思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

首輪

2005年05月14日 | Weblog
首輪は普通は人間の首にはつけないが、18歳の少女に首輪をつけて監禁してた奴がいた。
サドの小説を読みすぎたのかもしれない。
サディズムは人間の心に巣食っているある一面ではあるが、実行したら犯罪者として処罰されるのは当然である。極刑を望む。

犯人は経済的に不自由なく育ったらしいから、欲しいものは大抵手に入ったのだろう。
終には「女を飼ってみたい」と言う、とんでもない欲望に発展したものと思われる。
変質的な前歴の持ち主であり、保護観察中だったとか。

そういう、人の命を弄ぶような欠格人間は、多分矯正が利かないんだろうと思う。
首輪をつけて隔離して監視付きで生かしておくしかない。
テレビに映る犯人の顔はむかつく。悪知恵の働きそうな顔だ。今後は人間社会をウロウロ歩かせてはいけない、両親には気の毒だが。

被害者はとんでもない記憶を背負って生きる事になるが、生き抜いて欲しいと思う。
何をしてやれる訳ではないが、少女の回復力を信じたい。





健康診断の結果

2005年05月14日 | Weblog
この年になると、健康診断の結果が気になる。
さっき、人間ドックの結果が郵送で意外と早く届いた。
4項目ほど、「経過観察」と書いてある。どうしろというのかな。多少問題あるが前年と余り変化が無いので様子を見ましょうという意味か。運動して徐々にもう少し体重を減らしましょうとも書いてある。
特に緊急事態は無いと言うことか。

近くの町医者で、あなたの年齢ではどんな病気の発症もあり得ます、と一度脅しをいわれたことがあるので、それなりの覚悟はしている。
タバコを止めないので、「肺癌が進んでいます」とか言われたら、死ぬまでの闘病記でも書こうかなんてことも考えていた。

添付の文書が気に入らない。
全部を網羅した検査ではありませんので、結果を鵜呑みにしないで体調が思わしくないときは直ぐ医者に相談してください、とある。
検査結果に責任は持たないよ、という責任逃れの一筆か。

縫いぐるみ

2005年05月14日 | Weblog
我が家のソファーには何故かいつも縫いぐるみが2つ寄り添うように並べて置いてある。

ひとつは、魔女の黒い帽子を被った黒い洋服の少女の縫いぐるみ人形。どういう経路で今ここにあるのかは思い出せない。
もうひとつは、小熊の黄色い縫いぐるみで、これは確かある店でなんかの抽選に当たって持ち帰って「君が喜びそうでこれにした」といって妻に渡した記憶がある。
えらい喜んでくれたのでビックリした。たかが景品の熊ちゃんの縫いぐるみに。
妻は初めてプレゼントしてもらったとぬかしていた。
そういえば、妻のために何かプレゼントしたことは一度も無かった。家計は全部妻が握っているんだから欲しけりゃ買えばいいと言ってあるし。

(ここで暫く中断)
「私を○○まで車で送ってくれる気ある?」、いつものお気に入りの美容院までだ。近くにあるんだから近くに行けばいいのに、わざわざ遠方まで行く。)・・・・
(送ってきた。中断終わり)

時々ソファーに寝転がった時に足で蹴飛ばしたりするので、縫いぐるみチャンは床に転がっていることもあるが、またいつの間にか2つ並べて元の場所に置いてある。なぜかこだわる。
妻は子供にたとえて、少女は娘、熊は息子で、表情が似ていて可愛いと言っている。

だがどうもそうじゃないような気がする。
多分自分達になぞらえているような感じだ。
きっと、
夫婦2人なんだから仲良く暮らしてゆきましょうね。だけど私を悲しませるようなことをしたら、あなた、どうなるか分かってるよね。
と言っているような、考え過ぎかな~。


教会

2005年05月14日 | Weblog
今日も晴れていたので午前中散歩した。
近所だけど足を踏み入れたことのない地域がある。そんなところを歩いてみた。
閑静な住宅街の一角に○○教会の掲示板と矢印が書いてあったので、行って見た。

子供の頃、おふくろの友人が教会の牧師さん(或いは神父さんか)と友達だったようで、何回か田舎町の教会に連れて行かれた思い出がある。おふくろはクリスチャンでも何でもない。多分結婚前に「まねごと」みたいなことをしていたんだろうと思う。
家にも少女が光に向かって手を合わせている宗教的な絵がかかっていたな。

もう一つ、山奥の生徒10人ほどの分校で小学生だった頃、担任の若い男性教師が多分クリスチャンだった。カトリックとかプロテスタントとかは分からないが、よくお話を聞かされた。
その近くに大きな川が流れていたので、授業の後に川岸の土手に丸く座っていろんな聖書物語的なものを読んだり話したりしていた。
主人公の少年が自分の命を捨てて自分を蔑んだ少女の命を救う、と言ったようなお話だったと記憶している。
そのときの感動と場の風景が重なって記憶に残っている。

矢印の方向に小さな教会があった。
普通の家と続きになって建っていたが、今日は締まっていた。
門の横に「日本パブテスト協会 ○○教会」と書いてあった。
穏やかな感じの老夫婦が、周りの雑草の整理をしていた。

近頃、宗教団体に対しては何となく拒否反応がある。
宗教団体を隠れ蓑にして、金儲けをしたり、痴漢行為をしたり、幼児を虐待したり、サリンを作ったりする輩までいる。

その教会は、多分金儲けなんかとは縁が無い風情に見えた。清貧という言葉が当てはまる何となく心の安らぎを与えてくれそうな華美とは縁遠い佇まいであった。
きっと真の宗教者が運営に携わっているのだろう。

私に関しては多分信者になることは一生無いと思う。
論理的に証明できないようなものを信じる気にはなれない。
方程式を因数分解して解くように納得しない限りは駄目だ。
むしろ仏教のほうが親近感がある。とはいえ仏教の教えなるものについても殆ど知らないのが実情だが、歴史的に仏教から派生した日常語に多く触れていることや、日本は過去仏教と深くかかわってきたわけだから何となく理解している。感性が重なる部分があるようには思える。
同様に、キリスト教国に生まれた人は自然に理解するのかもしれないが。

携帯・タバコ・セーラー服

2005年05月14日 | Weblog
地域のコミュニティのお祭りの話。
女房達が前にやった寸劇が受けたので再演することになったと言っていた。
先日、家にセーラー服が広げてあった。友達の娘さんのを借りたと言っていた。
そういえばうちの娘は高校もセーラー服じゃなかったしと思っていたが、寸劇のための借り物だっのだ。
不良女子高校生の役を役をやるんだそうで、片手に携帯、片手にタバコをふかしてセーラー服で登場するのが大受けだったとか。

おばさん達は何考えてるんだろうね。
ま、元気で何よりだ。
うちの女房には、はまり役かもしれない。
だけど絶対見たくないね。