鉄道模型・色差し三昧

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鶴見線の17m級旧型国電の履歴をたどる

2016年05月26日 | 車歴表三昧
とうとう、蚊に喰われました。
眠っているところでした。
上唇で喰われまして、目が覚めたら腫れています。
次の日の午後くらいまで、なんとなく腫れたままでした。

もちろん、蚊取りを使い始めましたが、そんな季節になったのですね。

鶴見線の17m級国電の履歴をもう少し、辿ります。
各形式ごとに、転入・転出敷きの早いものから順並べ替えてみます。
これで、同一形式内での置き換えの状況が読み取れるようになります。

基幹形式のクモハ11形。
片運転台の電動車です。

昭和34年度中に7輌が転出もしくは廃車になっています。
代わりに転入してきたのは4輌。
差し引き3輌減ですが、後述する両運転台のクモハ12形が増えたためです。
この時期の鶴見線では、合理化のため日中の単行運転が始まっていました。

昭和37~38年度に、6輌が転入しています。
日中の単行運転が中止になったのか、クモハ12形が転出した時期です。
飯田線豊橋区(静トヨ)からの転入があるのが、おもしろいですね。

前回も述べたように、昭和42年度中に多数が入れ替わっています。
南武線中原区(東ナハ)または青梅線青梅区(東オメ)からの転入です。
のちに南武支線に生き残るクモハ11形4輌は、いずれもこの時期に中原区から転入していました。
11463は、ワンポイントリリーフでしたね。

コンビを組むクハ16形。
片運転台の制御車です。

クモハ11形と比べると、転入・転出パターンが複雑に見えます。
転入元も、中央線三鷹区(東ミツ)、総武線津田沼区(千ツヌ)、常磐線松戸区(東マト)、身延線富士区(静フシ)など、
バラエティーに富みます。

旧番がクロハ16800代だった車輌は、戦後の一時期に駐留軍専用だったもの。
半室2等として中央線と京浜東北線に連結されていました。

飯田線伊那松島区(静ママ)に転出した16519は、このリスト中唯一のトイレ設置車となりました。
阪和線鳳区(天オト)に転出した16480は、関西では珍しい17m級の旅客営業車。
16417は、片町線淀川区(大ヨト)の救援車28004となり朱色に塗られたことで知られます。

両運転台のクモハ12形。

ごめんなさい。余白が大きくなりました。
配置輌数は、昭和34~37年度に最多となっています。
日中の合理化のために単行運転ができるこの形式を揃えたものの、わずかな期間で2輌編成を基本とするよう戻ったかに思えます。
大川支線用には2輌配置があれば充分なので、ほかは各地の増結や事業用として転出していきました。
昭和53年度中に、12051と12053が入れ替わっています。
結果として、12052と12053が最後まで残っていたことは、みなさんご存じのとおりです。

運転台のない中間車、モハ10形とサハ17形。
2輌編成が組めないので、朝晩のラッシュ時以外は運用がなかったはずです。

またしても、余白…。

鶴見線といえば、ここを最後の活躍の場とする車輌が多いのですが、
モハ10形は、都心の重要線区山手線池袋区(東イケ)へ復帰した数少ない例。

サハ17形には、飯田線豊橋区(静トヨ)と山陽・赤穂・宇野線岡山区(岡オカ)に転出したものがいます。
飯田線に転出した17116は、さらに仙石線(仙セキ)へと大きく移動。

昭和41年度以降はこまめに車輌が入れ替わります。
検査期限切れの車輌を廃車し、期限の残っている車輌と入れ替えたのかもしれません。


では、73形はどうだったのか?
いずれ、まとめます。
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