白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

2008-12-01 05:39:22 | その他
私のブログの常連読者さんは知っていると思うけど、私はもうすでに両親を亡くしている。
それをいまさらどうこう言うつもりはないし、人に同情されるのも面倒くさい。
同情されるのが面倒で「負担がなくて開放されていいよ。」なんて言っているけど、この言葉はまんざら強がりばかりでもない。
親の命日なんて完全に忘れているし、写真を飾ったことも、仏さんに手を合わせたこともない。

でもたまに(本当にたま~に)、めちゃくちゃ親を・・特に母を恋しく感じることがある。
まぁ、親子ですからね。

母が生きていたら。。。っとは考えないようにしているけれど、たまに考え出すと止まらなくなる。

親子愛を見せ付けられると、ちょっと切なく感じる。
不思議と一番それを感じるのは、私同様祖国を離れアメリカに住んでいる友人や同僚が、親をアメリカに呼んだり電話をしたりプレゼントを贈ったりといったことをしているのを見せ付けられたとき。

私も親が生きていたら・・・これも言いたいあれも言いたい、ここにもあそこにも連れて行ってあげたい、きっとこのブログも親に自分のアメリカ生活を報告することが目的の半分で書いていることだろう・・・とそう思う。

そして、もっとも言われて苛立つ同情の言葉は、「旦那さんの親がいるじゃない。旦那さんのお母さんが今はあなたのお母さんでしょ。」っといった言葉。
姑が好きか嫌いか、仲がいいか悪いかといった次元の問題じゃない。
所詮他人である夫の家族が、愛おしい自分の親になりうるわけがない。

喜びも悲しみも何もかもをすべて共有してくれた、私の生い立ちをすべて知っている親。
喧嘩もいっぱいしたけれど、親なしに子供時代の思い出は語れない。
親子というのは、ころっとほかの人に取って代われるような、そんな安っぽい関係じゃないでしょう。。。

でも、みんな言う。
みんなみんな声をそろえたように、同じことを言う「今では旦那さんの親がいるじゃない。」っと

私がさびしいとぼやいたとき、夫も同じことを言った。
「僕のマァムやダァッドを自分の両親だと思って。」
ふざけんな!
彼にとっては、この上ない最高の優しさをこめた言葉だったのはわかっている。
でもその一言は、私の気持ちをなにもわかってないことを代弁していて、それが余計に私を悲しみのそこへと突き落とした。

夫の親と食事をするとき、会話の半分以上は、夫の子供時代の話だ。
耳にたこができるほど、いろんなエピソードを聞かされた。
でもたまにそれをうらやましく思う、私の子供時代のことを語ってくれる人はいない。。。

たまには、3年に一回・・いや5年に一回くらいは、母を思って泣くのもありなんじゃないかな。
今日はその5年に一度の日。
なぜかたまらなく切なくて、母と話がしたくて涙があふれてくる。

母は49歳で亡くなった。
私は絶対にそんなに早くは死なない。
自分の息子たちに、自分と同じような思いをさせたくはないから。


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