ベテランの古文書講座受講生に生涯学習の本筋を見させていただいた。ボキなんぞ、まだまだ小僧っ子である。情けない・・・・トホホ
古文書講座に行ってきた。
ベテランの受講生におおいに刺激された。なるほど、年をとっても記憶力というか、暗記力というか、それなりに凄い方はおられるものである。そう思った。しみじみと。
ボキなんかかなわんなぁと思い知らされてしまった。
なんであんなにスラスラ読めるのじゃろぉ~~~と思った。そして我が身のふがいなさにがっかりである。
講座が終わってから、ベテラン受講生にお聞きした。そしたら、なんと予習を二時間もなさってくるのだそうな。
これじゃぁかないっこないですな。
二時間。
それにしても凄い!
生涯学習の鏡である。こういう意欲を持たなければアカンですな。その方の孫殿は、現役で東京大学に進学していったのだそうな。むろんご本人はそんなことはおくびにも出さない。ボキの隣の席にいる男性に聞いたことである。
血は争えないのであると思った。
あああああああああああああああああ。
ボキなんか、病気で某大学大学院を中退してしまったアホである。
ボキの血は、そういう血なのかねぇ~~~~。
ま、しょうもないか。
さらに思った。東大に進学できるくらいだから、ボキのように苦学してやっとこすっとこ進学しているようなアホとは違うんだろうと。やはり経済力がバックにないと東京に出て、遊学できるわけもないのじゃ。
最初から勝負あったんでは、おもしろくもなんともないが、世間はそういうことになっているのかねぇ。
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で、思ったのが「老年的超越」の「超越」である。
こういう世間のしがらみというか、くだらない経済力だのなんだのと言っているうちは、「超越」なんでクチが裂けても言えないってことである。
まだまだである。
まだまだボキは悟りの境地には程遠いようである。
わはっっはははっははははっはははっはは。
それにしても、古文書講座の先輩方は立派である。
ボキのように、くだらない毒舌を吐いて一人粋がっているようなことはなさらない。世間を斜に見て、いろいろと嫌味を言ったりもしない。
ひたすら、いにしえの文書を眺め、読み解かれておられるのだ。ここに生涯学習の真の姿を見させていただいたねぇと思った。
マジに、ボキは小僧っ子である。
まだまだ生臭い。
まだまだとらわれている。
さらに古文書の相手が、有名なる大原幽学先生である。毎回読ませていただいている古文書に、鼓舞されてしまう。今日もそうだった。
どんなに時代的変遷に巻きこまれようとも、世間の欲得とは無縁の方であったとボキは思っている。
教えていただいている会場の学芸員の先生方にも、ホントウにいろいろとご指導をいただき、感謝ばかりしているのだ。佐倉の歴博の研究紀要も見せていただいたし。その紀要のトップバッターで、この会場の学芸員の先生が書かれた論文が読みたかったからである。
世の中には、優れた方々が多いものである。
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明日からすぐ超越できるほど単純なものではないのだけれども、見つめ直しの旅にでも出たいもんである。
がぁ~~~~んと殴られるほどの旅に。
それにしても、いい一日でありました。
Bye-bye!