今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「願わくば畳の上で」より。
「ふと思うと、日本の家屋や調度は低い視点からの〈見た目〉を考えて作られているような気がする。死者の視点とまでは言わないが、臥せっている者の視点である。日本間の真ん中に立っていると、なんとも落ち着きが悪い覚えは誰にだってあるだろう。とにかく坐りたくなる。坐ってみると障子窓の高さも、陽の差し具合も、障子に映る八ツ手の葉の影も、なかなかいい。ところが、もう一つ視点を底くしてみると、つまり臥せってみると、もっといい。たとえば、雪見障子というのは、間違いなく日本間に寝ている者のために作られたとしか私には思えない。坐っていて庭に降る雪を眺めるには、上半身を屈め、首を曲げて覗かなくてはならないが、床に臥せって枕の上から見るとちょうどいい高さに風花(かざばな)が舞い散るのである。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「ふと思うと、日本の家屋や調度は低い視点からの〈見た目〉を考えて作られているような気がする。死者の視点とまでは言わないが、臥せっている者の視点である。日本間の真ん中に立っていると、なんとも落ち着きが悪い覚えは誰にだってあるだろう。とにかく坐りたくなる。坐ってみると障子窓の高さも、陽の差し具合も、障子に映る八ツ手の葉の影も、なかなかいい。ところが、もう一つ視点を底くしてみると、つまり臥せってみると、もっといい。たとえば、雪見障子というのは、間違いなく日本間に寝ている者のために作られたとしか私には思えない。坐っていて庭に降る雪を眺めるには、上半身を屈め、首を曲げて覗かなくてはならないが、床に臥せって枕の上から見るとちょうどいい高さに風花(かざばな)が舞い散るのである。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)