今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「間取り」より。
「元はと言えば、これは私や向田さんが子供時代を過ごした昭和十年代の、東京山の手の月給取りの家の構造である。中庭には痩せた金木犀の木が三本ばかり、そこから裏手へ廻ると塀沿いに背の低い八ツ手の木が植わっていて、根方には松葉牡丹が小さな花を咲かせている。その辺りからツンと鼻をつくドクダミの匂いがしはじめて、少し行くと白い石灰を撒いたご不浄の汲取口がある。お互い、そんな自分の育った家を話していて、昔の二軒の家がびっくりするくらい似ているので、向田さんと二人で笑ったことがあるが、別に私たちの家が特殊だったわけではなく、あのころはどの家も、おなじような間取りで、おなじような生活をしていたのである。
一度くらい、テーブルに椅子のリビングで食べるドラマを作ってみようかと思わぬでもないが、いざとなるとなんだか悪いことをするみたいな気持ちになって臆してしまう。向田さんに遺言されたわけではないがお、白い障子に竹の影が揺れ、違い棚に椿を一輪投げ込んだ一輪挿しがないと、どうも私の気持ちは落ち着かないのである。それなら、私たちの間取りが時代劇と言われるまで、頑固にやりつづけるのも愛嬌というものかもしれない。それに、やっぱりあのころの、あの間取り、あの暮らしには、忘れてしまいたくない何かがあるように思われてならないのである。私たちはひょっとして、あのころに、何かとても大切なものを置き忘れてきたのではあるまいかと、心配になってしまうのである。
(『あーむ・ちぇあ』no.33)」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「元はと言えば、これは私や向田さんが子供時代を過ごした昭和十年代の、東京山の手の月給取りの家の構造である。中庭には痩せた金木犀の木が三本ばかり、そこから裏手へ廻ると塀沿いに背の低い八ツ手の木が植わっていて、根方には松葉牡丹が小さな花を咲かせている。その辺りからツンと鼻をつくドクダミの匂いがしはじめて、少し行くと白い石灰を撒いたご不浄の汲取口がある。お互い、そんな自分の育った家を話していて、昔の二軒の家がびっくりするくらい似ているので、向田さんと二人で笑ったことがあるが、別に私たちの家が特殊だったわけではなく、あのころはどの家も、おなじような間取りで、おなじような生活をしていたのである。
一度くらい、テーブルに椅子のリビングで食べるドラマを作ってみようかと思わぬでもないが、いざとなるとなんだか悪いことをするみたいな気持ちになって臆してしまう。向田さんに遺言されたわけではないがお、白い障子に竹の影が揺れ、違い棚に椿を一輪投げ込んだ一輪挿しがないと、どうも私の気持ちは落ち着かないのである。それなら、私たちの間取りが時代劇と言われるまで、頑固にやりつづけるのも愛嬌というものかもしれない。それに、やっぱりあのころの、あの間取り、あの暮らしには、忘れてしまいたくない何かがあるように思われてならないのである。私たちはひょっとして、あのころに、何かとても大切なものを置き忘れてきたのではあるまいかと、心配になってしまうのである。
(『あーむ・ちぇあ』no.33)」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)