新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

北の国から2022初秋〜13

2022-10-14 19:49:45 | 旅行
9/21は稚内を離れる日。しかし天気予報では晴れるとの予報なので、まだ暗いうち5時前にホテルを出て車を走らせます。

やってきたのは日本最北の木造駅舎の無人駅。抜海駅です。利用客数が少ないため存廃論議が展開され、とりあえず稚内市の補助によりしばらくは存続するようです。早朝にやってきたのは稚内を0521に発車する名寄行き普通列車を撮影しようとの魂胆。到着すると誰もいませんでしたが、すぐに同じ目的のレンタカーが一台やってきました。
抜海駅は抜海村の利用客のために作られた駅ですが、その抜海村の集落は2キロほど離れた位置にあり、駅前にも数軒の民家がありますが、住んでいる気配があるのは1軒のみ。その家の前にも車があるのでおそらく鉄道利用はしていないのでしょう。そんな状況なので廃止の論議がされるのもやむを得ないかと思われます。

稚内0521発の名寄行きが0538に抜海駅に到着。キハ54型ディーゼルカー1両だけのワンマンカーです。

驚いたことにこの列車から下車した客が3人もいました。おそらく駅目当ての旅行者と思われますが、次の列車は稚内行きが約2時間後の0750発。名寄行きにいたっては5時間後の1046発までありません。飲み物の自動販売機すらないこの駅で彼らは一体どうやって過ごすのでしょうか。

そんな心配をよそに木造駅舎を観察します。風雪を耐えてきた駅舎は風格があります。
駅舎を見てから待合室に入ってみると、旅行者が置いていった様々なものがありました。そして駅舎内に貼られていたポスターが古いもので、今は走っていない列車なども載っているものでした。

駅舎を観察して周辺をぶらぶらしてから車に戻って稚内市内へと戻ります。もう一人の車組も撮影を終えると帰っていったので、列車組の3人が残る形ですが、三者三様、時間まで駅を楽しむようです。

車を走らせ稚内市街地への坂道を登り、夕日ヶ丘駐車場に寄り道。朝の景色の中に利尻島、礼文島の姿が綺麗に見えていました。

海越しの利尻島。昨日とは違い雲ひとつない空に利尻富士が映えていました。利尻、礼文の景色を撮ってから稚内市街地へ戻ります。

ホテルに戻る前に南稚内駅へ寄り道。稚内駅よりも南稚内駅の方が繁華街に近いのですが、朝なので閑散としていました。窓口が開くのを待って入場券を購入。

南稚内駅のそばにある車両基地で滞泊をしていたキハ261系気動車が稚内駅への回送を待っていました。稚内0636発の特急サロベツ2号になる列車でしょう。南稚内駅からホテルへ戻り朝食を食べて、支度をします。
 

鉄道150周年

2022-10-14 18:44:00 | 鉄道



1872年10月14日(旧暦9月18日)、本邦初の鉄道が新橋ー横浜間で開業の日を迎えました。14日は開業式と特別列車の運転のみで、旅客取扱いは翌15日より始まりました。

それから今年で150年。
鉄道は人々の暮らしを変え、時間というものを日本人に意識させました。
開業当時の新橋ー横浜間は53分。現在は京浜東北線の電車で新橋ー桜木町間は41分で結ばれています。



新橋ー桜木町間の開業時からある駅、新橋・品川・川崎・鶴見・桜木町の各駅の京浜東北線の駅名標は鉄道開業150年特別仕様となっています。

開業時の新橋駅のあった場所は汐留シオサイトになっており、復元された旧新橋停車場や0哩標識があります。0哩標識は本邦鉄道の最初の一杭が打たれた場所。鉄道記念物に指定されています。

一方横浜駅のあった桜木町駅には、駅の南側にひっそりと鉄道創業の地の記念碑が立っています。
その記念碑のある北側には先ごろ、新たに150年前にイギリスから輸入された蒸気機関車110号が移設保存されています。1号機関車は交通博物館から鉄道博物館へと保存されていますが、110号機関車は青梅鉄道公園に保存されていたのを復元整備して、横浜の地へ里帰りさせたものです。機関車の周囲には創業時の鉄道の様子などが模型などで展示されています。



新橋駅で忘れてはならないのが、改札内の横須賀線・総武線快速電車乗り場へ通じる階段に飾られたステンドグラス。横須賀線東京ー品川間地下化の際に作られたもので、鉄道創業の地新橋をイメージしたものになっています。