鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

琵琶湖での遊び・・・ヒシの実のこと

2010年02月28日 09時26分59秒 | 随筆或いはエッセイ

琵琶湖の湖西は今津に行った帰りに寄り道を楽しんだ。先ずは湖周道路に回って高島市新旭水鳥観察センターに行く。在ることは知っていたのだが入るのは初めて。200円を払って入る。琵琶湖を望む全面がガラス張りで、カウンター式になっていて椅子に座りゆっくり水鳥を観察できるようになっている。望遠鏡を持ってきてくれて操作も説明してくれて、観られる水鳥写真のファイルを置いてくれる。あちらは逆光だから見えにくいとか、今ならこちらに焦点を合わすとよく観えるなどと控えめに教えてくれる。なかなかに居心地がいい。よい職場に勤めているラッキーな人もいるものだ。

色んな種類の鴨たちが浮いているけれど、手前はオオバンが多い。オオバンの額の白いしゃもじ模様は毛なのかと所長らしき職員に聞いてみた。毛ではなく皮膚だと言って剥製を出してきてくれた。剥製のしゃもじは変色してしまっているから白い塗料が塗ってあるのだと言う。タンチョウヅルの頭の赤も毛ではなくて血管が透けて見えている地肌なのだとか。では白い地肌は何なのだ?明確な答えは引き出せなかった。困った来館者だったかも。

オオバングループの沖は首を羽根に仕舞って昼寝中の鴨が多い。カンムリカイツブリの集団だった。こんなに大勢で居るのは初めて観た。というより自覚しての認識は初めて。望遠鏡でみると実にとぼけた首をしている。頭の毛がぴんぴんとはねている今風のヘアスタイルでしかも小顔。潜って魚なんかを獲るやつだから、身体は鴨でも首から上は鴨ではなくて鵜に近い。正面から見ると駝鳥に似ているような・・。

他にもオナガガモ、キンクロハジロ、ホシハジロなどを観てから望遠鏡から目をはずしてぼんやりしていると岸辺や枯れ葦にやってくる鳥がいた。ツグミにジョウビタキ。やつらは望遠鏡を合わすとこちらを見る。窓ガラス越しでもレンズが気になるようだ。オオヨシキリみたいな地味な小鳥も来た。頭の毛が三角に立っている。ゴリラの頭頂みたいだ。もしかしてこれが・・と思い、帰ってから調べて確信した。初めて認識したカシラダカ。オオヨシキリは夏鳥でカシラダカは冬鳥だそうだ。

こう書いていると、タイトルになかなかたどりつけない。水鳥観察センターはカフェにもなっていてコーヒーなんかを注文できる。飲んでいる人もいて良い雰囲気だったが私はたのまなかった。始めから知っていてそのつもりになっていないと出来ない。独りだと控えめな性格と節約習性が度を増す。

そう、ヒシの実だ。観察センターを後にしてから湖周道路を南下すると所々に駐車場があって停まりたくなる。安曇川の扇状地から三角州が発達した所なので河口がたくさん枝分かれしている。その川と川の間にできた水際のブッシュに寄ってみた。ウグイスが鳴いていた。まだ下手な囀り。今年初めて聞いた。初鳴きを聞くというのは個々人の場所場所での偶然のことか・・。キジも鳴いていた。メスが勝手にどこかに行ってしまったから呼んでいるのか・・などと想像したけれど、ネットで少し調べてみると縄張り宣言だという。すると私はヤツの縄張りを侵そうとしたよそ者と見做されたのだろう。岸辺にでたら画像のヒシの実が無数にあった。

乾いてからからのかちかちになっていた。長浜の湖北野鳥センターに展示されていたのを見たことがあっただけなので、おーと驚いた。なるほど、こんな具合に簡単に手に入るならマキビシになるわけだ。これを踏んだらたまらない。ワラジだって突き抜けそうだし、突き抜けないまでも底にくっ付いたら転びそうだ。水位が下がっていて汀が後退していたら踏んでしまうところだった。危ないアブナイ。

ヒシクイというガンの一種を観たいと思いながら、まだ観たことがない。こんな堅い実を食うのかと思って割ってみたが、種はない。これもネットで調べてみると水に浮く実は空っぽなのだという。考えてみれば、そりゃそうだ。浮いてしまっては根付けない。ヒシクイが食うのだって、まだ実が茎から離れていない柔かい実なのだろう。まだまだ、独り遊びでいろいろ楽しんだのだけれど続きは後で書こう。書き出すとメールでもコメントでも何でも長くなるのが私の悪い癖だ。    つづく



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勝ち逃げの朝青龍

2010年02月06日 16時43分05秒 | 勝手に応援
引退をした朝青龍がハワイに発ったというニュース映像を観た。テレビカメラや記者のマイクにも今までのような横柄な態度は見せず、あっさりとしてさばさばした表情だった。悪びれない様子とも取れるし意気揚々たる姿とも受取れる。傷害事件当事者には多額の示談金も払い、被害届けは出さないという約束を取り付けたのだからもう事件はなかったことになったということなのだろうか。ハワイに行けるということはそういうことなのだろう。解雇ではなく本人からの引退届けだから、相撲協会から1億円以上の退職金も支払われるのだという。

今回の騒動での損得勘定を考えてみると、誰一人として損をしていないように思われる。相撲協会と高砂親方及び大相撲関係者にしてみれば、今まで朝青龍人気でかなり儲けてきた。しかし今後この問題児がどんな大問題を起こすか戦々恐々たる思いだったところ、うまい具合に厄介ばらいができた。もう十分で丁度よい頃合だったのだ。鼻骨骨折の被害者にしても、あれだけの文面を書いて示談書も作成しているのを見れば、納得のいく示談金をもらったということなのだろう。

一般人へのインタビュー報道なども、しょうがないとか当然の結果とかファンだったから惜しいというような内容ばかりで、真相究明という事件性追求の姿勢はほとんどなくなった。警察もそのような雰囲気を汲んでの民事不介入の態度だ。政治的配慮のようなものが働いたのかも知れない。何の指示もないのに行政は自主規制のようなことをしてしまうものだ。スポーツ評論家の中には『モンゴルは対ロシアという地理的条件から友好を保っていかなければならない国だから対応が・・・』などと言う者までいた。

モンゴルのマスコミは朝青龍の引退を、いじめられてしむけられたとか、記録を塗り替えられるのを阻む陰謀だとか、とにかく惜しむというよりは憤りの表現が多いようだ。一人だけ『そんなことはないし、いじめられているなんてことはない・・』と言っているのが、今はモンゴルの国会議員の元旭鷲山だ。彼は朝青龍とはまげをつかまれての反則やら車のミラーを壊されたり、口げんかしたりという関係だったが、それだからこそか冷静に見ている。ひょうひょうとしているのに相撲では色んな技をくりだす彼が私は好きだった。

朝青龍は横綱の品格や所作を云々されることも多く、これまでに色んな問題を起こしてきたが本当にうまく勝ち逃げしたものだなぁと感心する。これ以上やっていても落ちていくだけの時期になっていたのだから、頭をつける相撲も取り技能的になったなどと解説されていようが、優勝などはもう難しかっただろうと思われる。引退したから何とでも書けるのだけれど・・。

私は相撲に関してさほど詳しいわけではないけれど以前にこのブログで、大相撲の美しさは溜めの美しさ・・・とか、勝負が決まった途端に力を抜いて相手をかばう見切りの素晴らしさなどを書いた。日本人の美意識には、勝ち気を隠して見せないといった所もある。負け(ず)嫌いを顕わにするのは大人気ないことではしたない事なのだ。

朝青龍は日本的な美意識などとは無縁な悪ガキのまま横綱にまでなってしまった。彼のファンは相撲の巧さ強さばかりではなく大人気ないヒールとしての彼を盲目的な親心で愛していたのだろう。悪い所には目をつむって、よい所かわいい所こどもこどもした仕草だけを見ては目を細めてしまう。感情が態度と表情に表れてわかりやすいから認めてしまうのだ。しょせんファンでしかないから。

彼は十分な実績と記録を残して去った。解雇ではないから引退相撲が行われるだろうなどということも聞いた。日本国籍を取得しなかったので相撲協会には残らないのだそうだが断髪式はやるのだろうか。すべてのセレモニーが終わって区切りがつくまでに酒でまた失敗しないだろうか。『酒は控える』などという反省の弁はなかったのだから。

相撲という仕事を失職してもモンゴルに帰れば、儲けたお金で築き上げたアサ・グループという財閥のオーナーだからビジネスマンとしてやっていくのだろうか。国会議員から大統領を目指すのだろうか。相撲の精神性のような部分を省いて出世してしまった男だ。DVが原因とかで離婚もしてしまっている。アルコール依存症などにならないように見守る人は周りにいるのだろうか。などと余計なお世話ながら、心配するとまでは言わないけれど想像をしてしまうんである。 

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謝意のない謝罪

2010年02月05日 04時46分01秒 | 勝手に応援
昨日は民主党の小沢幹事長への検察の不起訴処分決定と朝青龍の引退というニュースが繰り返し流された。二人の記者会見シーンを何局かで観たが、注意深く言葉を選んで余計な事を言わないようにと最大限の注意を払っているのが必要以上に目立って、どうにも隔靴掻痒の感が残った。

小沢幹事長は「今回の件で国民の皆さんと同志の方々にご迷惑とご心配をかけたことをお詫びしたいと思います」とは言うのだが、その後に『申し訳ありません』『すみません』などの言葉が続いてお辞儀をしてしかるべきなのに、それがない。黙って一礼でもいい筈なのにそれすらしない。謝意が感じられないのである。

報道記者の傍若無人な取材行動にいつも腹立たしいのだろうけれど、それにしたってテレビに映っているのにそれはないだろうと思う。選挙時の一人一人への握手をする満面の笑みを思い起こせば、最近の仏頂面との落差に驚くばかりだ。こういうことがあってもなお、次の参議院選に勝利すべく、鳩山首相が絶対的信頼を寄せているのがとても不思議だ。

朝青龍の会見もそうだ。「・・・迷惑をかけたので引退しました・・・」とは言うのだが、お辞儀すらしない。民間の会社が不祥事をおこした時に、役員達がやる謝罪会見では必ず深々としたお辞儀のシーンがテレビで流される。今回の二人は不遜な態度を印象付けたくて報道各局がそろって、お辞儀するところや誠意ある謝意が伝わる部分を流さないのだろうか。

それにしても警察の態度は解せない。鼻骨骨折の重傷と報道で伝えられているのに逮捕もせず、テレビに警察発表会見のシーンすら出てこない。朝青龍の方から引退を表明させることによって、すべてが終りのようになってしまっている。真相解明はどうなるのだ。けっきょくうやむやになると言うのか、してしまうのだろう。みんながほぼ納得する、誰にとっても一番得な善後策という結果になったのだから。

ついでにもうひとつ気になったこと。不起訴処分という言い方に違和感を覚えた。行政処分には、営業許可処分のように必ずしも処罰イメージとは異なる使い方もあるようだが、それにしたって不起訴なら不起訴でいいではないか、不起訴処分などとは言わずに・・・と思う。さすがに小沢幹事長もそれを感じているのだろう、自分からは『不起訴処分』になったとは言わずに『不起訴となったことを知らされた・・・』と言っていた。処分という言葉は行政の不遜さをもっとも反映した言葉のように感じる。朝青龍も不起訴処分となるのだろうか。

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