思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

恐怖感

2007年08月07日 | Weblog
私の場合は恐怖感を味わうのは簡単です。

勿論暗闇が条件です。
従って夜です、それも真夜中がいい。
女房は眠っている。
起きているのは自分ひとりだけ。

そして真っ暗な狭い廊下に立ちます。
むこうの部屋に何かが、いるはずのない誰かがいると、感じるように意識を集中させます。

すると背筋が寒くなること請け合いです。
簡単でしょ。

慌てず騒がず

2007年08月07日 | Weblog
昨日は夜6時からの朗読劇のために、朝9時から市役所が準備した市議会用の1室を使わせてもらって、朗読の練習と効果音の確認と照明などの確認に追われて過ごした。
あまり練習時間がないままの本番を迎えることになった。
貧乏な市だから勿論ノーギャラ、チラシに劇団の紹介をしてもらっているのがせめてもの慰め。

脚本も知らない名前の人、素人らしくて随所に納得行かない箇所がある。
この脚本もノーギャラで頼んだに違いないと思う。

40分ほどの朗読劇の本番の最後の箇所で、突然照明が消え、マイクの音が入らなくなり何事かと思ったが、照明係りのおじさんは少しも騒がず
「暫くそのままでお待ちください、ブレーカーが落ちましたのですぐ修復しますから」
野外の公園だから臨時の電源をひいているのが、主電源のブレーカーが落ちたという事でハシゴを担いで走っていった。
静かに待つこと5分、まもなく復旧した。

最初の市長の挨拶とやらも冴えない副市長さんが市長のメッセージを代読。
公園内の子供のイベントもPTA会長の説明によると、1週間前に頼まれて何とか間に合いました、と言っている。

公園の隅に立つ「平和の塔」をめぐるイベントを「やっつけ仕事」で企画した市の職員は猛省すべきだ。

ま、この程度のものでした。
私達は誠心誠意取り組みましたが。

病と闘った人達

2007年08月06日 | Weblog
そのひとり、岸洋子さん。
彼女の心に沁み込む歌の数々を追想した番組をみた。
私と同郷であることも彼女への親近感を強くさせる。

偉大な歌手。
桁はずれのスケール、深い声。
不治の病との闘いの中で彼女の歌に深みが増して行ったような気がする。
時々思い出して彼女の歌声に浸ろう。

テレビ欄

2007年08月05日 | Weblog
朝刊で「テレビの番組欄」を見ることは殆どない。
女房は必ず見る。
そして見たい番組は赤でアンダーラインをひいてある。
その時間に見れない番組はビデオに録画予約している。

たまたま昼の時間に女房がいない時、チャンネルを次々に辿っていて面白そうだと思って見ているとビデォの録画が同時進行していることがある。
そんな時は後刻にまた女房と同じ番組を再度見ることになる。

私はテレビはニュース以外はあまり見ないが、女房が録画した番組は付き合ってみている。
つまり殆ど女房と同じテレビ番組を見ていることになる。
似たもの夫婦になりそうだ。

多分同じような思考回路が形成されて、関心外の出来事には夫婦そろって無知ということにもなりかねない。

しかし、新聞は興味の対象がずいぶん違うような気がする。
私が読んで興味のあったことについて話しかけても女房はそんな記事には目もくれてないし関心も持っていないことが分る。

時々「あてつけか」と思うような箇所に赤のアンダーラインがあったりする。
私も「ふん」と無視する。

北河内の言葉

2007年08月04日 | Weblog
大阪でも河内弁と言えばガラの悪さは定評がある。
私が住んでいるところも北河内地方に属する。

先日、一見品のいい若い母親が自分の子供が走り回るのを注意して小さい声ながら
「ええ加減にしいや、しばくでぇ!」
と言っていた。
「しばく」は「鞭や細い棒でたたく」と言う意味、と広辞苑に載っている。

そのほかにもあるある。
「われー、殺したろか!」(われーはお前のこと)
「ボコボコにされるでえ」
「ドツキまわしたろか」
「それが何ぼのもんやねん」(お前さんが思うほど他人は評価してない、程度の意味)
「なに眠たいこと言うてんねん」
「なにボケかましてんねん」

こんな言葉が日常生活に登場する。
ひとが冗談交じりに使ったりするのが、最初は理解できなくてドキッとしたりムカッとしたりしたこともありました。

最近は面白がって私も使うこともあります。



朗読劇

2007年08月01日 | Weblog
市からのわが劇団への依頼で8月6日に野外の公園で朗読劇をすることになった。
8月15日の終戦記念日、8月6日、8月9日は記念すべき日なのだ。

朗読劇は当市の戦争体験記録集の一部を朗読劇に編集したものだ。

それによると当市も爆撃の被害を受け多くの人が命を落としている。
当時は大阪城もこの辺から見えたそうで大阪市内の爆撃による火災の様子も見えたとか。
私は戦前の生まれではあるが、東北の山中で生活していたため戦争の記憶は殆どない。

朗読劇を演じる人も大部分は戦後の生まれで現実の戦禍の体験はない。
どの程度伝えられるかは不明だ。
観客もどんな観客が集まるのかも不明だ。

とにかく努力しよう。