再検査を午前中やった。さらに、退学した某大学での徒然草の講座(社会教育センターで)を聞きに行った。太平洋の潮騒の音を聞きながらクルマを運転して。
東洋一の巨大病院に再診に行って、結果オーライ。よかった、よかった。不健康だったから、某大学大学院を中退せざるを得なかったジジイである。だから、かなり健康には注意しているのだ。マジに。
ドクターに感謝してきた。ほんとうに、このドクターがいなかったら、東洋一の巨大病院がなかったら、ボキはあっちの世界に行っていたよん。
クスリはゴマンともらってきた。あとは、来年1月20日に行けばいい。それまで毎日クスリを飲まなくちゃアカンのであるけど。
まだまだ油断はできないが。血液ドロドロは改善すべきであるからだ。
アルコールを断ったのが一番効果的だったのだなぁと思う。
ま、今となっては一合くらいならいいとドクターに言われているが、所詮イヤシンボである。一合くらいなら酒なんか呑まない方がいいと意固地になっておるんである。変わったジジイだから(^0^)。
それにしても、若い時からよく呑んじまったなぁ。一生分呑んじまった。あのカネはまったくの無駄であったのだ。あれを貯金していれば、今頃は、左うちわに右扇風機であったのじゃ。
酒で失敗したことはなかったけど。それに飲めば飲むほど明るくなっていって(所詮バカだから)、他人とトラブルを起こしたことはまったくない。呑んで喧嘩するというようなタイプではなかったからである。
唯一、ボキは褒め殺しの癖があって呑むとやたらと他人を褒めてしまう。だから、ボキの回りには美男美女だらけになる(^0^)。
これもまた、オノレがいかにみっともない人間であるかを自覚しているからである。
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今日は、退学した方の大学で生涯学習センター企画の「徒然草」を拝聴していた。お世話になった指導教授の講座である。ボキは、この先生がおられたから、この大学大学院に入学したのであった。5年前。
やはりどの先生に教えていただくかということは、大学院生活の大きな選択要素である。
これがないと、やみくもに大学名だけ優先して大学院を選んでしまう。
学歴ロンダリングというのがあって、大学院だけは一流をねらうという人もいると聞く。研究分野とかに関わりなしに。大学名だけの選択をしている人も事実おられる。
ちょっとそれは待て!である。やりたいことが優先すべきであると、ボキは思うのだ。
挫折したボキが言うような台詞ではないけれども。
ボキは、就職するあてもないし、雇ってくれるのは今やっているバイト先だけである。
つまり在野でやっているだけのヘイヘイ凡人である。それでいいのである。それで。なにを今更川端柳である。未練はないからである。
退職してしまったのだし。
あとは、死ぬだけである。
それまでいろいろと考えながら過ごしていきたい。
九十九里の海のように、反復しながらである。
海は川と違って、一過性ではない。川は時間の流れのように、一過性である。上流から下流へと流れるだけである。
海は違う。
繰り返し、繰り返し波が押し寄せてくる。反復である。しかも、一回毎に砕け散る。これがいいのである、これが。
九十九里の海を見ていると、時間すら永久に波のように繰り返しているんではないのかと錯覚する時がある。
こいつは貴重な感じ方であるとボキは思っている。
川は流れて、過ぎ去っていくだけである。
海は違う。
同じような波が繰り返し、繰り返し押し寄せてくる。しかし、一度として同じ波は来ない。
これである。
ボキの人生もまた海の波のように繰り返し、繰り返し継続していきたいものである。
だから、ボキは、退学はしたけれど、撤退したわけではないのである。
波のようにいつまでも変化するジジイである。
わはははっっはははっはははっはははっはは。
さ、今日も塾に行く。
楽しみである。
若い人たちと会ってくる。
生きる力を、こっちが貰っているのじゃ。
お後がよろしいようで。
Bye-bye!