今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「布団の上で跳びはねる」より。
「 逃げる私たちを掠(かす)めて、油脂焼夷弾が斜めに降る。あれは、投下されたときは、
箍(たが)で括られているが、数秒後にそれが外れ、中の四十八発の焼夷弾が空中にばら
撒かれる仕掛けになっているそうである。何千メートルの上空から落ちてくる焼夷弾の
音は、鋭い笛の音に似ている。それが、私たちから数メートルも離れていない田圃の上
に、重い音を立てて突き刺さる。いったいあの赤い布団は、何のためにかぶっていたの
だろう。直撃されたら、濡れ布団ぐらいでは何の役にも立たない。振り返ると、町は何
十メートルの高さの炎を上げて燃えていたが、私たちの周囲に火はなかった。それなら
少しでも身軽になって、つまり布団など捨てて逃げればいいものを、私たちは律儀にそ
れをかぶりつづけた。
その布団は、戦争が終わっても、しばらくの間、私の家にあった。母がいくら洗って
も、こびり着いた焼夷弾の脂はとれなかった。何度干しても水気が抜けず、黒ずんだそ
の布団は、いつまでもあの夜とおなじように重かった。それでも母は、捨てようとしな
かった。天気のいい朝、未練がましく物干し竿に干してあるその布団の傍を通ると、焦
げ臭い匂いがした。私は、空襲のあくる朝、道路に並べられていたたくさんの死体を思
い出した。一つの死体に、一つの濡れた布団が掛けられていた。それは、死者たちがそ
れぞれに持っていた自前の布団だったに違いない。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「 逃げる私たちを掠(かす)めて、油脂焼夷弾が斜めに降る。あれは、投下されたときは、
箍(たが)で括られているが、数秒後にそれが外れ、中の四十八発の焼夷弾が空中にばら
撒かれる仕掛けになっているそうである。何千メートルの上空から落ちてくる焼夷弾の
音は、鋭い笛の音に似ている。それが、私たちから数メートルも離れていない田圃の上
に、重い音を立てて突き刺さる。いったいあの赤い布団は、何のためにかぶっていたの
だろう。直撃されたら、濡れ布団ぐらいでは何の役にも立たない。振り返ると、町は何
十メートルの高さの炎を上げて燃えていたが、私たちの周囲に火はなかった。それなら
少しでも身軽になって、つまり布団など捨てて逃げればいいものを、私たちは律儀にそ
れをかぶりつづけた。
その布団は、戦争が終わっても、しばらくの間、私の家にあった。母がいくら洗って
も、こびり着いた焼夷弾の脂はとれなかった。何度干しても水気が抜けず、黒ずんだそ
の布団は、いつまでもあの夜とおなじように重かった。それでも母は、捨てようとしな
かった。天気のいい朝、未練がましく物干し竿に干してあるその布団の傍を通ると、焦
げ臭い匂いがした。私は、空襲のあくる朝、道路に並べられていたたくさんの死体を思
い出した。一つの死体に、一つの濡れた布団が掛けられていた。それは、死者たちがそ
れぞれに持っていた自前の布団だったに違いない。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)