修行した道場に舞い戻ったという感覚である。懶惰な門下生が、道場の隅っこで師匠にご指導をいただく。これである、これ。まさに末席を汚すとはこのことである。
どの面下げていまさらかつての師匠の講座に参加できるのかと言われたことがあった。今日、大学院博士後期課程を退学した某大学に行くからである。社会人講座で徒然草の講義を拝聴させていただく。「人生の無常をたのしんだ吉田兼好」という副題がついている。まさに、これである。これこそ、老境を慈しみながら、老いさらばえていくボキのことだ。人生は無常であるが、しかしそれを楽しみとして受け取り、生きていきたい。これぞタイムリーである。ありがたいではないか。
むろん、ボキは昨日の時点で、徒然草の古文書(影印本)をコピーしてある。縮小サイズにしてあって、A4になっている。全文を持参していく。ノートの代わりである。メモも途中から挿入可能である。A4ルーズリーフでやればいいだけである。実は、こうやって古文書を読み込んでいくとなかなかなのである。何が?・・・ちったぁ慣れるのである(ちょっとだけだが)。まだまだである、まだまだ。学力劣等で低学力だからじゃ。当然、古文書解読辞典も持っていくけど。
わははっははっはははっはははは。
師匠の書かれた講談社学術文庫「徒然草全訳注」(全四巻)も持参していく。この文庫本シリーズで著書を出せるという学者は、相当である。だからボキは某大学に入学したのであった。還暦過ぎて、退職して。物好きである。まったく。血迷っている。なんとでも言ってくださいませ。もう屁でもないので(^0^)。
さらに、別の著者の書かれたモンテーニュと徒然草とを比較検討した書籍も持参する。老境を慈しむとその本には副題に書いてあるし、まさにこれからのボキにはうってつけの課題であるからだ。マジに。
ボキは退学したが、別に破門になったとは思っていない。むろん某大学に対しても、内容等々まったくマンゾクしていたからなんの文句もない。かなり質の高い講義をしていただいたし、クラスメイトの俊秀たちにもかなり刺激を受けたからである。
だからなんということはない。
つまりボキの健康が回復基調にあるから、今日からの社会人講座に参加するのである。ここまで回復できたことに感謝しているのだ。ドクターに、古女房ドノに、二人の子どもたちに。
まったくICUに入っていたときには、もうこれでオイラは死んじゃうのだなぁ~~~~としみじみ思っていたから。実際、失神3回も経験したし。死ぬなんて簡単なことである。だからこそ、生きているうちにオノレをふか~く(_ _ )/ハンセイして、充実した今を生きていかなくちゃアカンと、ホントウに・ホントウに考えていたのである。だからこその生涯学習ごっこである。自堕落なバカジジイではあるけれども。それこそ生きているうちが花である。海外旅行も、秘湯めぐりもやっていきたいし、ゴミ論文も生きているうちに書いてみたい。あちこちと。どんなに笑われてもいい。それは生きているうちにしかできねぇことだからだ。だったら、ボキはこれからも変わっていく可能性はおおいにあるってぇもんじゃ。諦めて、すべてのことから撤退していちゃ生きている意味がない。どうせ、一度は死んだ身だ。これからは好きなことを好きなようにやっていくのである。
と、ボキが書くとまるで冗談のようだけれども、マジなんである。マジ。
生涯学習ごっこと自称しているけど、確かに「ごっこ」かもしれない。ボキのレベルが低いからである。だからこそ、自分でも努力せんとアカンのである。そしてその結果なにかになろうとも、まったく思っていないし、なれるわけもない。
久しぶりに、修行した道場に行って、稽古をつけていただくという感覚である。ダメになってしまった不肖の門下生が、道場を訪れて師匠に教えをいただくという感覚である。もっとも、ボキは学業劣等・不健康でもって退学したのであるから、今更である。今更、師匠にさも親しげに挨拶申し上げるわけにはいかない。まさに末席を汚すということである。
今日は、30名くらい参加されるそうだが、ボキは教室の隅っこで古文書の徒然草を傍らに置いて、読み解こうと思っている。楽しみである。
ボキにはそれしかできないからなぁ。まったく、まったく。
それにこんなくだらないブログなんか書いていないで、論文でも書けバァ~という方もおられるだろう。毎日、1000字以上書いたら、100日で十万字になる。論文の字数にしたら相当のものである。しかし、バカブログの記事と論文では質が違う。内容がないとしょうも無い話であるからだ。それに、誰かの研究書をコピーしてそのとおりに書いていたら、バカである。当然新しい視点や、独創性がなくてはならない。でなければ、論文を書く意味がない。
資料も読み込まなくちゃいけない。しかも古文書が多いのである。全部が全部とは言わないけど。だから四苦八苦なんである。それが楽しいのだから、変人なのであろう。
どんなに笑われてもいいのである。バカが、アホが、基地外がと言われてもめげない。
所詮、ボキは「バカ」であり、「アホ」であり、「基地外」であるからだ。
むしろそういう風に他人に言われるようになりたい。それくらい言われたら名誉なことだと思っているくらいだから。
わはははっはははっははははっははは。
今日の夜も塾がある。これもまた趣味である。昨日の夜もあった。国数英。いつまでやれるか。勝負である。惚けないためにも。
Bye-bye!