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月曜の昼に家を出て、紀伊姫の家に来ています。何処にも寄らずに串本まで来ると丁度3時間、別段急いで来たわけでもありません。イライラして遅い車を追い越して来たわけでもなくても3時間で来れたのです。田んぼの稲も大きく成長していましたが、庭には雑草が生え、草を引くのも大変です。
さて鹿児島、高城庵で昼食を終えたのが1時前、隣の高城家の屋敷を見学しますが、この高城家住宅は武家屋敷の見学コースの7つのうちの1つではありません。特に逆から回った私にとっては何番目であろうが、指定されたものでなかろうが、目の保養にと観て回るのが得策と言うものです。ただ見学コースから除外されていると言うことは、コースに指定されている家が何なりかの助成を受けていると思われるのに対して、おそらく何の援助も受けていないのでしょう。そのために食堂をやっているのかも知れません。
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しかし、“おとこ玄関・おんな玄関”などが存在した武家屋敷と言うのは、差別の温床であったことの表れであり、あるがままに見せるより、当時を否定的に捉えておくのが民主主義的だとは思います。
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平成6年に“なかえ”部分を復元したと書かれていますが、座敷には上がってはいけないので、どうなっているのかを観ることは出来ません。
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ここが6番目の武家屋敷『佐多直忠』邸です。一応、駐車場で500円の拝観料を払った際に貰ったパンフレットを持って入るように言われていましたが、誰も検閲する人はいませんから、拝観料を払わなくても観ることは可能だったかも知れません。
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これらの家は現在も人が住んでおられるのです。ですから拝観できない家もたくさんあります。
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しかし、改装するにできないのでしょうから、今の便利な生活から比べると、困難な暮らしを強いられているのではないかと思います。
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道はほぼ東西に付いていて、こちらは私が来た方向・東の方を向いています。後ろの山が母ヶ岳です。
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5番目に当たる『佐多民子』邸です。前の家と同じ佐多姓ですが、どういう関係かは分かりませんが、家の感じは良く似ています。
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大小いろんな岩の組み合わせで出来た庭、その一つ一つに意味を持たせているのだそうです。
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4番目の屋敷、これもまた佐多姓、『佐多美舟』邸です。屋根だけ見ても分かるように、典型的な知覧武家屋敷です。こちらでは高城邸のように“おとこ玄関・おんな玄関”などという表現はありません。オモテとナカエという家の造りを一体化したものと書かれていました。
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1751年の造営と言われ、知覧の庭園の中では最も豪華で広い庭園なのだそうです。
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床の間には掛軸がかかり、部屋の隅には庭に置けば椅子にもなりそうな火鉢が並べてあり、天井と横柱の間に3枚の写真、1番右は二重橋のようですから、他の2枚の写真は天皇家のものかも知れません。きっと尊皇派の武家だったのでしょう。この家からは最も生活感が醸し出されていました。
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入って欲しくない家にはこういった立札が立てられており、日本語・英語・中国語・ハングル文字で書かれています。英語圏や中国、韓国から来る人が多いと言うことでしょうか。日本語に次いで、やはり漢字が一番理解しやすいですね。
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『稽古所跡』の碑、昭和15年6月建立、知覧町保存会とありますが、残念ながら何の稽古の跡なのかが分かりません。
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こちらは3番目の『平山亮一』邸、室内などもしっかり整備されています。住んではいるのですが、このような部屋は実際には使っていないのでしょうね。
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この庭園、もう少し早い時期に来ておればツツジがとてもきれいだったと思われます。でもまだ少し花が残っています。遅咲きなツツジのようです。どうも中途半端な時期に来てしまった気がしますね。
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別邸へと通じるくぐり戸がありました。
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姫で過ごしてるのですね、いいな、また行きたいな。九州は梅雨明けしそうですが、今度は毎日暑くてたまりません、お互い熱中症に注意ですね。