と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

複数のわらじを探すのには

2018年07月18日 18時59分35秒 | とーま君の流儀2018

ボキも、ハローワークの会員になっている。定年後にチャレンジしてみたのである。定年後にどういう会社がやとってくれるかという興味関心があったからである。

しかし、惨敗の連続であった。

なにしろ面接までたどりつかない。書類で落とされる。試験も受験できない。門前払いである。

なんとなくそれは妥当だろうと思っていた。なにしろ、ボキは学歴もお粗末である。そして、定年を設定していないという会社でも、ボキの年齢になると厳しい。実は定年はないと言っていても裏にあったのだ。定年が。

補助金が出るらしいのだ。定年してからのジジイを雇用すると。書類上そうなっていると言った方が正確なのだろう。

面白いシステムだ。

後は、いままでやってきた得意な分野でチャレンジしてみたら、けっこうあったのだ。これもまたおもしろい結果であった。

あれだけ面接までたどりつかなかったのに、けっこうなオファーが来た。

得意な分野で勝負したからであろう。教育である。

しかも、定年がない。本当になかったのだ。

最後は、自宅を開放して塾でもやろうかと思っている。バーゲン塾である。

 

わはははっははははははっははは。

(=゜ω゜)ノ

 

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定年後は複数のわらじをはこう!何足あっても良いからだ。定年後から75歳までは黄金の15年間である。

2018年07月18日 18時10分27秒 | とーま君の流儀2018

わらじは何足でもOK。ただし、定年後の話であるけどねぇ。現役時代は難しいですから。ナカナカ。

 

 

定年後に二足のわらじならぬ四足のわらじを履いている。そう、ボキのことである。むろん定職についているわけではない。アルバイトである。

これってふざけていると言われることがたまにある。

ひとつのことに専念できないでなにが複数のわらじだというわけである。歴史の会でも言われた。いろいろなことをやっているからである。やりすぎだとも言われた。しかし、ボキは歴史「も」素人である。なにをやっても素人なんじゃよ。まったく、どうしようもないけど。

でも素人だからできることもある。何事も行動である。行動してみて、ダメだったら一からやりなおせばいいだけだ。それを自信がついてからやるとか、成功率70%でないとチャレンジもしないという方々が多すぎるのだ。自信なんて、やってみて、ぶつかってみなくちゃできない。むろん計算・努力した上でチャレンジしてみることという前提つきだけれども。

なんだか日本人というのは、そういう完璧主義というか、マジメさを尊ぶというか、ある一定の枠に閉じ込めておくのが好きような気がする。ボキだって、あくまでバイトでやっているというのに、大学の非常勤講師だけをやっているんですか?とか言われる。そうではないのである。他にも稼いでいるのだ。通信制高校と塾、それに交通安全の講師である。そっちの方はまったくわかってくれない。非常勤講師というのは、非常勤だからやれるのである。正式な職員ではないのである。肩書きにもならない。そのあたりは割り切っているつもりだ。マジに。

それは長い間の幕藩体制で、庶民を土地に縛り付ける必要があったからだろう。

むろん、ボキも現役時代は副業禁止の法律があるからやらなかった。しかし、ボキは昔から複数のアイデンティティを持つことに憧れていたから、着々と定年後の準備をしていた。教師をしながら、複数の大学院に通った。おっと、正確には通信制大学院である。専門学校でも学習した。中央仏教学院である。京都の西本願寺の学校である。いちおう基礎課程だけは卒業した。

現役時代から二足のわらじであった。

悔いはない。

今まさに複数のアイデンティティを満喫しているからだ。

 

今日も千葉市にある通信制高校で授業をやってきた。生徒も、ボキの顔を覚えていて、挨拶をしてくれる。今日も洗面所にいたら、一年生の男子がこんにちわぁ~~と挨拶してくれた。嬉しいモノである。

千葉駅まで帰る途中で、スマホに電話がかかってきた。今度は、某大学の教務課からである。前期試験の打ち合わせであった。

暑い中をスマホ抱えて、話をしていた。汗びっしょりになっちまった。荷物もあるし、千葉市は暑いし。

で、明日は夜になったら学習塾である。こっちも複数のアイデンティティである。塾も楽しみなアルバイトである。生き生きしてくる。なにしろ若い人たちと会話をしていると、活力がみなぎってくるから不思議なものである。

 

ともかくボキは、「と~ま君」という芸名の下、好き勝手に定年後の15年間を生き生きと過ごさせていただいているのだ。実にありがたいことだ。

「と~ま君」とい芸名でもって、ホンネを書かせていただいている。こういう定年後の過ごし方をしているジジイもいるということを、不特定多数の方々に読んでいただいているのである。

ありがたいことである。

そして、思い切ってこういう姿をさらしていって良かったと思っている。定年後になにをしたら良いかと迷っている方々に多少なりとも参考になっているらしいからである。

ボキの場合は、家庭に閉じこもっても良かったのだが、それは止めた。なにしろボキの妻は(漱石センセはこれをサイと読む=あの怖ろしいサイのサイではないけど)、料理のセンセで完璧主義であるからだ。そういう大先生に朝から晩まで教わっていたら、ノイローゼになっちまうではないか。

複数のわらじをはいていたから、閉じこもらなくても良かったのである。

 

わはははっはははっははっはははっはははっはははっは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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ボキのブログの記事は長すぎなのかねぇ・・・トホホ

2018年07月18日 07時01分13秒 | とーま君の流儀2018

ほぼ同年の方々のブログを読むと、人気ブログにかぎって

記事が短い。

さらにある。一行空きなのだ。これは読みやすい。

なるほど。

シンプルなのが良いのだ。

そりゃそうだ。

ボキのブログのような駄文につきあっているヒマはないか

らである。

しかし、ボキは自分のために「も」書いている。つまり伝

えるという言い方をしていない。もっと言えば、上から目

線でやっていない。「伝える」というのは不遜である。牧

師じゃあるまいし。

(^Д^)

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7月17日(火)のつぶやき

2018年07月18日 06時24分57秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/