3日間も連続で武家屋敷ばかり見せつけられたら、さぞかし読んで下さってる皆さんも「いつまでやっとるんじゃ!」と少々呆れ気味なのではないでしょうか。私自身が厭々ながら
綴っているのですから、皆さんのお怒りも御尤も、でも今日は是非記事にしておかねばならない屋敷に遭遇したのです。コース通りに1番から辿ったなら、武家屋敷の記事は1日だけだったかも知れません。
こちらは2番目に当たる『平山克己』邸、入れる家、入れない家と2種類ありますが、どの家にも生垣があり、それも全てがイヌマキを使用しています。常に枯れないからだとか。
いくつもの庭園を紹介しましたが、母ヶ岳を背景に、見えている屋根を勘案すると、この家の庭が一番いいなぁと感じます。
さて一番最初の写真が1番目に当たる『西郷恵一郎』邸、私はこの屋敷を問題にしたいのです。いえ、皆さんに質問を出して、答えを頂くのではありません。この家にだけ、このような石碑があったからでもありませんよ。
庭園の木々もよく刈り込まれていて、手が加えられているのがよく分かります。
この家だけが鎧・兜などの武具を展示してくれています。
張り巡らされているのは島津藩の陣幕でしょうか。
県の東側では台風が通過していると思われる頃、ここでは青空が顔を覗かせました。
仰天なのは、この抜き身にした刀です。持ってみたところ本物ではなさそうですが、刃こぼれなども見受けられます。1本は鞘に収まっていますが、刀は2本もあるのです。これがコースの最初の屋敷にあったのです。大阪の心斎橋では自殺したいと思って買った包丁を(自分では死ねずに)振り回し、二人もの人を殺した事件があったばかり、何時、誰がこの刀を振り回して観光客を襲うか分かったものではありません。この刀では人は切れないでしょうが、怪我をさせることは可能、突いたならば死に至るかも知れません。
ここで知覧武家屋敷庭園有限責任事業組合に警告しておきます。いくらなんでもこのようなものを野放しに置くことは言語道断、認められません。
おぞましい思いをしながら西郷邸を後にすると、スタート地点らしく、全体の案内板がありました。
私たちが最初に渡った橋の下を流れる川は、このスタート地点で再び顔を見せました。川の名前は麓川だったと思います。
ここでN田君は兵庫センターのH野君とケータイで話をしていました。H野君は元々九州の出身なのですが、彼がこの6月の第3週に福岡へ来いと言い出したんですよ。提案した本人がやって来ずに、私だけに行かせるなどというのは如何なものか、けしからんことです。そんなことをしていたら九州男児は皆こんなものかと思われますよ。
西郷邸の庭で見た青空はどちらの方角なのか分かりませんでしたが、ここで見る青空は明らかに南の方向、台風は過ぎ去ったのでしょうか?そんなことは知る由もありません。
それにしても先週の九州北部への梅雨の大雨は凄かったですね。旅行を一月遅らせていたら、巻き込まれていたかも知れません。
写真で武家の家門の所の丸い白い影見たいなのが気になりますが、変な心霊みたいな、じゃ、ないですよね。
こうゆう場所は、一生時間が止まったままの状態で終わるんでしょうね。
思いましたが。。
心霊とかではないと思いますよ。。
採光のいたずら。。
今は姫の家のパソコンなので、原画を見ることができませんが、帰ったら早速見てみることにします。
最初の門の丸いものは、見た時に「表札をボカシたのかな」と思ったんですが、二枚目も同じ場所に同じかたちでぼやけていたので、「レンズ内側に結露かな、時間が経ってそれも消えたのでは・・と、私も心霊ではないと思ってます
妙なものとは、島津家の家紋三つのうち真ん中の上、黒い柄との境目、丁度襖の縁があるでしょ。その交点に少し黄色っぽいものが見えます。
これはこれまでの写真にあったボヤケとは違う位置なので、自分でも何なのかと不思議がっています。
写真がぼやけている箇所はレンズの表面に水滴が落ち、蒸発した後に残ったカスですね。家に帰ってPCに取りこむまで気が付かなかったので、旅行の写真は皆、こうなってしまっているのです。
今は綿棒で取り除きましたが、今度はどうもバッテリーが替え時みたいで、どうも調子が良くありません。
この陣幕の黒い部分と白い部分が破れて離れているので、後ろの襖の一部が見えているだけなのでした。
凹さん、未だ場所が分かりませんか?
「幕が白と黒の離れたとこ?」って。破れたものか外れたものかわからなかったけど、たんに白黒が分かれたすき間に襖が見えてる・・・ということに、落ち着きましたね。
心霊写真の時期になりましたね
これで写真に印を付けなくていいですよね。
心霊写真などと言いだしたあとの二人の意見が聞きたいものです。