「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・09・04

2013-09-04 08:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「願わくば畳の上で」より。

「昔は生れるのも死ぬのも、自分の家が普通だった。生れたのも死んだのもおなじ部屋というのも、そんなに珍しい話ではなかった。私はどこで死ぬかはまだわからないが、生れたのは東京・阿佐ヶ谷の自分の家だった・近所の産婆さんが取り上げてくれた。だから、生れて何日かして目が見えるようになって、はじめて網膜に映ったのは、たぶん座敷の大きな仏壇とか、長押(なげし)にかかった御真影(ごしんえい)とか、庭先の金木犀(きんもくせい)とか、あるいは簾(すだれ)越しの薄青い空とか、とにかく家の中での視界だったに違いない。もちろんそんな記憶はないけれど、私はそういう生れ方で幸せだったと思っている。いまの赤ん坊は、ほぼ百パーセント病院で生れるから、はじめて目にするのは白い天井か壁である。そして死ぬのも〈都内の病院〉なら、最後に霞んで消えていくのも白い天井と壁ということになる。そんなものを見て死にたくない。軒端で揺れる、縁日で買った赤いガラスの風鈴でもいい。猫の額ほどの貧しい庭に、一本だけある桜の木の枯れ枝でもいい。部屋の中のものなら、いずれ読もうと思って買い込んだきり、とうとう読まずに終った本の背表紙でもいい。破れ障子だって、品の悪い酒屋のカレンダーだって、病院の白い壁よりはましである。」

(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)

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