小さな我と大きな我。どっちで生きていったほうがよろしいのかねぇ(笑) あ、我は蛾のことではない。虫がつくとつかないのとでは、大きな違いがあるからでっせ。
教えない。
怒鳴ってばかりいる。
イライラしている。
子どもを虐待してしまう。
こんな方々がいると聞く。むろん親のことである。他にもいろいろな親の特徴があるだろうが、その一端でもある。
実は、昨日副業で授業をさせていただいている大学の授業で、動画を見せながら議論していた。生徒の方からTeacherへ暴力を振るっている動画を五本。どれも短編の動画である。西洋のものもある。日本のものもある。体罰とからめて議論してみた。
結論から言って、Teacherに重みがない。さらに、感情的になってしまって「教え」がない。人間は、怒鳴ったって聞く耳持たないやつは、モタナイのである。モタナイから、怒鳴る。怒鳴るからますます人間関係が破綻していく。
破綻したあげくは、それを他人の責任にする。オメェが悪い、アンタが悪いという展開になる。
ここには、「自分が悪い」というのがまったく出てこない。笑っちまうほど出てこない。ミンナ、他人が悪いのである。
自分だけが聖人君子、道徳的に立派であるというウヌボレがある。
小さな「我」で生きているからこうなる。「我」とは、自分だけのことである。わがまま言って、やりたい放題、他人のワルクチは言い放題。威張ってばかりいて、世間に毒をまき散らしていることすら気がつかない。自分の吐いた毒に逆にやられているのだ。アタマがである。
メリットがあるからやるという人が多い。これもまた「我」である。デメリットがあるなら、なんにもやらないという方である。
ボキはこのメリット・デメリット論というのはいっさいやらない。アホらしいからだ。そんなことを言っていたら明後日になっちまう。
時間の無駄である。
もっと大きな「我」で生きていきたいからでもある。
他人のことなんか、眼中にないほどマイペースで生きていきたい。その傾向はかなりあるが。若い時からである。マイペースなのだ。それになんとワルクチを言われようとも、ちっとも気にならない。たまに、ボキのブログにメールをくれる人がいて、なにが苦学した?だのと書いてくる御仁がいる。笑ってしまう。ボキのようなジジイブログが気に入らなければ見なければいいではないか。頼んだわけでもあるまいし。気に入られるためにこんなブログをやっているのではないからだ。
一つの記事は大体1000字以上あるからだ。それこそ時間の無駄である。ボキなんか無視してくださっておおいに結構である。結構毛だらけ、猫灰だらけである。ケツの周りは**だらけである。相手にしなければ良いんですよん。こんなジジイの打鍵したブログなんぞ。
わははっははっははははははっははっはははっははは。
さ、今日も塾がある。今朝も4時30分に起きてすでにウオーキング9000歩過ぎた。
おとなしくしていよう。今日も。
明日も千葉市に出かけなくちゃアカンから。
昼寝でもしようっと。
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