今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「間取り」より。
「飯食いドラマなどと半分馬鹿にされながら、ホームドラマを撮りつづけてもう三十年になる。私が亡くなった向田邦子さんと『寺内貫太郎一家』をやっていた昭和四十年代の終わりごろは、どのチャンネルもホームドラマだらけで、そのころは森光子、京塚昌子、山岡久乃といったところが白い割烹着のお母さんだったのに、このごろでは篠ひろ子や市毛良枝が適齢期の娘を持つ母親を澄ましてやっているのだから、三十年たったわけである。
私のホームドラマは、どれも間取りがおなじである。茶の間があって向かって右側に台所があり、正面に中庭に面した廊下があって、左に行くと玄関と二階への階段があり、反対方向には浴室、洗面所、その奥は夫婦の部屋と決まっている。食事はもちろん畳敷きの茶の間で卓袱台を囲んでということになる。いまどき、こんな間取りの家に住んでいる家族などどこにもいないのは承知しているが、その都度考えるのも面倒だし、三十年やっている意地もあって、知らん顔で通している。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「飯食いドラマなどと半分馬鹿にされながら、ホームドラマを撮りつづけてもう三十年になる。私が亡くなった向田邦子さんと『寺内貫太郎一家』をやっていた昭和四十年代の終わりごろは、どのチャンネルもホームドラマだらけで、そのころは森光子、京塚昌子、山岡久乃といったところが白い割烹着のお母さんだったのに、このごろでは篠ひろ子や市毛良枝が適齢期の娘を持つ母親を澄ましてやっているのだから、三十年たったわけである。
私のホームドラマは、どれも間取りがおなじである。茶の間があって向かって右側に台所があり、正面に中庭に面した廊下があって、左に行くと玄関と二階への階段があり、反対方向には浴室、洗面所、その奥は夫婦の部屋と決まっている。食事はもちろん畳敷きの茶の間で卓袱台を囲んでということになる。いまどき、こんな間取りの家に住んでいる家族などどこにもいないのは承知しているが、その都度考えるのも面倒だし、三十年やっている意地もあって、知らん顔で通している。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)