翌26日は天気予報通り朝から雨、最近の天気予報は確実性が増していますが、こんな時ほど外れて欲しいというものです。今どの辺りにいるのかさえハッキリ分かってない私にとって、今日は何処へ行きたい?と聞かれても、何処へと答える能力がありません。S木さんの思召すままということで大山寺に行くことになりました。私は大山寺など聞いたこともないお寺でしたが、単に“だいせん”と打つと“大仙”と変換するのに、“だいせんじ”と打つと“大山寺”と変換するので、有名なお寺なのでしょう。
雨の降る中9時にホテルを出発、S木さんはこの辺りを熟知しているのか、私は何処をどの方向を向いて走っているのか見当もつかないのに、ナビ無しで淡々と車を走らせます。まぁ、おおよそは南に向かっているのは分かるのですがね。
1時間ほどで大山の中腹と思しき所に到着、無料の駐車場がありました。途中フォグランプを点けないと対向車が見難いような霧が出ましたが、駐車場まで来ると霧は晴れて雨だけになっていました。車を降りて坂道を少し登ります。大山寺の山門の前には車が一台停まっていて、ここまで来れるのかと思いましたが、何台も停めるスペースがあるわけではありません。
大山寺の山門を見上げつつ、左手には鳥居があり、3人の足は自然とその鳥居の方に向かいます。鳥居横には『大神山神社 奥宮』の標識があり、私は大神・山神社と読んでいて、大神と山神を祀ってある神社かと思いましたが、大山の昔の呼び名が大神山であり“おおがみやまじんじゃ”であることに後で納得。
杉の木と岩が自然に調和しているので『和合の岩』と呼ばれていると書かれていますが、このような現象は和歌山でも至る所で見られ、私は木の生命力の強さを感じるだけで、決して和合などとは思いもよりません。
石畳は雨で濡れて滑り易く、一度滑って骨折した経験がある私は足元も覚束なく、15分程度で神門に到着、ゆっくり歩いたので息はそんなに弾みません。神門を潜り、また少し階段がありますが、それを登ると奥宮、でも階段と奥宮の距離が近過ぎてカメラに入りきれません。
奥宮の玄関の天井、実は300円の拝観料を払えば壇上に上がることが出来、もっと沢山の天井画が見れるとのことですが、今履いている靴がマジックベルト式なので脱ぐのが邪魔くさくて、玄関の絵だけでガマン・納得したのでした。
正面からは撮れないので斜めからの奥宮を撮影しておきました。雪が残っているのが見えます。大山の頂上は冠雪をしていますが、この辺りにも既に雪が降ったことの証しでもあります。
こちらは奥宮の左奥にあった下山神社、同じ境内に設置されていますが、摂社ではなさそうで、1805年に津和野の亀井何某が再建したものと書かれていました。でも大神山神社も1805年の建立です。そうか、ここには昔から下山神社があって、再建と同時に大神山神社が建立されたのですね。どっちでもいいけど、大神山神社が建立されるから、ついでに下山神社が再建されたのかも知れません。
奥宮の裏庭、たくさんの雪が残っていますが、残っているというよりはこれからが本番、きっと真冬になれば境内は真っ白な雪化粧を施し、参拝も困難になってくるのではないかと思います。
弁財天社とダイセンキャラボク、大山自体が海上交通の目印となっていたので昔からこの弁財天社があったとされています。現在の社は1998年、東京の人が寄進したものだとか。
ダイセンキャラボクは大山山頂に群落する常緑の低木だそうで、雌木は秋に赤い実を付けるとか、未だ11月末に訪れた時ですから、実の名残は無かったので、この木は雄だったのでしょう。モミの木やローズマリーの葉によく似ていると思いました。
こちらは左奥からの奥宮、やけに細長い権現造りの建物です。6月の開山の祭りがここで行われるそうです。
こちらは奥宮側から見た神門、門の表裏が逆になってると言われますが、そう言われても私にはよく理解も判断も出来ませんが、そう言われたならこちらが表なのでしょう。この門を“後ろ向き門”と呼んでいるそうです。
ひっそりとしていて、冷気が霊気に変わりそうで、あいにくの天気なのに出雲大社より神社らしいと感じたのですが、そんな感覚で良いのでしょうか?
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