故が起きた時の話。つまり、事故の可能性があると言う事です。

小泉さんの言うとおり、いずれは無くす方向で考えているのなら今からやればいい。
まだ、事故の記憶が生々しい今だから、国民の支持は受け易い、間違いなく支持されるでしょう。
安倍さんがなりたがっている、後世に名を残す総理大臣になれる。
いい事尽くめだと思わないのだろうか?

今日は会社の「エコ通勤デー」。排出ガスの抑制ということで
全社で自家用車やバイクでの通勤を止めようという日。
趣旨は素晴らしいのだけれど、元々、自発的に始めたのではなく、
昭島市のエコ活動の一環で、参加しなければならなくて始めたこと。
そんな事だから、参加率とか数字で出すことが重要で中身は何も無い。

実際に会社に車で来ない人は、家族に会社まで送ってもらってるし、
その車は帰りに空で帰るんだから、無駄な事になる。
事情があって車で来なければならない人は、非協力的ということで
駐車場は遠いところに変えられちゃう。
そういった虐めみたいな事も、会社の方針という免罪符があるから
正当な行為としてまかり通る所が、また会社の企業風土なんだろう。

僕なら「カーシェアリング」を最低月に一回やってもらったり、
月に一回は車で通勤しない日を作ってもらうようにして、
運動よりも意識を植え付ける事を考えるんだけどね。

僕の会社に限らず、数値だけはやっているようで、中身が伴わない事を
真面目にやっていることが多いよね。

この原発問題も、それに似ている気がする。
原発推進なんて、実際のところこの2年間無くても済んでいるのだし、
電気料金に転嫁する以前に、企業としてコストダウンを考えているのか?
電力会社が儲からないと、自民党は困るんだろうな・・・・
電力業界の労働組合も強力だから、民主党も及び腰だし・・・
マスコミは多大な広告料をもらう、お得意さんだから叩かない。

2年半もかかって、一向に事故が終息方向に向かっていない状況で
原子力は不可欠なんていうのは、小泉さんの言うとおり
「無責任」以外の何物でもないと思ってます。

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政府は、復興を最優先に考えて政策を!

2013年11月12日 | Weblog

フィリピンの台風被害は想像を絶するものになった。
東北の被災地を見てきた直後だけに、被災者の人たちの不安や
健康、命の危険など、早く手を差し伸べて欲しいと願っている。

地球規模で異常気象が発生していて、災害も規模が大きくなっている。
かつてフィリピンのピナツボ火山が噴火して、噴煙が成層圏まで達した事があるが
その後から冷夏が来たり、暖冬だったりと気象変動が有ったのを覚えている。

2年半前の東日本大震災で、津波が起き海流も若干ながらに変化しただろうから
専門家から馬鹿にされるかも知れないけれど、多分、ここ2年間で起きている、
東アジアの異常気象は、影響を受けている気がする。

被災地の状況を見ると、生き延びるために食糧や水を求めて争いになったり
商店の略奪が起きたりと、東日本大震災での日本とは違って醜い姿を晒していますが
そう云う意味では、我々日本人は「生き延びるために分かち合う」といった行動が
当り前のように行われていた事は、誇りに思います。
海外でも、日本人のそう云った精神を高く評価され、尊敬を集めています。

だから、東京オリンピックでは日本が完全に復興した姿を世界に示す必要があり
世界もそれを期待しているに違いありません。
もっと政府は、復興を最優先に考えて政策を進めるべきだと思ってます。

ちなみに、ちょっと知ったかぶり・・・・
今回のフィリピンで起きた『気象津波』と呼ばれる高潮の起きる原理。
僕なりに理解している部分を書いてみます。数値は正確じゃありません。
あくまでこんな原理で高潮が起きるんだと思って付き合ってください。

台風は低い気圧です。敏感な人は、気圧の変化で体に変化を来たす人も居ます。
ここで気圧の話。

大気における1atm(気圧)は760mmhg(水銀柱)です。
1kgの圧力1kgf/cm2=750mmhgなので、1atm(気圧)は圧力で表すと
1atm(大気圧)=760÷750×1≒1.013(kgf/cm2)・・・・(1)
となります。
ここで出て来る(kgf/cm2)と言う単位は、キロ・グラム・フォース・パー・平方センチと読みます。
意味は1平方センチあたりに 何キログラムの力がかかっているか?という事です。 
天気予報では1013hpa(ヘクトパスカル)を1atm(気圧)としています。

難しい話は、面倒なので割愛しますが、ここで今回の台風の気圧が
900hpa以下だった事がいかに凄いパワーを生み出すか?お話しましょう。
前の説明とは異なりますが、通常は1気圧の時に1kgの力が1平方cmにかかっていると
概ね考えると解りやすいです。

今回の台風は900hpaだとして、約0.9気圧以下。
つまり、0.1気圧分の負圧(吸い上げる力と考えましょう)が発生します。
これは1平方cmあたりで100gの力です。これが1平方mになると1mは100cmなので
100×100=1万倍すると、約1000kg=1トンの力が発生します。
水に換算すると1立方メートルの量とほぼ同じになり、これは単純に
1平方メートルの水が1mの高さになる事になります。

これが気象津波と言われる高潮の原理です。
実際にはもっと潮位は高く、中心半径の大きさや台風の直径で外側の圧力が
変わるので、これ以上の事は解りませんが、気象津波と言われる高潮を引き起こす
台風のエネルギーが、如何に大きいか?が判って頂けたら幸いです。

フィリピンにも義捐金を出そうと思って居ます。
一人100円で、日本から100億円になるのだけれど、無駄遣いをするのをちょっと止めて
お財布にある小銭を集めることから始めませんか?

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意識から消えてる復興

2013年11月11日 | Weblog

☆NHK世調安倍内閣支持60%
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131111/k10015972511000.html

昨日のNHKニュースで、最新世論調査の結果を報じていた。
この中で6つの政策課題を挙げて、国が今、最も力を入れて取り組むべきだと思うことを聞いたところ、
▽「原発への対応」が先月より10ポイント上がって27%
▽「景気対策」が20%
▽「社会保障制度の見直し」が16%
▽「東日本大震災からの復興」が13%
▽「財政再建」が9%
▽「外交・安全保障」が4%
という結果。

『原発への対応』が10ポイント上がったとはいえ、27%とは僕にすれば驚き。
日本全国を対象にすると、自分の所は影響ないからtと意識が低くなるのか?
危機感が全然ないのは、そういう方向に誘導しているのかと思うほど
市位置が低いのには驚いた。

『景気対策』って、政権交代してからもうすでに1年近く経って、大企業の業績など
数値的には良くなっているような感じがするが、大企業が儲けても肝心の
我々庶民は、景気が良くなったという実感が無いからなのだろうけれど、
ベースアップなんてそう簡単に企業はやらないから、景気が悪くても
物価が安い方が、生活は楽な気がするのは僕だけだろうか?

それよりも『東日本大震災からの復興』の数字が13%と言う数字にはがっかりした。
ついこの間まで、自分もその一員だったのかも知れない。
被災地へ出向いて、初めて知った事が余りにも多かったから。

多分、国民の殆どは以前の僕と同じように、心配はして居るけれど
何とか自力で立ち直って行くだろう・・・
といった、他人事のように受け止めているひとが多いのだと思う。
恥ずかしい話ですが、僕自身がそうだったから・・・・。

景気対策をやって企業に利益を出させ、景気回復を計るのは誠に結構だが、
その利益を内部留保に回せないように、復興予算としての名目で税金を取って
東日本震災からの復興だけでなく、大島や山陰の豪雨被害などの
多くの被災地への支援を加速させる事が『政治』だと思うけれど・・・・
その特別税制も、前倒しして止めると言う。

フィリピンの台風被害も、他人事じゃ無く感じている。
東日本大震災でフィリピンからも支援を受けた日本。
ここで恩を返す事も『政治』だとおもうけれどね。

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東北復興支援プロジェクト『The North Journey REUNION』:早いもので、1週間

2013年11月10日 | Weblog

 

東北復興支援プロジェクト『The North Journey REUNION』から帰京して
早いもので、1週間が過ぎようとしている。
この1週間は、現地へ出向いた時に受けた一種の「カルチャーショック」のような
頭の中に色々浮かんで来ていた事を、忘れないように記録した感じ。

誰でもそうだろうと思うのだが、今回のようなツアーに限らず、
単なる旅行でも、自分の足で出かけた場所の情報に関する事が、
テレビなどのマスコミで取り上げられると、不思議と目に入るものである。

金曜日だったか?今回、我々が出向いてイベントを行った三陸鉄道盛駅の
「ふれあい待合室」の事がテレビ番組で紹介されていた。
もちろん、我々のような無名の人間がやるようなイベントの取材では無いのだけれど
NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』で、一躍国民的アイドルとなった能年玲奈(のうねん れな)が
盛駅のイベントで、三陸鉄道の社員と一緒にダンスをした時の様子が番組で紹介されていた。

以前なら、きっと見落としていたであろう番組。
たまたま見たテレビの番組表に「大船渡」という文字があるだけで、気がついたのも
今回のプロジェクトに参加したからなのだろうと思う。
番組の中で紹介された、イベント会場。ついこの間、我々もここに居たのだとか、
なんだか凄く身近な話題に思えるのも、現地に行って来たからなのだろう。
震災から鉄道復旧までの映像も紹介されていた。
震災直後の変わり果てた街の映像、そこから街の復興を進めて来た際の困難や、
住民たちの足となる鉄道復活への期待が、映像の中からも見て取れる。
この3月に復活した際に涙を流して喜ぶ被災者たちの姿は、本当に嬉しそうで
テレビを見ていて胸に迫るものが有った。

多分、プロジェクトに参加して居なければ見なかったであろう番組。
番組を観たとしても、胸に迫る様な気持も抱かなかったように思う。
そう云う事を考えると、自分の足で出向くと言う事の重要さが判る気がする。

40年来の友人であり、プロジェクトの主催者である市川真間にあるライブハウス
「アルマナックハウス」の鈴木輝雄氏に今回のイベントに参加したい旨を伝えた時、
『参加する事に意味がある』
と言われた時の真意がこれなのだと言う事も理解できた。

そして帰京して出来る事と言ったら、こうして自分で観て来た被災地の事を発信する事と、
被災地の人たちの事にもっと目を向けて欲しい、出来れば自分の目で見て欲しいと
伝える事しか出来ないのかもしれない。

ちなみにこの間参加した「The North Journey Reunion 」の様子が
三陸鉄道盛駅のHPで紹介されていました。
我々のユニットの演奏している写真も載っていました。(^^)
出来れば、唄って前向いてるときに撮って欲しかったけど・・・
コメントがちょっと嬉しかったかな?
良かったら覗いてみてください。
http://pub.ne.jp/fureai_sakari/

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東北復興支援プロジェクト 『The North Journey REUNION』:マスコミなんて、何も伝えていない

2013年11月09日 | Weblog

11/8日(金)の朝日新聞朝刊の記事を見て、「東日本大震災」と言う言葉が見える記事が2つ。
一つの記事は、☆東日本大震災・亡くなった方(社会面)
県警発表の死亡が確認された方の名前が載っているだけ。
記事と言うより、掲示板ですね。

もうひとつは☆「日本の悲しみ癒やせたら」 P・マッカートニーさん11年ぶり来日公演
大震災関連の記事では無いけれど、来日公演の記事のついでにコメントを貰って載せたと言う感じ。
このコンサートは世界ツアーの一環で、日本に立ち寄るだけの話。
故ジョンレノンや、ジョージハリスン、リンダ等のこともひっくるめての公演。
社交辞令とまでは言わないけれど、あれくらいの大物がインタビューされたら、
必ずコメントするよね。と言うより、催促されると思う。

そして震災に関係ある記事を探すと
☆福島沖での調査をIAEAが視察 汚染水問題

これだけです。

東京だけじゃない、日本中のマスコミにとって東北の復興状況を発信する事より
景気がどうだとか、機密保持だとか・・・
僕にとって、命に関わる問題じゃない『食品の偽装』だとか、どうでもいい記事に
マスコミは必死になって喰らいついている。
その食品を食べた時は「美味しかったぁ・・・・」なんて言って、帰ってきたに違いない。
騙されたのが判ったら、次から行かなくなるだけで、後はお決まりの謝罪ショウ。
食べて死者が出たわけでもないし・・・・勝手にやってくれって言う感じ。

今まで、被災地へ行っていなかったから、正直な話、マスコミと同じように
気にはしていたけれど、それだけだった。
でも、被災地の状況を見て、そこで暮らす人たちに会って、気持ちが変わりました。
『何を今さら』ですが、恥を忍んで発信したいと思うようになった。

書いた通り、食品の偽装なんて事は、すぐに命に関わるような事ではないから
問題ではあるけれど自分の首を絞めたようなもの。
それで信用失墜しようが、廃業に追い込まれようが自業自得です。
ところが被災地の人たち、とりわけ老人、子供は命に関わる問題です。

陸前高田であった、懇談会で僕はこんな事を出席者に訊いてみました。
『皆さんの中で、老人の介護をした経験のある方はいらっしゃいますか?』
答えはゼロでした。
僕は、皆さんに話しました。
『老人は住む場所、周りの人間関係が変わると急激に弱る』と・・・・

これは、余命3カ月と宣告されたお袋を、我家で引き受けた時の話です。
お袋にマンションの1室を用意して数カ月暮したのですが、外へ出ようとしない。
出た処で、勝手の違う土地。そして周りには知り合いも居ないから、
お茶のみ話一つ出来ない。いわゆる『監禁状態』に近くなってしまった。

それで、実家に帰してヘルパーさんや近所の手を借りて、一人暮らしに戻してやった。
そうしたら、急に生きる気力が湧いて、化学治療に踏み切り、その後7年も生き続けた。
医者も信じられない程の回復力で、生き続けたのです。

今の復興のスピードは、『老人は早く死ね』と言って居るようにしか思えなくて、
被災地の老人たちの映像を見るたびに、いつも切なくなっていました。
だから、復興のスピードを上げてあげて欲しい。
次の災害に備えて、堤防を作るのを優先しないで『命』を最優先にして・・・・
おじいちゃん、おばあちゃんの希望を出来るだけ早く、叶えてあげて欲しいと思う。

マスコミなんて、何も伝えていない。
復興は、我々が地道な活動をして支えるしかないのかと思ったのでした。

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東北復興支援プロジェクト 『The North Journey REUNION』:復興特需

2013年11月08日 | Weblog

東北の復興状況を見てきて、はて?被災地は東北だけだったか?
などと、思ったりする。
先だっての大島の大雨による土砂災害は記憶に新しいし、
今年に入って、山陰の洪水被害や各地で起きた自然災害も
被災地と言う点では同じような気がする。

ただ、東北の場合は規模が大きすぎる。
支援をしようとしても、隣町まで被災してどこも同じような状況で、
自分の所だけで手一杯だっただろうと想像する。

去年あたりまでは東京でも『東北復興チャリティー○○』などというものを
よく見かけたが、最近ではそう言った類のものは探さないと見なくなった。
そして『チャリティー』と言う名を借りた金儲けが、横行しているのが実情です。

『チャリティー(charity)』とは、慈愛・博愛・同胞愛または慈善の精神に基づいて行われる
公益的な活動・行為もしくはそれを行う組織のこと。
社会福祉、貧困地域の飢餓救済、紛争地域の難民救済、
災害・事故などの犠牲者や遺族に対する支援活動などといった、
社会に対する貢献全般でそれに係る費用は寄付・寄進によって支弁されることが多い。

ところがよく見かけるのは「必要経費等を差し引いた利益を寄付します」という文面。
僕はいつも『えぇ・・・?これって、チャリティーなの?』・・・って思って見ている。
必要経費等を差し引いた利益・・・
と言う事は、自分の懐は痛まない。
必要経費の中に、何が含まれているのか?などの詳細報告も無い
綺麗事言って、しっかり自分の取り分は確保して儲けている・・・・。
いわゆる『インチキ』が凄く多いのが実状です。

例えば、『ビッグネーム』を呼んでのチャリティーコンサート。
ビッグネームはノーギャラでも、音響・照明と言った裏方スタッフは通常通りの仕事をする。
それゆえに、「必要経費等を差し引いた利益」など、殆ど出ないのが実状。
中途半端なタレントを招いて、赤字になってしまった事もあるそうだ。
慈善活動ならぬ『偽善活動』で、単なる売名行為でしか無いのが実態。

被災後に行った、売り逃げの中古車業者や、住宅メーカーの足元を見た商売や
チャリティー等を語った『ちゃっかり便乗商法』は、地元の人にはとっくにバレてしまっているから
そう云った『東北復興チャリティー○○』とかには、冷めた目で見ている。
まぁ、国会議員などの政治家もゼネコン絡みだったりで、この時とばかりに
『復興特需』を享受している胡散くさい人間が
うようよいる事も、復興支援に出かけて解った事だった。

我々がやった被災地でのアマチュアミュージシャンによるライブ。
そんな事も有ってか?東京から来た我々も同じように観られたのかは定かではないが、
初日から2日目までは、なかなか聴きに来る人が集まらなかった。
そんな状況だから、最初は会場に居るスタッフや出演者で盛り上げるしか無かった。

それでも、地元の人が徐々に見に来てくれて、やった意義が有った気がする。
最終日の屋台村での打ち上げライブは、屋台村の人たちやお客さんが集まって盛り上がった。

このイベントは、前出の『インチキチャリティー』とは違って、イベントの必要経費は
みんなから集めた会費で賄い、身を切った活動をして来た。
地元のホテルに宿泊し、飲食で金を落とす。
僕個人だけでも、宿泊費以外に、現地で使った金は3万円弱。
100人近く出向いたから単純に数百万円の金を、現地に落として来た事になる。
各会場では、ちょっとしたワークショップや、出店を開いて小銭を稼ぎ、
稼いだ金は、微々たる金額かも知れないけれど、地元の商店会に寄付金として贈呈して来た。

こう云った地道な活動でしか、被災地の人たちの『心』は癒せない気がした。
小さな運動がどんどん広がりを見せてくれたら・・・・と思う。
自分の体を動かし、汗をかいて何かをする。
『The North Journey Reunion』は、間違いなく『インチキチャリティー』とは違って居た。

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東北復興支援プロジェクト 『The North Journey REUNION』:人との出会い2

2013年11月07日 | Weblog

このツアーで、『StillWaters』と名乗る、一人のギター弾きと出会いました。


StillWaters・・・日本語では淀水と言うのだろうか?
本名は平川君と言うそうです。
平川⇒FlatWatersと訳してしまいそうですが、僕と違ってセンスありますね。

彼が演奏するのは「SlackKey」と言われるオープンチューニングの奏法。
ハワイの音楽は、殆どと言っていいほどこの「SlackKey」で演奏される曲が多い。
このギターの特徴は、オープンチューニングで独特な開放弦の音。

昔、ハワイではこの奏法をむやみに公衆の前で演奏したり、
他人に教えたりすることをタブーとされて居たらしく、
ひっそりと家族や親族等一部の演奏者の間でのみ伝えられてきたと言う話です。
また、スラッキー・ギターは、あまりにも心地よい音色で人の心を魅了するので、
その奏者は特別な力を持った魔術使いのように思われていた
というような昔話もあるそうです。

若い頃に何度か行ったハワイで、ホテルや街中で聴いた音楽が凄く心地よくて
その秘密を探ってみると、スラッキー・ギターの音にあった事に気が付いた。

僕の好きなバンド「Doobie Brothers」のジョン・マクフィーとパトリック・シモンズが
この「SleckKey」に凝っていて、ライブでも必ず「SlackKey」で演奏する事も手伝って、
ずっと以前に、この「SlackKey」のギター奏法を覚えようか、
それとも憧れのペダルスチールを覚えようか?迷って居た時期が有った。
ペダルスチールは高価なうえに、場所を喰う。
そんな経緯でペダルスチールを諦めたと同時に、
もうひとつの「SlackKey」もいつの間にか聴くものになっていました。

その忘れかけていたスラッキー・ギターを弾く、StillWaters。
奏者としてはまだまだなのだろうけれど、聴いていて心地いい。

とにかく開放弦が鳴るギターじゃないと、演奏も物足りない。
今回SrillWatersが使用していたギターは『Larrivee(ラリビー)』
このギターは
「対照的なブレーシングパターン」と、
「90 度のブレーシングとブリッジに対して平行なトーンバー」を採用しているらしく、
実際の音を聞いてみると低音域は深く、中音域は力強く、高音域はクリアな、
サウンドのバランスが凄く良いギターでした。

僕の所有しているギターで、最近はめっきり使わなくなったMartinD-35。
このギターの実力を発揮するには、このスラッキー・ギターがお似合いかも?

そんな事も有って、彼の演奏を待って、聴いた後に移動しました。
何だか、凄く気の良い若者で、また何処かで会えたら良いなと思う好青年。

考えてみたら、この東北復興支援プロジェクト 『The North Journey REUNION』
に参加した仲間は、全て好人物だった。
100人も集まると必ずと言っていいほど、おかしな輩がいるのだけれど
このプロジェクトの参加者は、志が同じと言う事なのでしょう。
そう云う意味でも、ここで一緒になった人たちは「仲間」だと思いました。

大船渡のバンド仲間とも、また来年会うのが楽しみです。
この復興プロジェクト『The North Journey REUNION(再会)』の名に相応しい
良いイベントツアーだった気がします。

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東北復興支援プロジェクト 『The North Journey REUNION』:人との出会い1

2013年11月06日 | Weblog

東北復興プロジェクトは、ひとまず終了して解散しました。
また来年まで、それぞれの生活に戻ります。

今回のツアーで、色々な人に出会いました。
一緒にバスで出かけた30名。
ライブハウスの出演者なので、概ね顔は知っているけれど、
実際に話をしたりは、初めてと言う人の方が多かった。
一つの目的に、それぞれのスタンスで集まって、唄を持ち寄る。
現地のミュージシャンとも交流できたし、レベルの差こそあれ
皆で盛り上げて、色々な意味で良い旅になりました。

ツアー以外の所で知り合った人と言えば、屋台村のお好み焼き店
『なにわ屋』のご主人、新山さん。

元々、アパレル関係で働いていて、その後は色んな仕事をしながら
15年前に大船渡の街に住みついた御仁。
自分の仕事に拘りが有って、いつも研究している・・・・。
それだけに、この店で食べたものはすべて美味かった。
たかがお好み焼き・・・・されど、お好み焼きである。

このオヤジと話をしていると、何故か心が癒される。
そんな訳で、最初の日に食べた豚丼(地元四元豚を使用)と、ラーメン、
陸前高田の『ジャズハウスジョニー』の昼食会で食べた時の3回以外は
大船渡で食べたものはこの店のものだけだった。
もちろん、美味しいからなのだけれど、それでけじゃなかった。
向かいの店でラーメンを食べて店を出た時も、オヤジの顔が目に入り、
オヤジの店の前を素通りできない・・・丁度、お客さんも居なかったし・・・
そんな感じで、ついつい店に入ってしまうのです。

満腹なので珈琲を飲みに入ったら、「ここは喫茶店じゃねぇ」と言いながら、
注文に応じてくれる。
我々も、格好つけてハイボールとつまみを頼む・・・
すると出て来たのは、滅茶苦茶濃いダブルのハイボールだったり・・・

でも、オヤジさんから聞いた大船渡の話は、凄くためになった。
オヤジさんいわく、普段は外部から来たお客さんには話さないそうだ・・・
そりゃそうだよね。
僕らみたいに、復興絡みのイベントで3日間居て、仲良くなったからでしょう。

この屋台村、来年の12月で閉鎖になり、その後は自分で店を開くしかないそうで
今から借金して店をやるほど金も無いし、体力も無い。
結果として、この機会に、長年やってきたお店を畳んで、廃業するそうです。
でも、ちっとも寂しそうじゃない。

『一人もんだから、残りの人生は好きな事やって楽しむわ・・・』

このオヤジのように苦く悲しい経験を乗り越え、怒りを忘れ、不安をなくし…
生きていて感じるそんな『嫌な気持ち』は、僕の場合いつまでも心にまとわりついて
なかなか忘れられないのだけれど、このオヤジを見ていると、
嫌な事を忘れたり無理に取り除くのでなく、意識的にしかも自然に「手放す」術を
身につけているような・・・・ここでも、関西出身の『東北人』の強さを感じました。

しか~し、可愛い子のいる店で、女の子と交流して、メアド交換・・・・なんて、
ちょっと淡い期待をしていたのですが(笑)・・・甘かった・・・・
蓋を開けてみればメアド交換したのは、このオヤジとだけだった・・・・とほほ

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東北復興プロジェクト4日目『僕らに出来ることって、いったい何なのだろう?』

2013年11月05日 | Weblog

復興支援プロジェクトは、いろんな意味で参加して良かった。
しかしながら、大船渡は瓦礫の処理がひとまず終了しているものの、
本当の復興はこれからで、まったく進んでいないというのが実状です。

現地の人に色々と話を聞いたりしてきました。
現地に行って、最初に思ったのが「○日本住宅」や「○○ホーム」といった
大手住宅メーカーの営業所が転々とあることでした。
震災特需ですね。
住宅は基本的に自己負担。補助金は200万円ほどしか出ないそうで
そんな金で家を建てられる場所があったら見たいものです。

おまけに足元を見るように、建築費も高騰しているそうです。
元々、大船渡では坪40万円も出せば立派な家が建ったそうですが
今は最低でも坪60万円。資材の高騰が理由とか・・・・

震災で最初に来たのは中古車の業者。
中古車を相場より高い値段で売っただけで、後は知らんぷりして
売り逃げしちゃったらしい。

仮設住宅もプライバシーが無いくらい、隣の家の音が筒抜け。
避難所で数ヶ月、仮設住宅も2年が経過して、ストレスで精神的に
おかしくなって、鬱になる人も増えているとか・・・・
寝られれば良いなんてレベルのものを与えて、終わりにしてるのは
売り逃げした中古車業者と、大して変わらない。

ところが中国の支援で作った仮設住宅は、質が良くて、
生活音も気にならないという話。
あの、軽蔑している国に作ってもらった住宅のほうが良いなんて
屈辱的な事だって、日本の役所や政治家は思わないのかね?

復興を担っているダンプは県外から来ている車ばかり。
東京オリンピックで、この連中はみんな居なくなるって地元では言ってる。
たぶん間違いなく、そうなってしまうんだろうな・・・・

いかにも復興のために、きれい事言って実はしっかり儲かる部分にだけ関わって
金儲けする『復興特需』というものを目の当たりにして、本当に腹立たしかった。
そんな状況でも、東北人は我慢強く、歯を食いしばってがんばっている。
本当に東北人は強い。決して、卑屈になっていない。
しっかり前を向いている。
誇り高き東北人・・・・本当に心から尊敬し、感動させられました。

僕らに出来ることって、いったい何なのだろう?
そんなことを相方と夜遅くまで話をしました。

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東北復興プロジェクト3日目:「陸前高田市の復興状況」

2013年11月04日 | Weblog
まるでSF。
これが陸前高田へ行った印象でした。
3年前まで、人が住み、駅前に商店街や住宅地が有って、
人々の活気が溢れていた。
その町が、一瞬のうちに無くなってしまった・・・・・
というのは、インターネットや報道で知っていたこと。
友人のミュージシャン「ヤナギ」さんのHP
http://homepage2.nifty.com/m-yanagi/takada.html
に、まさにそのショッキングが写真が有ります。
でも、実際にその現場に立つと、驚きを通り越して、
夢でも見ているかと思うほど・・・・
写真で見る情報なんて、本当に何も伝わっていないことに気がつきました。

この後は自分が撮った写真とコメントを載せます。
最初の3枚は地図にある箱根山の展望台から南方向の様子です。
写真は地図の下のほう、恵比須崎と太陽崎が津波によってすべて無くなった部分。
広田岬のある広田町は完全に孤立した事で有名になった場所です。  
 
 
 
 
 
そして、市内の沿岸部。

道の駅「高田松原」
 
 
 
 
奇跡の一本松。いまや観光地です。

被災者の追悼施設。驚くような写真が有りました。

定住促進住宅跡。この4階まで津波が来た跡が残ってます。

ここからは市内の中心地だったところ。
このビルの屋上に、津波の来た高さが書いてある看板が有ります。
 

黒く見えるのは、いまだにある瓦礫の山

瓦礫の奥に、一本松が見えます。


最後に観光協会の人と、「ジャズタイムジョニー」で懇談会をやりました。
被災地の現状や、被災のときの体験談を観光客に話しているそうです。

昨日も書きましたが、復興なんて全然進んでいないのが実情です。
2年半経って、この程度。この有様と感じました。
政治や役所に任せている間に、年寄りはどんどん弱って行く。
僕には『年寄りは早く死ね』と言っている様に感じるスピードです。

やっぱり、可能なら自分の目で見て欲しいですね。
復興なんて全然進んでいないです。
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東北復興プロジェクト2日目:復興なんて、全然進んで居ない

2013年11月03日 | Weblog
昨夜は1時過ぎに寝たのですが、6時前に目が覚めて、
ホテルの窓から朝日が昇る直前の大船渡です。

休みの日だからなのか?昨日から人が歩いているのをほとんど見ない。
こちらの人はほとんど車で行動するとの事。
町の中心地が被災して、復興というには程遠い状況では
仕方が無いことなのかもしれませんね。

昨日は2ヶ所で2回の演奏をしたのですが、
今日は午後からJR盛駅前で、一回のみの演奏でした。
そんな訳で、今日は市内を歩き回って震災の爪あとを
自分の目で見てきましたが、本当に驚くのみです。

今日撮影した写真です。コメントを見てください

ホテルの朝食、僕は和食、相方は洋食を注文。
普段、僕が食べる一日分くらい量が有った。
 

津波で壊れた堤防。
コンクリートが引き剥がされて、中の鉄筋が曲がってしまっているなど、
とにかく、こんな壊れ方、重機を使っても出来ないでしょう。
改めて津波の破壊力を目の当たりにした感じです。




丘の上にある神社から見た大船渡の町。
真ん中のプレハブが、ライブ会場の屋台村。

街中を流れる川に、鮭が遡上していました。
写真では真ん中あたりに写っていますが、見えますかねぇ・・・
震災で唯一良くなった事は、皮肉なことに海や川が綺麗になったこととか。
人間の生活が元通りになると、またこんな光景は観られないのかも知れません。


今日の演奏会場だったJR盛駅。盛から南は、鉄道の敷地を専用道路にした、BRT(Bus Rapid Transit:バス高速輸送システム)が走ります。

北へは吉浜というところまで、この春に鉄道が復旧したそうです。
「あまちゃん」で話題になった線路は北の方なので、これとは違います。

同じく話題になった「フェスティバルトレイン」。

今回はこの列車をチャーターして、社内でライブをやりました。
我々は、演奏時間が重なってしまい乗れませんでした。

大船渡に来て思ったことは「東北人は強い」ということ。
我慢しすぎって言うくらい、本当に強いです。

復興なんて、全然進んで居ない。
東京から来て、金儲けしている連中がうじゃうじゃ居ます。
これは帰ってからゆっくり書きましょう。

今日は楽天が優勝して、ちょっと盛り上がったかな?
ほんの少しでも東北が元気になる事を祈るのみです。
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東北復興プロジェクト1日目:実物を見ないと判らない・・・

2013年11月02日 | Weblog
東京を出てから、9時間。大船渡に到着しました。
来る前に聞いていた情報では、瓦礫の山がほとんど無くなって
少しずつだが、町の復興が進んでいると聞いていたのですが、
実際に着いてみた時の最初の印象はそんな感じでした。

確かに町は動いているし、仮設住宅も出来上がってそう見える。
ところが、よく見てみるとそうじゃない。
人から聞いた情報で、先入観があるからそう思ってしまうだけ。
道路は出来ているけれど、元の歩道は1m下にある。
地震で液状化などが起きて、地盤沈下したためにまず埋め立てて
道路を作ることから始まった。

瓦礫になってしまった家は、土台から上をごっそり持って行かれ、
その後にはコンクリートの土台だけが残っていたり、土台ごと無くなったり。
とにかく写真でどれだけ伝わるか?判りませんが見てください。
ホテル前。奥に見えるのは被災した建物
ギターを背負って歩く、相方の後姿(これくらい地盤沈下してます)
 
3年経ってもまだ傷跡が生々しい写真館の跡らしき建物。

眠気と戦いながら、午前中に大船渡屋台村の特設ステージで演奏。
僕たちの演奏は12時20分から持ち時間20分。
お客さんはスタッフを入れて20人前後。
4曲演奏して時間が余ってたのだけれど、気持ちに余裕が無くて
構わず、予定通り終了しちゃった。

午後は15時20分から、北にある盛駅前に移動して二度目の演奏。

ここでは5曲演奏。それでも余計なMC(話)を入れないでやったから
やっぱり時間が余っちゃった。
今日は、相方のギターのピックアップが調子が悪くマイクで音を拾ったのと
屋外で音のバランスが今ひとつ判らなくて苦労したのですが、
僕個人としては珍しくミスが無い演奏が出来ました。

屋台村の飲食は総じておいしいです。
昼は四元豚の「豚丼」、夜はお好み焼きで「イカねぎ焼き」で一杯。
このあたりは明日、紹介しましょう。

今日は一日、眠気との闘いでしたが、寒さは思ったほどでなく
いい天気に恵まれた初日でした。
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東北復興プロジェクト:旅の始まり・・・

2013年11月01日 | Weblog

いよいよ、東北復興プロジェクトへ出発です。
夕方、高円寺で練習をやって、市川まで移動。
夕食を食べて、集合場所へ行きました。

市川を出発したのが10時過ぎ。
三郷インターから、東京外環を使って東北道へ。
出発後2時間半のところで今、最初の休憩を
宇都宮の北にある、上河内サービスエリアで取りました。

栃乙女のソフトクリームを食べて、一服です。
恐ろしいほど、星が綺麗に見える夜です。
空気も冷たくて、明日の朝は冷え込みそうです。

今回は相方と、スタジアムジャンパーでのお出かけ。
相方のスタジャンは、いわゆるアメリカの学校で貰った『本物』。
僕のは、単なる真似をした『偽者』です。
相方に聞いた話では、スタジャンはスポーツ観戦用の上着としてあるそうで、
どうりで毛布のような厚いフェルトで出来ていると思った。

約、30分の休憩の後、消灯して途中で2回ほど休憩を取って
岩手県の大船渡へ向かいます。
約9時間の予定で、朝の7時頃に到着する予定。

色々な思いを持って、震災の被災地を見てきます。
出来る限り、写真を撮って皆さんにお伝えするつもりです。

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