白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

日本語教室入学式

2010-04-04 14:49:13 | 子供
今日は日本語教室の入学式。

面接を受けたときはどうなるかと思ったけれど、あれから一ヶ月ちょっと、毎日平仮名を書く練習をさせ、全部ではないけれどだいたい書けるようになった。


ちゃんと一張羅の洋服を着せて・・・。


一年生二年生3年生合同の写真。


マー君は右の端っこ。
ほとんどみんなハーフの子だねぇ~。

日本風の厳かな入学式。

マー君の日本語の名前を教えて、何度も何度も書く練習をさせたけど、自分の名前がわかるだろうか。。。

いすに自分の名前が日本語で書かれてあるのをみて、マー君大喜び。
あ~、良かった、自分の名前だと認識できた様子。

入学式の最後に先生が一人ずつ名前を呼び、呼ばれた生徒は「はい」っと返事をして立つことに。
え?マー君できるかしら?
一応昨日教えたけど。
「名前を呼ばれたら、はいって言うんだよ。」っと。。。。

夫も私を見て、「できるかなぁ。」

マー君の名前が呼ばれた。
1秒、2秒、3秒、「あ~だめだ。」
そしたら先生が合図を送ったのか、大きな声で「はい」
あ、できた。ほ


式は最初から最後まで日本語。
子供たちも日本語でお話。
書かれてある文字も日本語。
そしてその日本語を、ここに通っている子供たちは読める。
す、すごい。

なんだか胸がいっぱいになる。

式の後、先生に呼ばれて、補聴器のことを聞かれた。
完全に忘れていた私。
あ、そうだった、補聴器をしているんだった。
「子供たちに話しておきましょうか?」っとのこと。
確かにそうだわ、みんないったい耳に何をつけているんだろうっと思っているはず。
「あ、そうですね、お願いします。」
まぁ、少人数の教室だし、そう問題はないでしょう。

その後12時まで国語の授業があった。
早速出されました、たくさんの宿題。
プリント7枚。
毎日一枚することになっている。
それから教科書の音読。

日本の公立小学校で使われている、日本の教科書。
この教科書を毎日必ず音読すること。

担任の先生は日本の小学校に9年勤務し、サンフランシスコの日本語補習校で20年勤務したあと、この日本語教室の先生になったベテランの先生。
アメリカに住む子供の日本語の欠点をよくご存知の様子。

最後の保護者説明会での言葉が耳に残る。

「できるだけ学校の話をさせて、生活で使う言葉を超えた会話をして語彙を増やすように心がけてください。」

確かにその通り。
日本語が話せると言っても、「片付けなさい、さぁご飯よ、それとって」などの生活用語だけで、ちょっと違う話になると、語彙が全く足りない。
日本語に触れる機会が私との会話だけだから、生活を超えた語彙が全く増えない。

学校に行くことで、少しでも幅広いことを日本語で理解できるようになったら言いなぁと思う。

途中でやめていくこが多いらしいけど、
10歳までに身に着けた言葉は、一生の財産。
後になって後悔しても遅いんだから、絶対に挫折はしないわ、させないわ。

頑張るぞ!!!