「新生サラエボの魅力と民族融和」とのタイトルで、「世界週報」10/24号に、日本
救援行動センター バルカン担当 の松元洋氏が投稿しておられます。
前々から興味を持っているバルカン半島のそれも、紛争の渦の一つである「ボスニア・
ヘルツェゴビナ」情勢について詳細に記述してありますので、全文掲載させていただ
きます。
長文ですので、分割して前後2回とします。
紛争の痕跡消え 清潔な町に変貌
1990年代のボスニア紛争当時、数回にわたりボスニア・ヘルツェゴビナの首都
サラエボに足を運んでいた私にとって、この6月、数年ぶりに訪れた町の変わりよう
は驚きだった。当時は至るところに焼けただれた戦火の跡が見られた。ごみは放置さ
れ、市民は近くの山腹からのセルビア兵の狙撃を恐れて腰をかがめて歩き、昼間から
町の表情は暗かった。夜は停電が多く、ろうそくと懐中電灯が生活必需品であった。
少しはどこかに紛争の跡があるのではないかと、市内の中央を東から西に流れる
ミリヤッカ川に沿って歩いてみた。両岸には国立劇場、郵便局、大学、美術館などの
建物があるが、皆きれいに立ち並んでいる。
(ミリヤッカ川沿いの市街地 ボスニア・ヘルツェゴビナメモ Bosnia and Herzegovina Memo から
お借りしました。ありがとうございます)
初夏の季節とあって、方々にある大小の公園は芝生と植木が昼の日差しを浴びて緑
に輝き、色とりどりの花壇もよく手入れされていた。94年2月、セルビア人勢力が
迫撃砲を撃ち込み68人の死傷者が出たことで大きく報道された青空市場は、各国か
らの援助もあって、以前をしのぐばかりに復旧し、バルカン各地にあるこの種の野菜
市場の中では類を見ないほど清潔、整然としていた。同じく戦災を受けた精肉、チー
ズ専門の市場の建物も、何事もなかったかのように修復され明るくにぎわっていた。
(復旧した野菜市場 同じく、ボスニア・ヘルツェゴビナメモ Bosnia and Herzegovina Memo から)
マケドニアとコソボでごみの散乱にすっかりなじんでいる私の目に、サラエボ市の
清潔な環境は、これが同じ旧ユーゴの街なのかと不思議な感じであった。
サラエボは、マケドニアの首都スコピエ、コソボの中心都市プリシュティナと同じ
くイスラム教徒の多い街であり、各所にモスクの尖塔が天を差している。だが、どう
してここだけが、ごみもなく、えらく西欧的な都市の雰囲気をたたえ、市民の表情も
明るいのだろうか。
この素朴な質問に、ボスニア・ヘルツェゴビナ駐在の罍(もたい)二夫臨時代理大
使が答えてくれた。同大使によれば、①サラエボのイスラム教徒たちはもともとは5~
6世紀に南下したスラブ民族であり、スコピエやプリシュティナのイスラム教徒たち
がアルバニア系の民族であるのと異なる②サラエボのイスラム教徒はコーランの解釈
に極めて柔軟であり、酒も豚肉もご法度ではなく、また、ラマダン期間中でも平常通
り昼間も食事をしている③異教徒との結婚においても相手をイスラム教へ改宗させる
必要はない④女性はチャドルをかぶることなく、かぶっている女性はこれをファッショ
ンとして使っている⑤女性も高い教育を受け、子供はせいぜい2、3人である---
とのことであった。
サラエボ市民の出生率がマケドニアのアルバニア人と比較して2分の1、3分の1
と低く、一家庭平均子供2人はセルビア人の場合と同じである。このことは両民族融
和を長期的に保つ大切な要因である。
そこにスコピエの場合と大きな差がある。スコピエの人口構成は約65%がスラブ
系のマケドニア人であり、約30%がアルバニア人、残り5%がトルコ、ロマ、その
他の人たちとなっているが、今後十数年で出生率の高いアルバニア人がスラブ系マケ
ドニア人の人口を追い越すと言われている。人口の変動のみならず、西に隣接したコ
ソボが独立することになると、早晩マケドニアはアルバニア人の支配化に置かれるの
ではないかと、現在多数民族であるスラブ系のマケドニア人市民は恐れている。
しかも去る4月にアルバニア外相がコソボの将来的地位に関し、セルビア政府とコ
ソボ自治政府との交渉がどのような結果になろうとコソボのアルバニア人は我々の同
胞であり、自由に国境を行き来するものであると発言したことから、スコピエのメディ
アはこれは大アルバニア主義の表れと大々的に報じ、マケドニア政府はアルバニア政
府に外相発言の真意をただす騒ぎとなった。
サラエボでは、多数の市民がイスラム教徒といっても人種的にはスラブ人であり、
言語はスラブ語である。人種と言語が異なり、出生率の格差の大きなアルバニア人が
多数住んでいるわけではないので、スコピエの抱えているような問題は生じない。多
分ここにスコピエや南部に多数のアルバニア人を抱えているセルビアの状況と異なり、
サラエボの街にオープンな雰囲気と明るさが感じられる背景があると思われる。
(以下は次回以降に)
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● ㈱東洋硬化へのお問い合せは、当社ホームページの「お問い合せ」欄、
または、TEL:0942-34-1387 へお願い致します。
● シリンダーロッド・シャフト・ピストン・フロントフォークインナーチューブ
・ロール等円筒形状機械部品のクロムめっき再生が得意です。
● 窒化クロム・窒化チタンアルミ・酸化クロム・窒化チタンクロム・
窒化チタン他、各種高硬質被膜をアークイオンプレーティングで
生成します。
● ローター・ファン・クランクシャフト等のバランシング(回転体釣合せ)
● ラジアルクラウン研削を始めとした円筒研削加工や、内面研削・
平面研削も行います。
● フレーム溶射による、短納期での寸法・形状・機能の復元加工はじめました。
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救援行動センター バルカン担当 の松元洋氏が投稿しておられます。
前々から興味を持っているバルカン半島のそれも、紛争の渦の一つである「ボスニア・
ヘルツェゴビナ」情勢について詳細に記述してありますので、全文掲載させていただ
きます。
長文ですので、分割して前後2回とします。
紛争の痕跡消え 清潔な町に変貌
1990年代のボスニア紛争当時、数回にわたりボスニア・ヘルツェゴビナの首都
サラエボに足を運んでいた私にとって、この6月、数年ぶりに訪れた町の変わりよう
は驚きだった。当時は至るところに焼けただれた戦火の跡が見られた。ごみは放置さ
れ、市民は近くの山腹からのセルビア兵の狙撃を恐れて腰をかがめて歩き、昼間から
町の表情は暗かった。夜は停電が多く、ろうそくと懐中電灯が生活必需品であった。
少しはどこかに紛争の跡があるのではないかと、市内の中央を東から西に流れる
ミリヤッカ川に沿って歩いてみた。両岸には国立劇場、郵便局、大学、美術館などの
建物があるが、皆きれいに立ち並んでいる。
(ミリヤッカ川沿いの市街地 ボスニア・ヘルツェゴビナメモ Bosnia and Herzegovina Memo から
お借りしました。ありがとうございます)
初夏の季節とあって、方々にある大小の公園は芝生と植木が昼の日差しを浴びて緑
に輝き、色とりどりの花壇もよく手入れされていた。94年2月、セルビア人勢力が
迫撃砲を撃ち込み68人の死傷者が出たことで大きく報道された青空市場は、各国か
らの援助もあって、以前をしのぐばかりに復旧し、バルカン各地にあるこの種の野菜
市場の中では類を見ないほど清潔、整然としていた。同じく戦災を受けた精肉、チー
ズ専門の市場の建物も、何事もなかったかのように修復され明るくにぎわっていた。
(復旧した野菜市場 同じく、ボスニア・ヘルツェゴビナメモ Bosnia and Herzegovina Memo から)
マケドニアとコソボでごみの散乱にすっかりなじんでいる私の目に、サラエボ市の
清潔な環境は、これが同じ旧ユーゴの街なのかと不思議な感じであった。
サラエボは、マケドニアの首都スコピエ、コソボの中心都市プリシュティナと同じ
くイスラム教徒の多い街であり、各所にモスクの尖塔が天を差している。だが、どう
してここだけが、ごみもなく、えらく西欧的な都市の雰囲気をたたえ、市民の表情も
明るいのだろうか。
この素朴な質問に、ボスニア・ヘルツェゴビナ駐在の罍(もたい)二夫臨時代理大
使が答えてくれた。同大使によれば、①サラエボのイスラム教徒たちはもともとは5~
6世紀に南下したスラブ民族であり、スコピエやプリシュティナのイスラム教徒たち
がアルバニア系の民族であるのと異なる②サラエボのイスラム教徒はコーランの解釈
に極めて柔軟であり、酒も豚肉もご法度ではなく、また、ラマダン期間中でも平常通
り昼間も食事をしている③異教徒との結婚においても相手をイスラム教へ改宗させる
必要はない④女性はチャドルをかぶることなく、かぶっている女性はこれをファッショ
ンとして使っている⑤女性も高い教育を受け、子供はせいぜい2、3人である---
とのことであった。
サラエボ市民の出生率がマケドニアのアルバニア人と比較して2分の1、3分の1
と低く、一家庭平均子供2人はセルビア人の場合と同じである。このことは両民族融
和を長期的に保つ大切な要因である。
そこにスコピエの場合と大きな差がある。スコピエの人口構成は約65%がスラブ
系のマケドニア人であり、約30%がアルバニア人、残り5%がトルコ、ロマ、その
他の人たちとなっているが、今後十数年で出生率の高いアルバニア人がスラブ系マケ
ドニア人の人口を追い越すと言われている。人口の変動のみならず、西に隣接したコ
ソボが独立することになると、早晩マケドニアはアルバニア人の支配化に置かれるの
ではないかと、現在多数民族であるスラブ系のマケドニア人市民は恐れている。
しかも去る4月にアルバニア外相がコソボの将来的地位に関し、セルビア政府とコ
ソボ自治政府との交渉がどのような結果になろうとコソボのアルバニア人は我々の同
胞であり、自由に国境を行き来するものであると発言したことから、スコピエのメディ
アはこれは大アルバニア主義の表れと大々的に報じ、マケドニア政府はアルバニア政
府に外相発言の真意をただす騒ぎとなった。
サラエボでは、多数の市民がイスラム教徒といっても人種的にはスラブ人であり、
言語はスラブ語である。人種と言語が異なり、出生率の格差の大きなアルバニア人が
多数住んでいるわけではないので、スコピエの抱えているような問題は生じない。多
分ここにスコピエや南部に多数のアルバニア人を抱えているセルビアの状況と異なり、
サラエボの街にオープンな雰囲気と明るさが感じられる背景があると思われる。
(以下は次回以降に)
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● ㈱東洋硬化へのお問い合せは、当社ホームページの「お問い合せ」欄、
または、TEL:0942-34-1387 へお願い致します。
● シリンダーロッド・シャフト・ピストン・フロントフォークインナーチューブ
・ロール等円筒形状機械部品のクロムめっき再生が得意です。
● 窒化クロム・窒化チタンアルミ・酸化クロム・窒化チタンクロム・
窒化チタン他、各種高硬質被膜をアークイオンプレーティングで
生成します。
● ローター・ファン・クランクシャフト等のバランシング(回転体釣合せ)
● ラジアルクラウン研削を始めとした円筒研削加工や、内面研削・
平面研削も行います。
● フレーム溶射による、短納期での寸法・形状・機能の復元加工はじめました。
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