「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・09・26

2013-09-26 07:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「布団の上で跳びはねる」より。

 「 一枚だけ助かった布団があった。郡部の親戚の土蔵に預けてあった。羽毛の布団
  だった。戦前に、父が上海で買ってきたものだった。そのころ、羽布団というもの
  は、日本では珍しかったので、母はそれを大切にしまって一度も使わなかったらし
  い。繻子(しゅす)のような光る布に木蓮の花の刺繍がある、美しい布団だった。戦争
  のころ、虫干しの日にだけ、私たちはそれを見ることができた。それは、母の自慢
  だった。父は、母のためにその羽布団を買ってきたというのである。その話をする
  とき、母はちっとも恥ずかしそうではなかった。むしろ、胸を張って威張っている
  ようにさえ見えた。自分の子供たちに、そんなことを自慢するなんて、変な母親だ
  と私は思った。
   戦争が終わり、父は復員して間もなく、病気で死んだ。母が上海の羽布団を着る
  ようになったのは、そのころからだった。それからはほぼ三十年の間、母は毎年、
  冬になるとその布団を取り出し、それ以外の布団を使おうとはしなかった。もう子
  供たちに自慢することもなくなった代り、母は黙ってその布団に小さな体を包まれ
  て、父を思い出していたのかもしれない。
   三十年経って、母は七十半ばを越えていた。さすがに上海の羽布団も無残な姿に
  なったが、それでも母は手放そうとはしなかった。私は姉と兄と相談して、新しい
  羽布団を母に買ってやることにした。新しい布団を前にして、母は嬉しいような、
  嬉しくないような顔をした。これは有り難く使わせてもらう。だけど、父の買って
  くれた羽布団も捨てないと言うのである。私たちは呆れたが、母の思い通りにさせ
  ることにした。

   それから更に二十年が経って、ことし終戦五十年である。田圃の中を先頭切って
  走った母は、恐ろしいことに九十五になった。上海の羽布団を、母はいまでもどこ
  かに隠し持っているのだろうか。訊いてみたいとも思うが、耳の遠くなった母に上
  海の羽布団ということを伝えるだけで疲れてしまう。それに、突然思い出して、ま
  たあれを着るなどと言いだされたら事だから、私は何も言わない。」

  (久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)


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