「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・09・22

2013-09-22 07:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「布団の上で跳びはねる」より。

 「 私が、家の中で飼っている生後六カ月のポメラニアンの子犬は、夜、布団を敷くと、
  むやみに興奮してその上を転がり回る。押入の戸を開けるだけで、もう目の色が変わ
  るのである。そう言えば、ずっと昔、三、四歳のころ、私も布団に興奮した憶えがあ
  る――九つ年上の姉と、七つ上の兄と、私たち姉弟は、そのころ二階の六畳の和室に
  三人で寝ていた。どういう意味かはわかりかねるが、八時になると母が押入から三人
  分の布団を出して、そこに積み重ねたまま出ていく。後は自分たちでやれということ
  だったのだろうか。それからの十五分にも満たない短い時間が、私にとっての一日で
  いちばん楽しい時間だった。姉や兄は、学校から帰ってきても、宿題があるから末っ
  子の私を相手にしてくれない。私も勉強の邪魔をしてはいけないから、聞き分けよく、
  一人で本を読んで夜を待つ。夕飯が終わり、姉たちの夜の予習も済んで、順番にお風呂
  に入っている間に、母は布団を出すのである。私はまず、自分の身の丈よりも高い布団
  の山に攀(よ)じ登る。姉か兄かが、お尻を支えて助けてくれる。私はフカフカした布団
  の山の頂上で、思い切り跳びはねる。姉たちが囃し立ててくれるから、益々私は興奮す
  る。そのうち山が崩れ、私は悲鳴を上げて畳に転げ落ちる。それを待って、誰かが部屋
  の電灯を消すのである。暗闇の中で、二人が私に襲いかかり、私はもう一度声をかぎり
  に絶叫するのだった。
   毎晩おなじ段取りで、布団の山が崩れ、部屋が真っ暗になるのはわかっていても、
  布団を広げて襲ってくる姉と兄は怖かった。私は、そこら中に乱れた布団の上を転がり
  回り、頭から掛け布団ですっぽり全身をくるまれ、その上に重い敷布団を次々に積まれ
  て呼吸が苦しくなる。でも布団が重くて身動きができない。そのうち、意地悪な四本の
  手が、私の小さな体を探りにくる。お腹をくすぐる手がある。腿をつねる手がある。
  いまになって思うのだが、あの夜毎の遊びを、姉も兄も結構愉しんでいたのではあるま
  いか。暗闇で末っ子の体を思うままに嬲って、姉たちはあれで本気で興奮していたので
  はなかろうか。そして私だって、いま思い出しても胸がドキドキするところをみると、
  あれは秘かなマゾヒスティックな悦楽だったのかもしれない。」

  (久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)


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