今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「父の影、子の影」より。
「私は五十を過ぎた。昔の父の顔や声が、ふと夢に現れたりして、私は不思議な気持ちになっていた。四十年近い空白の歳月の果てに、父はどうして私の傍に戻ってきたりするのだろう。何の脈絡もなく、嘗ての日父が詠んだ俳句が思い出されたり、街の雑踏の中で、あの日の蝉時雨が蘇るのである。一度思い出すと、永い氷河期が終わって氷が溶けはじめるように、いろんな父が私の胸の中に現れては笑い、落ち着いた声で話しかけ、ときには剽軽(ひょうきん)な仕草で戯れかかったりする。たとえば、私が三十のとき、あるいは四十のころ、父はどうして私の前に姿を現さなかったのだろう。まるで、私が父の死の歳を過ぎるのを待っていたような、この性急さは、いったいどうしたことだろう。私は、思い出すたびに戸惑った。
父は最後の数年はともかくとして――いや、その失意の時代をも含めて、父は自分の人生を全うしたのだ。むしろ、無残の姿を幼い末っ子に晒すことによって、その子の中に生きつづけたのである。末期のときまで雄々しく、優しく矜(ほこ)り高かった父親だけが、人として勝れ、人生に意味があったわけではなかろう。何十年という時間を経て、ふと蘇るのが、もっとも父らしい父のような気もするのである。
そして私は考える。私は、軍刀の代りに草刈り鎌を腰にさし、落日を背にうつむいてリヤカーを曳いて帰ってきた父のように、これまで生きてきただろうか。苛酷な人の目に、一言も抗弁することもなく、口を固く結んで生きてきただろうか。――それは、いまから数十年の後に、私の息子が答えをだすことかもしれない。
父が子に遺すのは、微かに揺れる影である。影は陽が傾くにつれて地面に長く伸び、子の体を包み込む。父の大きな影に包まれて、いまその子は不思議な安らぎの中にいる。
(『現代』96年9月)」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「私は五十を過ぎた。昔の父の顔や声が、ふと夢に現れたりして、私は不思議な気持ちになっていた。四十年近い空白の歳月の果てに、父はどうして私の傍に戻ってきたりするのだろう。何の脈絡もなく、嘗ての日父が詠んだ俳句が思い出されたり、街の雑踏の中で、あの日の蝉時雨が蘇るのである。一度思い出すと、永い氷河期が終わって氷が溶けはじめるように、いろんな父が私の胸の中に現れては笑い、落ち着いた声で話しかけ、ときには剽軽(ひょうきん)な仕草で戯れかかったりする。たとえば、私が三十のとき、あるいは四十のころ、父はどうして私の前に姿を現さなかったのだろう。まるで、私が父の死の歳を過ぎるのを待っていたような、この性急さは、いったいどうしたことだろう。私は、思い出すたびに戸惑った。
父は最後の数年はともかくとして――いや、その失意の時代をも含めて、父は自分の人生を全うしたのだ。むしろ、無残の姿を幼い末っ子に晒すことによって、その子の中に生きつづけたのである。末期のときまで雄々しく、優しく矜(ほこ)り高かった父親だけが、人として勝れ、人生に意味があったわけではなかろう。何十年という時間を経て、ふと蘇るのが、もっとも父らしい父のような気もするのである。
そして私は考える。私は、軍刀の代りに草刈り鎌を腰にさし、落日を背にうつむいてリヤカーを曳いて帰ってきた父のように、これまで生きてきただろうか。苛酷な人の目に、一言も抗弁することもなく、口を固く結んで生きてきただろうか。――それは、いまから数十年の後に、私の息子が答えをだすことかもしれない。
父が子に遺すのは、微かに揺れる影である。影は陽が傾くにつれて地面に長く伸び、子の体を包み込む。父の大きな影に包まれて、いまその子は不思議な安らぎの中にいる。
(『現代』96年9月)」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)