じゅんこの部屋 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

「改正臓器移植法」

2010-08-17 05:50:33 | 医学
2009年7月に成立した改正臓器移植法に基づき、本人の意思が不明でも、家族の承諾が
あれば提供が可能になった。

先日、20代男性が脳死と判定され、家族の同意で、5人の患者にそれぞれ臓器が提供さ
れたという。

死を待つばかりの患者にとって、どんなに救われた思いがしたことか。。。

不慮の事故には違いないが、短い生涯で5人の命を助けたと言える。

突然愛する肉親を失い、とまどいの中、重い決断をされた家族の方々の心情もはかり
知れないものがある。

こんな時、自分はどうしただろう。。。

振り返って想像した人も多いのでなかろうか。

脳死になった自分。
そして、そんな家族を持った私。。。

「脳死」になった「自分」の「心」はどんな状態なのだろう。

ここが曖昧である限り、論議は尽きず、評価も難しい。。。

なぜなら、「生」と「死」の境界を、誰の意思で決めるかの問題の前に、死に至る「心」の
状態を、誰もが知りたいからである。

ここがはっきりすれば、「臓器」を生かす本当の意義も見えてくる。

「肉体」はこの世、焼いて終わるものだが、私たちの「生命」は、果てしない過去から
流転を重ね、生死を繰り返し、永遠の未来へと連なっていると仏教で教えられている。

その果てしない生命の歴史からすれば、この世100年生きたとしても一瞬の命。。。
その儚い命で、何をするために生まれてきたのだろう。

それは、弥陀の本願を聞いて、この世から未来永遠の絶対の幸福に生かされるため。。。

親鸞聖人は、救われた世界を「無碍の一道」と言われている。
弥陀の救いは、一念だから、最悪、臨終の人も正客なのだ。

この多生の目的を知らされ、三世十方を貫く真理を物差しとして見れば、いかなる空中
分解に見える論議も、果てしなく続く論争も、このためだったのか、とその解決が見え
てくる。。。

どうか仏縁あれかし、聞いてくれよ、と念ずるほかはない☆
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1 コメント

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死んだら賀茂川に捨てよ (通りすがり)
2010-08-29 13:37:18
親鸞聖人は「親鸞閉眼せば賀茂河にいれて魚に與うべし」と仰られていたそうですが、南無阿弥陀仏と一体になった肉体を移植されたら、その臓器を頂いた人にはたいへんな仏縁になると思います。
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