発音寺は伊丹の台地の東の端にあるようで、そこから伊丹緑道という台地に沿った道が東西に造られています。
こういう雰囲気の道ですが、かなり古木もあるようです。
僧行基が聖武天皇に猪名川と武庫川に挟まれた台地を開墾することを願い出て許されていますが、その台地の東端がここらということになります。
伊丹緑道と西国街道の出合点を少し西へ戻ると、伝和泉式部の墓の案内板があり、それに従って少し坂道を登ると、判りにくい所にありました。
この駐車場の左側に目立ったのがこれ、でも八幡神社跡とあり、墓ではありませんでした。
奥の白い車のボンネットとフロントガラスの上辺りに、和泉式部の墓があります。
何故こんな所に和泉式部の墓があるのか?
和泉式部の墓は全国至る所にあるといいます。
唯一伊丹に関しては・・・
『津の国の こや(昆陽)とも人をいふへきに ひまこそなけれ 芦の八重葺』という歌があるだけだそうです。
西国街道に戻り、更に道を東へと進めると、西国街道と川西方面へ抜ける多田街道の交差点に出会います。
チラッと左側に見える道を北へ進めば、多田神社に着くのでしょうか。
こういう雰囲気の道ですが、かなり古木もあるようです。
僧行基が聖武天皇に猪名川と武庫川に挟まれた台地を開墾することを願い出て許されていますが、その台地の東端がここらということになります。
伊丹緑道と西国街道の出合点を少し西へ戻ると、伝和泉式部の墓の案内板があり、それに従って少し坂道を登ると、判りにくい所にありました。
この駐車場の左側に目立ったのがこれ、でも八幡神社跡とあり、墓ではありませんでした。
奥の白い車のボンネットとフロントガラスの上辺りに、和泉式部の墓があります。
何故こんな所に和泉式部の墓があるのか?
和泉式部の墓は全国至る所にあるといいます。
唯一伊丹に関しては・・・
『津の国の こや(昆陽)とも人をいふへきに ひまこそなけれ 芦の八重葺』という歌があるだけだそうです。
西国街道に戻り、更に道を東へと進めると、西国街道と川西方面へ抜ける多田街道の交差点に出会います。
チラッと左側に見える道を北へ進めば、多田神社に着くのでしょうか。