Toshizoh's Bar

大阪を愛する編集者トシゾーのほろ酔いメッセージ。

継体大王 その2

2010-06-13 11:17:30 | Weblog
継体大王は琵琶湖の西岸の高島市で生まれたそうな。ここですでに謎。福井で育ち、ヤマト政権から請われて大王になり、樟葉で即位。このとき58歳。20年後の526年に奈良の磐余玉穂宮に遷都。その翌年、任那に軍隊を派遣し、海路をふさいだ筑紫君磐井を征伐。ってまた「磐」だ。

この頃は九州を中心とする「倭(うわい?)」と奈良に東遷してきた神武なるひと率いる小国「日本」が並立し、「倭」の国の方が「日本」より大きかった時代、という見方がある。

という見方で行くと、筑紫君磐井ってのは「倭」だから、継体は「倭」じゃない、ってことになる。系図をみると2世代くらい後にいわゆる聖徳太子なる人物が顔を出す。あれ? 聖徳太子なるひとは、「倭」の人であまのたりしほことして松山を都にしていた人かなと思ってたんですが。

仁徳天皇陵は5世紀の第3四半期説をとるとして、あれは「倭」の絶頂期の遺産と考えると、継体大王はその50年後の「日本」の人、なのね…。

今日は梅雨に入ったようだし(例年に比べかなり遅いそうだ)、のんびり、継体大王について考えよう。