白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

もし産まれてくる子供が障害を持っていたなら。。。

2007-07-09 05:50:34 | その他
「ここにサインしてください。」
目の前に差し出された紙を眺めながら、私はペンを握らなかった。
隣で夫が通訳でもするように、その言葉を日本語に直して私に伝える。
「ここにサインしてだって。」

言われなくったってわかってる。

「この検査受けたくないんだけど。」
看護婦にわからないように日本語で言った。
夫はおどおどしながら、看護婦にわかるように英語で説得する。
「時間かからないから、他の血液検査と一緒にできるし、わざわざ仕事を休まなくてもサンフランシスコでできるから。」
私は無言でペンをとらなかった。
看護婦はたまりかねて言う。
「今サインしなくても構いませんけど、○○までにこの紙をもって検査場に行ってください。」
結局私はサインをしなかった。

面倒くさいからその検査をしたくないと言っているんじゃない、必要ないと思うからしたくないと言っているのだ。

それはダウン症のスクリーニングテストと、自閉症のいわば『可能性度』テスト。

マー君を身篭っているとき、私はあらゆる検査を目的もあまりわからないまま、ほいほいと受けた。
検査は陰性を確認して安心するものでしかなかった。
もちろんすべての検査にパスし、妊婦優等生だった。
検査は必ずパスするものだった、けれど、一つだけパスしなかった。

マー君の聴覚スクリーニングテスト。

あれはあれで必要なテストだったと思ってる、
でも、
ある程度確実な検査結果が出るまでの半年間、どこの病院にいっても言われることがまちまちで、
どうせわからないんだったらどうしてあんなに早くに検査をする必要があったのか?っと疑問に思った。

あのテストにひっかかってからの約半年、原因究明と確実な検査結果を求めて検査、検査、検査の日々。
地獄だった。
その時も、勧められる検査は言われるままに全部受けた。
今考えると、私たちには何の利益にもならない研究者の材料になるだけの検査もたくさんあったように思える。

そして今また妊娠して、あの検査この検査と検査ばかりさせられている。
以前のような気持ちでほいほいと検査を受ける気にはなれない。
検査をすれば陽性反応が、スクリーニングを受ければ通らないような気がして仕方ない。

前回同じテストをした時、私は何の疑問ももたず質問もせず、さっさと血液検査を終わらせた。
でも今回は、医者に質問を投げかけずにはいられない。

「もしそのスクリーニングにパスしなかったらどうなるんですか?」
「そしたらこのテストを受けます。この時点でもパスしなければ、およそ80%の確立で生まれてくる赤ちゃんはダウン症です。」
「それにもパスしなかったらどうするんですか」
「次は○○の検査をして確定診断を出します。」
「そんなに確実にわかるんでしょうか?」
「ほぼ確実です、ただし、ダウン症と一口に言っても症状はまちまちで、普通の人と何ら変わりなく生活できる程度の人もいれば、一生援助が必要なレベルまで様様で、その症状のレベルまではわかりません。」
「ダウン症であると確実にわかったら、それからどうするんですか?」
「それはご両親次第です。妊娠を終わらせるか、そのまま産むかの決断はご両親にゆだねられます。」
「最終的にわかるのはいつなんですか?」
「第一回目のスクリーニングにパスしなかったら検査を加速させますが、最後の検査は20週を過ぎないとできないので、どうしても20週から数週間は過ぎます。」
・・・妊娠6ヶ月じゃん。
今の医学なら、22週を過ぎて生まれた赤ちゃんは保育器で育つことができるというのに、中絶可能期間は21週までと定められているのに、それを超えて中絶するの?

「もう一つの自閉症のテストでは何が分かるのでしょうか?」
「ご主人の血縁者に自閉症が2人いるというので、遺伝子に自閉症の遺伝子があるかどうか調べます。」
「っで、なんで私の血液を検査するんですか?」
「妊娠の検査は妊婦を検査するものですから。」
・・・意味わからん。
「っで、それが陽性だったらどうするんですか?」
「生まれてくる赤ちゃんは自閉症の可能性があるということです。」
そんな可能性分かってどうするの?可能性があるから子供は産むなってこと?



○○までに検査を受けて下さいといわれた、期日がちかくなってきた。
夫が検査用紙をもってやってきた。
「検査明日やった方がいいとおもうんだけど。」
私はしばらく黙ってから口を開いた。
「何かを予防するための検査とか、検査結果によって対策を考えることのできるものなら、もちろん受ける。でもあのダウン症と自閉症の検査はしたくないのよね。」
「そんなに嫌なの?」

「スクリーニングテストにパスしなかった時のことを考えてよ。泣いて泣いてぼろぼろになるほどないて、でも医者からは『これは確定じゃないから』っとあいまいな言葉で慰められて、かすかな希望をもって次のテストをうけるものの、次もダメで、また泣いて泣いて。・・・そうあの時のように。」
夫は黙って聞いていた。
「そして最終的に、ダウン症と診断されたら。。。もう妊娠6ヶ月、おなかも大きくなっていて胎動も感じる。それで症状の程度もわからず赤ちゃんを殺しちゃうの?
私たちは、泣いて泣いて泣いて泣いて・・・その決断はできないと思う。」

夫は言った。
「中絶なんてそんなことはできない。」

私は続けた。
「もしマー君の聴覚に障害があると、おなかの中にいる時点でわかったとしたら、『聴覚のレベルまでは分からないけれど、なにか問題があるようだっ』と。それで私たちはマー君を殺したかしら?それが正しい選択だったかしら?
それに自閉症の遺伝子検査なんかしてどうなるの? こっちはもっとあいまい。生まれてくる子供は自閉症である可能性があるってだけでしょ。それでも陽性となれば私たちは泣くのよ。泣いて泣いて不安で不安で、だからってそんなことで産まない選択をするの?」

夫は言った。
「君の言うとおりだよ、この検査はばかばかしい。今さらおろすことなんてできるものか。この検査、受けなくていいよ、受ける必要はない。」

私はその言葉を聞いてすごく嬉しかった。

っと同時に検査を受けないことに対して、すっごく重い責任のようなものを感じた。
検査を受けないということは、どんな子供が生まれても、たとえその子が障害を持っているとしても、愛し育てるという自信と覚悟の現れだと思う。
夫はそれを受け止めてくれた。
涙が止め処もなく溢れてきた。
この人と結婚して良かった、私は心からそう思った。

大丈夫、この人となら大丈夫。
どんな子供が生まれてきても、幸せな家庭にすることができる、きっとできる。

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6 コメント

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こんにちわ (とおる)
2007-07-12 18:12:35
初めまして 太宰府に住むとおるといいます。
いつも楽しく読ませて頂いてます。

今回のお話し、胸がきゅーっとなりました。書類を
前に頑ななマー君ママの気持ちが痛いほどにわかる
ような気がしました。

勝手ながら、(^^自分のことのようにマー君の成長
を楽しみにしてます。私も1才半のころ難聴になりまし
た。が、発見が早く補聴器にもすぐ慣れたお陰で100デ
シベルの重度にも関わらず普通にお話できるようになり
発音もきれいだとよくいわれます。
(周りがうるさいと聞き取りにくいですが)
電話も補聴器のTコイルのお陰でよく聞こえますし、
日本語の美しさや深みを再認識するこのごろです。

聞こえないのではなくて「聞き取りにくい」という
ところで、これから大人になるにつれ、いろいろ大変か
もしれないけども、、陽光降り注ぐバークレーで元気に育つ
ことを陰ながら応援してます。

長文コメント失礼しました。

                   とおる


 
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お久し振りです。 (まあみ)
2007-07-13 23:15:41
ブログを読ませていただいて自分の事の様に胸が熱くなりました。サインにためらうマー君ママの気持ち痛いほどわかります。
私も日々忙しい中考えます。もう一人子供が欲しいけど、もし、また、障害を持って産まれたらどうしよう。。。正直怖いです。そして、日本の病院では35歳を過ぎる高齢出産の場合、様々な種類の検査をすると聞いています。でも、怖いけど、子供を授かって検査にパスできなかったからといって降ろすことなんて絶対に出来ないと思います。ホント悩むけれど、それは絶対に出来ない事です。だってまだ見ぬ赤ちゃんだけどすごく可愛いいですものね。だから、ご主人のおっしゃる通り、ばかばかしい検査だと私も思います。元気な赤ちゃんが生まれてくるのが当たり前だと思って、楽しい妊婦生活を送るのがベストだと思いますよ。
マー君ママ、大丈夫ですよ素敵なご主人がいらっしゃるんですし
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嬉しいです (マー君のママ)
2007-07-16 14:12:27
いやぁ、そんなコメントを頂くとすっごく嬉しいです。
ありがとうございます。

今後どうなるか、見守ってください。
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私の経験… (とんち)
2007-07-24 08:07:39
もう30数年前の話だけど、障害差別が激しかった時代でした。

聴覚障害と分かる前は知的障害と間違えられ、散々いじめられたみたいです。

聴覚に障害があると分かったときは発音が完成する前、やっと補聴器が手に入ったのがろう学校に上がる前でした(当時、補聴器は高額すぎてなかなか手に入らなかった)

二年のブランクがあだになり、発音がはっきりしません。

早くわかっていれば…早く補聴器を手に入れば…と思うことはありました。

生まれてくる赤ちゃんはだれでも、生きる権利が平等にあります。

生まれる前に検査で知り、下ろす行為があまりも酷い。生まれて命が短い赤ちゃんも居る。どれだけ充実とした幸せに生きて行けるかどうかだと私は思います。

でも…残念なのは、母が口話至上主義で、今のコミュニケーションがあまりなく、寂しいです。手話を言語として認めてくれないので、コミュニケーション手段が口話だけでは解決できないのかもしれません。

コミュニケーション手段と情報保障が充分あれば、初めて人間として平等になれるんです。

私にとって聴覚障害は幸せの物差しでなく、キャラクターのひとつです。

長々とすみません。どうしても言いたかったんです。

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生まれる権利生きる権利 (マー君のママ)
2007-07-24 14:41:32
とんちさんは、色々と苦労がおありだったようですね。
それでも、「聴覚障害は幸せのものさしではなく、キャラクターの一つだ」っとの言葉に感動しました。
私もそういう目で息子を育てたいと思います。

それともう一つ
「生まれてくる赤ちゃんはだれでも、生きる権利が平等にあります。」
この言葉にも感動しました。
私はそこまで深く考えていなかったように思えます。
私は親の目から見て、かわいい我が子を殺せないと思いました。
でも確かに、親がどう思おうと、赤ちゃんは生を宿ったからには生まれる権利があり、生きる権利があるとおもいます。

赤ちゃんの胎動を感じるたびに、自分とは別の生が、個人がおなかの中にいるんだなって感じます。
生を宿った時から、その子は生きる権利がある、私も同感です。



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幸せ (haiji)
2007-08-04 15:31:22
いつか、むかし、まだ姪っ子がお姉さんのおなかにいる頃、この検査のことでけんか腰になって話したことを思い出しました。でも、するとかしないとか、そんなかんたんな話じゃなくて、いろんな思いを持って生まれくる命を待ち望むお母さんがここにいるんだと思って、なんだかあったかい気持ちになれました。
こんな優しいパパのそばに、ママのおなかにいる赤ちゃんはきっと幸せなんだなぁと思います。
もっとみんなが、子どもは愛されるべきものなんだというふうに、当たり前のことに気づけばいいのにって思います。
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