大相撲を観ていて、つい首をかしげてしまうことがかなりある。何だか安っぽいのである。何だか総てが見え見えのような気がするのだ。それは相撲取りが感情をあらわに表現するようになったからだと思われる。
仕切り;昔の相撲取りは皆無表情だった。仕切りをする間もただ淡々と儀礼的な同じ動作をこなしていた。でもその動作の間に段々顔が紅潮してきて、体にも汗がふきだしてくる。力が漲ってくるというのか、充電完了の感じが伝わってきて観る方も一緒に気分が高ぶってくる。ところが近頃は闘争心丸出しの表情をもろに出す力士が多いからこちらは見学するだけで気持ちがシンクロすることもなく、何だか相撲に参加できない。
動作;土俵に上ってからの一連の動作のしきたりや意味は知らない。普通のちょっと相撲好きという立場からの感想でしかないのだが、パフォーマンスがやたらに多くなってきたように思う。テレビがそれを望み、観客がそれを喜ぶように思うからだろうか。私は白けるばかりだ。準備運動としての動作に違和感を感じることはないのだが、観客を意識したパフォーマンスに嫌らしさを感じてしまうのだ。昔も若秩父という、塩をてんこ盛りに持って高く撒く人気者がいたが彼には違和感がなかった。そして現代の高見盛も実は好きだ。あれは観客に対するパフォーマンスというより、自己暗示の就眠儀式のようなものに思えるから。
睨み合い;昔の睨み合いは淡々とした準備運動としての仕切り中に、ほんの一瞬目を合わせることもあって、『おっ』と思わせたりするというようなものだった。ところが、今は時間前の見合って立ち上がった時に闘志剥き出しの睨み合いをする場合がある。睨み合いというより、ガンを飛ばすという感じで品のないこと甚だしい。
勝負後;がむしゃら丸出しで勝負が決まってからも駄目押しをしてしまう力士が多く観られるようになった。負かした相手の不様なすがたを『ざまぁみろ!』と見下ろして助け起こそうともしない。手を貸すにしても『早く勝ち名乗りを受けて懸賞金貰いたいんだから、立ち去れよ』という顔つきで押しやり、礼もなにも無く実に大人気ない。
インタビュー;昔に比べたら相撲取りはとてもおしゃべりになった。昔の力士は『はい』と『そうですね』くらいしかインタビューでは言わなかった。あとは、荒い息だけをマイクに吹き付けていた。それをアナウンサーが困ったようにフォローするのを見たり聞いたりするのが面白かったものだ。今は自分で分析したり、反省したり、意気込みを示したりする力士が現れて、こちらの想像力を働かせる余地が少なくなってつまらない。
相撲は溜めなのである。腹いっぱいチャンコを食ってエネルギーを溜め込み、辛い稽古で力を溜め込み、太った顔と体に闘志を溜め込み、喜怒哀楽をも内部に溜め込み、一瞬の力技で勝負する以外はすべてを溜め込んで大きな体を静かに保ち、穏やかに寡黙。それに観客は見惚れて感嘆し拍手するのだ。相撲は『溜め』が命である。何故今のような軽薄な大相撲になってしまったのか。調べたりはしないで全くの個人的直感的意見を次回書いて見たい。
(つづく)
仕切り;昔の相撲取りは皆無表情だった。仕切りをする間もただ淡々と儀礼的な同じ動作をこなしていた。でもその動作の間に段々顔が紅潮してきて、体にも汗がふきだしてくる。力が漲ってくるというのか、充電完了の感じが伝わってきて観る方も一緒に気分が高ぶってくる。ところが近頃は闘争心丸出しの表情をもろに出す力士が多いからこちらは見学するだけで気持ちがシンクロすることもなく、何だか相撲に参加できない。
動作;土俵に上ってからの一連の動作のしきたりや意味は知らない。普通のちょっと相撲好きという立場からの感想でしかないのだが、パフォーマンスがやたらに多くなってきたように思う。テレビがそれを望み、観客がそれを喜ぶように思うからだろうか。私は白けるばかりだ。準備運動としての動作に違和感を感じることはないのだが、観客を意識したパフォーマンスに嫌らしさを感じてしまうのだ。昔も若秩父という、塩をてんこ盛りに持って高く撒く人気者がいたが彼には違和感がなかった。そして現代の高見盛も実は好きだ。あれは観客に対するパフォーマンスというより、自己暗示の就眠儀式のようなものに思えるから。
睨み合い;昔の睨み合いは淡々とした準備運動としての仕切り中に、ほんの一瞬目を合わせることもあって、『おっ』と思わせたりするというようなものだった。ところが、今は時間前の見合って立ち上がった時に闘志剥き出しの睨み合いをする場合がある。睨み合いというより、ガンを飛ばすという感じで品のないこと甚だしい。
勝負後;がむしゃら丸出しで勝負が決まってからも駄目押しをしてしまう力士が多く観られるようになった。負かした相手の不様なすがたを『ざまぁみろ!』と見下ろして助け起こそうともしない。手を貸すにしても『早く勝ち名乗りを受けて懸賞金貰いたいんだから、立ち去れよ』という顔つきで押しやり、礼もなにも無く実に大人気ない。
インタビュー;昔に比べたら相撲取りはとてもおしゃべりになった。昔の力士は『はい』と『そうですね』くらいしかインタビューでは言わなかった。あとは、荒い息だけをマイクに吹き付けていた。それをアナウンサーが困ったようにフォローするのを見たり聞いたりするのが面白かったものだ。今は自分で分析したり、反省したり、意気込みを示したりする力士が現れて、こちらの想像力を働かせる余地が少なくなってつまらない。
相撲は溜めなのである。腹いっぱいチャンコを食ってエネルギーを溜め込み、辛い稽古で力を溜め込み、太った顔と体に闘志を溜め込み、喜怒哀楽をも内部に溜め込み、一瞬の力技で勝負する以外はすべてを溜め込んで大きな体を静かに保ち、穏やかに寡黙。それに観客は見惚れて感嘆し拍手するのだ。相撲は『溜め』が命である。何故今のような軽薄な大相撲になってしまったのか。調べたりはしないで全くの個人的直感的意見を次回書いて見たい。
(つづく)