わらじは何足でもOK。ただし、定年後の話であるけどねぇ。現役時代は難しいですから。ナカナカ。
定年後に二足のわらじならぬ四足のわらじを履いている。そう、ボキのことである。むろん定職についているわけではない。アルバイトである。
これってふざけていると言われることがたまにある。
ひとつのことに専念できないでなにが複数のわらじだというわけである。歴史の会でも言われた。いろいろなことをやっているからである。やりすぎだとも言われた。しかし、ボキは歴史「も」素人である。なにをやっても素人なんじゃよ。まったく、どうしようもないけど。
でも素人だからできることもある。何事も行動である。行動してみて、ダメだったら一からやりなおせばいいだけだ。それを自信がついてからやるとか、成功率70%でないとチャレンジもしないという方々が多すぎるのだ。自信なんて、やってみて、ぶつかってみなくちゃできない。むろん計算・努力した上でチャレンジしてみることという前提つきだけれども。
なんだか日本人というのは、そういう完璧主義というか、マジメさを尊ぶというか、ある一定の枠に閉じ込めておくのが好きような気がする。ボキだって、あくまでバイトでやっているというのに、大学の非常勤講師だけをやっているんですか?とか言われる。そうではないのである。他にも稼いでいるのだ。通信制高校と塾、それに交通安全の講師である。そっちの方はまったくわかってくれない。非常勤講師というのは、非常勤だからやれるのである。正式な職員ではないのである。肩書きにもならない。そのあたりは割り切っているつもりだ。マジに。
それは長い間の幕藩体制で、庶民を土地に縛り付ける必要があったからだろう。
むろん、ボキも現役時代は副業禁止の法律があるからやらなかった。しかし、ボキは昔から複数のアイデンティティを持つことに憧れていたから、着々と定年後の準備をしていた。教師をしながら、複数の大学院に通った。おっと、正確には通信制大学院である。専門学校でも学習した。中央仏教学院である。京都の西本願寺の学校である。いちおう基礎課程だけは卒業した。
現役時代から二足のわらじであった。
悔いはない。
今まさに複数のアイデンティティを満喫しているからだ。
今日も千葉市にある通信制高校で授業をやってきた。生徒も、ボキの顔を覚えていて、挨拶をしてくれる。今日も洗面所にいたら、一年生の男子がこんにちわぁ~~と挨拶してくれた。嬉しいモノである。
千葉駅まで帰る途中で、スマホに電話がかかってきた。今度は、某大学の教務課からである。前期試験の打ち合わせであった。
暑い中をスマホ抱えて、話をしていた。汗びっしょりになっちまった。荷物もあるし、千葉市は暑いし。
で、明日は夜になったら学習塾である。こっちも複数のアイデンティティである。塾も楽しみなアルバイトである。生き生きしてくる。なにしろ若い人たちと会話をしていると、活力がみなぎってくるから不思議なものである。
ともかくボキは、「と~ま君」という芸名の下、好き勝手に定年後の15年間を生き生きと過ごさせていただいているのだ。実にありがたいことだ。
「と~ま君」とい芸名でもって、ホンネを書かせていただいている。こういう定年後の過ごし方をしているジジイもいるということを、不特定多数の方々に読んでいただいているのである。
ありがたいことである。
そして、思い切ってこういう姿をさらしていって良かったと思っている。定年後になにをしたら良いかと迷っている方々に多少なりとも参考になっているらしいからである。
ボキの場合は、家庭に閉じこもっても良かったのだが、それは止めた。なにしろボキの妻は(漱石センセはこれをサイと読む=あの怖ろしいサイのサイではないけど)、料理のセンセで完璧主義であるからだ。そういう大先生に朝から晩まで教わっていたら、ノイローゼになっちまうではないか。
複数のわらじをはいていたから、閉じこもらなくても良かったのである。
わはははっはははっははっはははっはははっはははっは。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ