おはようございます。さて昨日の続きの話です。心豊かな人とはどんな人なのでしょう。勉強した、成績の良い、良い大学を卒業した、などとは相関関係はあっても、心の問題は独立の軸だと私は考えています。多くの人もそのように考えているのかもしれませんが、心は分からない、人の心は闇であるとして、仕方なく過去の肩書や点数で心の評価を代用しているようにも感じています。
知的な才能と知識を持ち、道徳的な行いを自然としている、自分の成果や芸術に対して美的な感性を持っていて、かつ技術に対して応用の才もあるような人は心豊かな生活を送れる人でしょう。友人関係や恋人や伴侶に恵まれる可能性は高い人といえるでしょう。一緒にいて、同性だろうと異性だろうと楽しいに違いありません。
心が一番大事であり、人の心は行動や結果の良し悪からは推測できません。しかし、その行動や考えは何処から生まれてくるのでしょう。人の行動には大脳の活動が生んだ意図が関与していると私は考えています。言葉や行動に意図がありますが、自分ではなかなかわかりません。歳をとるにしたがって自分を理解でき、意図も分かり始めますが、若いうちは自分はもっとも難解な人であり、意図など分かるはずがないと大人は考えてあげるべきかもしれません。私も自分が分かり始めたのは定年後の最近でした。
まとめです。自分の心が生んだその行動や言動の意図はなかなか分かりません。善悪も判らず行動や言葉があるのは未熟だけでなく普通なのかもしれません。周囲の善良な大人が考えてあげて、少しでも分かるようにお手伝いをしてあげたら良いのかもしれません。それが学校なのでしょう。今日はここまでにします。