私の今一番の関心事は子供の教育。
そりゃ~、そうでしょう。
男の子を三人も育てているのですから。
息子たちには、好きなことを仕事にしてほしい。
お嫁さんや子供を十分に幸せにできる収入を得る仕事に就いてほしい。
そう願うのは親として自然なことだと思います。
アメリカの大学、特に有名大学は世界一流だと思います。
しかしアメリカの義務教育はかなり腐敗しています。
っていうか、レベルが低すぎる。
はっきり言ってできない子が多すぎる。
私が育つうえで、競争相手は日本にいる限り日本人でした。
都会か田舎かで少々差はあるものの、みんな同じ教科書を使って同じように教育をうけた者同士が競争相手でした。
しかし我が子は、
アメリカの良い大学に進もうと思えば、競争相手は世界中にいるのです。
高校までは自国で教育を受けて、大学からド~~~っとアメリカに流入してきます。
アメリカの公立学校で1番でも、なんの意味も持たない。
競争相手は世界のどこかで今頃猛烈に勉強しているのです。
就職となると、競争はもっと激しくなる。
自国で高等教育まで受けた、天才プログラマーやエンジニアがこれまたドーーーーっとアメリカに流入してきます。
ハイテク産業の中心であるサンノゼなんか行くと、アメリカ英語をしゃべっている人なんていません。
耳に入ってくるのはいろんな言葉やなまりの強い英語。
あきらかにアメリカ育ちではない人たちばかり。
実際ハイテクの世界では「アメリカ国内だけで良い人材を確保するのは無理だ」と言われているくらいです。
アメリカ人は何をしてるんだ???
言葉のバリアがないにも関わらず、外国人に勝てないアメリカ人。
まぁ、この義務教育のレベルの低さを見るとわかる気がします。
学校の評価は「落ちこぼれがどれだけいないか」で決まります。
毎年テストをして「最低基準」に達している子が多ければ、評価の高い学校というわけです。
日本とは反対ですね。
日本は良い方に焦点をあてます。
「○○高校合格者何人、○○大学合格者何人」と言う風に。
アメリカの学校は最低基準に達してない子供を、最低基準に引き上げることで評価をあげることができるわけですから、
もうすでに基準をはるかに超えている子にはまったく興味がないのです。
その子がもっとできるようになったところで、学校の評価に変わりはない。
結局、時間と労力はすべて「できない子」に注がれることになります。
それで、わかりきったことを何度も何度も繰り返しやることになり、
もうすでにできる子は暇でしょうがない。
先生も仕方ないから「本でも読んでなさい」っと言うのでしょう、長男は毎日分厚い本を読破します。
いつ読んでいるのかと聞くと、「算数の時間に読んでいる」そうです。
いくらなんでもあんまりでしょう。
「学校がそんなに簡単ならスキップさせればいいじゃないか」っとよく言われます。
この「スキップ(飛び級)」という制度、勉強ができる子が誰でもできるわけではありません。
スキップするためには先に進んで勉強しなくてはいけないわけです。
他の子がもたもたしている間に、どんどん先を勉強して1年先まで進み2年先まで進みとなった時、査定のテストを受けて、
「次は3年生だけど、3年生で習う分はすべてマスターしてますね、では3年生はスキップして4年生に進みましょう」
っとなるわけです。
だから3年生をスキップするからって、3年生で習うことすべてをやらないわけではないのです。
先に進むってどうやって?
塾というのはあまりメジャーではありません。
私立の学校では、「できる子にはどんどん先をやらせる」と言うところは結構ありますが、公立では私が知る限り一人の子供のために先生が時間を割いて先を教えるってことはしません。
家庭教師を付けて先を教える、または親が教えるといった場合もあるでしょう。
できれば私が教えたいと思うけれど、アメリカの小学校は教科書がないので、1年先まで教えるどころか、次の単元が何かもわからないのが実情。
息子たちがどんなに学校で退屈な思いをしようとも、単元一つ先に進むということはないわけです。
すなわち、1年先まで全部教えるなんてとんでもない、スキップなんてあるわけがないのです。
それで大金はたいて長男を私立に入れることにしたわけですが、正直言ってこれが本当に正しい道かどうかはわからない。
自分が育ってないものだから、わからないことばかりなわけです。
でも、子供にとっては一度きりの人生。
親の無知のために能力を発揮できなかった・・・なんてことは避けたい。
手探りの教育、まだまだ始まったばかり。
息子3人の将来と、そのお嫁さんたちと、その子供たちの幸せが私の舵取り如何にかかっていると思うと、教育にも熱が入ります。
教育ママ頑張るぞ!
そりゃ~、そうでしょう。
男の子を三人も育てているのですから。
息子たちには、好きなことを仕事にしてほしい。
お嫁さんや子供を十分に幸せにできる収入を得る仕事に就いてほしい。
そう願うのは親として自然なことだと思います。
アメリカの大学、特に有名大学は世界一流だと思います。
しかしアメリカの義務教育はかなり腐敗しています。
っていうか、レベルが低すぎる。
はっきり言ってできない子が多すぎる。
私が育つうえで、競争相手は日本にいる限り日本人でした。
都会か田舎かで少々差はあるものの、みんな同じ教科書を使って同じように教育をうけた者同士が競争相手でした。
しかし我が子は、
アメリカの良い大学に進もうと思えば、競争相手は世界中にいるのです。
高校までは自国で教育を受けて、大学からド~~~っとアメリカに流入してきます。
アメリカの公立学校で1番でも、なんの意味も持たない。
競争相手は世界のどこかで今頃猛烈に勉強しているのです。
就職となると、競争はもっと激しくなる。
自国で高等教育まで受けた、天才プログラマーやエンジニアがこれまたドーーーーっとアメリカに流入してきます。
ハイテク産業の中心であるサンノゼなんか行くと、アメリカ英語をしゃべっている人なんていません。
耳に入ってくるのはいろんな言葉やなまりの強い英語。
あきらかにアメリカ育ちではない人たちばかり。
実際ハイテクの世界では「アメリカ国内だけで良い人材を確保するのは無理だ」と言われているくらいです。
アメリカ人は何をしてるんだ???
言葉のバリアがないにも関わらず、外国人に勝てないアメリカ人。
まぁ、この義務教育のレベルの低さを見るとわかる気がします。
学校の評価は「落ちこぼれがどれだけいないか」で決まります。
毎年テストをして「最低基準」に達している子が多ければ、評価の高い学校というわけです。
日本とは反対ですね。
日本は良い方に焦点をあてます。
「○○高校合格者何人、○○大学合格者何人」と言う風に。
アメリカの学校は最低基準に達してない子供を、最低基準に引き上げることで評価をあげることができるわけですから、
もうすでに基準をはるかに超えている子にはまったく興味がないのです。
その子がもっとできるようになったところで、学校の評価に変わりはない。
結局、時間と労力はすべて「できない子」に注がれることになります。
それで、わかりきったことを何度も何度も繰り返しやることになり、
もうすでにできる子は暇でしょうがない。
先生も仕方ないから「本でも読んでなさい」っと言うのでしょう、長男は毎日分厚い本を読破します。
いつ読んでいるのかと聞くと、「算数の時間に読んでいる」そうです。
いくらなんでもあんまりでしょう。
「学校がそんなに簡単ならスキップさせればいいじゃないか」っとよく言われます。
この「スキップ(飛び級)」という制度、勉強ができる子が誰でもできるわけではありません。
スキップするためには先に進んで勉強しなくてはいけないわけです。
他の子がもたもたしている間に、どんどん先を勉強して1年先まで進み2年先まで進みとなった時、査定のテストを受けて、
「次は3年生だけど、3年生で習う分はすべてマスターしてますね、では3年生はスキップして4年生に進みましょう」
っとなるわけです。
だから3年生をスキップするからって、3年生で習うことすべてをやらないわけではないのです。
先に進むってどうやって?
塾というのはあまりメジャーではありません。
私立の学校では、「できる子にはどんどん先をやらせる」と言うところは結構ありますが、公立では私が知る限り一人の子供のために先生が時間を割いて先を教えるってことはしません。
家庭教師を付けて先を教える、または親が教えるといった場合もあるでしょう。
できれば私が教えたいと思うけれど、アメリカの小学校は教科書がないので、1年先まで教えるどころか、次の単元が何かもわからないのが実情。
息子たちがどんなに学校で退屈な思いをしようとも、単元一つ先に進むということはないわけです。
すなわち、1年先まで全部教えるなんてとんでもない、スキップなんてあるわけがないのです。
それで大金はたいて長男を私立に入れることにしたわけですが、正直言ってこれが本当に正しい道かどうかはわからない。
自分が育ってないものだから、わからないことばかりなわけです。
でも、子供にとっては一度きりの人生。
親の無知のために能力を発揮できなかった・・・なんてことは避けたい。
手探りの教育、まだまだ始まったばかり。
息子3人の将来と、そのお嫁さんたちと、その子供たちの幸せが私の舵取り如何にかかっていると思うと、教育にも熱が入ります。
教育ママ頑張るぞ!