創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

現場の優秀な女性

2023-07-31 08:00:44 | Weblog

 おはようございます。

 私の2歳上の定年退職者は私の2倍ほどの公的年金があったようです。私はほぼ半額の年金の上に卒業10年で入社し退職金が3分の2。数社の顧問と高校の非常勤講師が対策になりました。

 UCLAの従弟とボンの従妹の訪問が最後の贅沢。これからも割安海外旅行ならと思っていたのに妻の髄膜腫2つと私の脳幹の影の入院費。コロナで温泉にも行けず、大きな支出は私たちと愛犬の病院代。幸か不幸か収支バランス。

 定年までお産を除き入院は無し。病気はインフル、風邪、私の下痢と胃潰瘍だけでした。入院費の補助申請に不慣れな上に、2人とも命があったのが不思議でした。脳外の若い婦長さんや主任看護婦さんに助けられました。

 2度の手術で妻は障害者になり、担当医がリハビリ病院を紹介してくれました。窓口担当女性が優秀、健康保険組合提出書類を作成し、1年補助して貰え、1年後にまた手術し、合計2年通院できました。幸運でした。

 彼女が市役所で抗痙攣剤医療費補助を申請できると教えてくれ、手続きに2人で市役所に行きました。妻はまだ回復の道半ばでした。福祉担当女性が優秀で助かりました。

 働きたいと彼女に言うと、去年まで松戸市の介護事業だったNPO法人を紹介してくれました。数日後、優しい女性理事長と担当者が来て、週2回、3時間の介護契約をし、ほぼ3年同じような契約でした。

 理事長の息子さんは背の高いハンサムな、術後1週間ほど市立病院でリハビリしてくれた理学療法士、奇遇でした。妻は術後1年ほど痙攣発作があり、発作が起きたら介護士が私に連絡するプロセスを決めました。

 調理補助と見守りの契約。会社はその年度で辞め、高校の非常勤講師だけにしました。理事長は料理が上手。市役所に梯子を外された、介護を一緒に始めた人と仲たがいしたとぼやいていました。介護士採用に難儀し、介護士派遣計画作りに苦労していました。

 こうして足掛け10年、介護士さん7人にお世話になり、高齢者福祉制度が年々変わり、介護時間が漸減し、最後は週2回1時間になりました。この頃、厚生省の手抜きが判明し、妻の会社勤務にも抜けがあり、厚生省の新松戸出張所の訂正手続きが大変でした。

 妻の最初の介護担当者は厳しい人でした。妻との相性を私は心配し、初回は在宅時に来て貰いました。心配した通り妻の痙攣が発症。私が車を運転し病院に。次回から来だした理事長に痙攣の話をしました。初めて聞いた話、私が担当者と言いました。

 2年間ほど眠った直後に時々痙攣がおき、夜中に病院に行き、妻は予備的入院になり、2回目の手術後数か月して担当医が諦め、抗痙攣剤混合の漸減服用。でももう減りません。随時随所楽しまざる無し。南無大師金剛遍照。

 有能な

 働く女性に

 救われる

 今日はここまでにします。

コメント (2)
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