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鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

田の畔にオニタビラコ(鬼田平子)など

2025年06月07日 08時31分00秒 | 散歩は夢中






早朝ウォーキングコースの農道脇にオニタビラコが咲いている場所がある。
咲いているとしたけれど、早朝なのでいつだって律儀に閉じていて、つぼみの黄色が住宅地を日が暮れてから見下ろした景色に見える。
間延びした田舎の生地に居て、都会の大規模住宅地を恋しがる気分など無いはずだけれど。
圃場整備で出来たまっすぐなコンクリート農道は、田舎だからか一般車の抜け道や近道として利用されることはなく、農業従事者の軽トラックと農業機械車しか通らない。
私の歩く時間帯はめったに地元の人も動かないので、ごくたまに軽トラックが行くだけ。
5時半〜7時半なので、他の散歩をする人に出会ったこともなく、徒歩の私一人が早朝ウォーキングに利用するばかり。
もしかしたら、農業以外の用で通行してはいけないという通達でもあるのだろうか、と思うくらい。
前置きが長くなってしまった。
とにかく急ぎ足をしていたと思えば歩を止めてスマホなんぞを構える変なジジイがいると思われているかもしれない。
コンクリート農道脇の法面にオニタビラコ、スイバ(酸葉)、ハルジオン(春紫苑)が生えたままにされていて良い感じ。
刈りとばしたり、防草シートを貼ったり、除草剤を散布したりしないで欲しいと思う。
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蛾と鴉の死骸など

2025年06月04日 08時56分56秒 | 散歩は夢中






朝のウォーキングで農道を通行中に蛾の死骸に気づいた。
胴体がなくて翅だけだったので死骸とは言いにくい。
オオミズアオ(大水青)かオナガミズアオ(尾長水青)に違いないけれど、丸々とした胴体は、このあたりで時々観ることのあるフクロウ(梟)にでも食われたのではないかと思われる。

ウォーキングの締めくくりは菩提寺の参道と墓場を通って帰るのだが、墓石の横にカラスの子が死んでいたのを見たのは数日前。
傍らの杉の大木に作られた巣から落ちてしまったのだろうけれど、まだ羽根が育っていなくて軟着陸ができなかったものと思われる。
後から思ったことだけれど、カラスの被害を防ぐためにダミーの死骸が売られているくらいだから、これをくくって下げたらどうだろう。
カラスによる実害を感じたことはほとんどなくて必要性は感じないけれど、今年はトウモロコシを作るので収穫間際にカラスの被害に気をつけなければいけないかもしれない。
うまくミイラ化してくれたらそれも良いかなどと考えていたのだが、今朝見たら死骸はなかった。
トンビ(鳶)にさらわれたか、墓の持ち主が気づいて片付けたか、それとも私と同じことを思った人がいたか、なんだか残念な気がする。

3枚目の画像は飯山線の楢山トンネルを抜けて行く今朝の気動車。
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花の上で交わる

2025年05月23日 08時21分08秒 | 散歩は夢中




真っ白い房状の花の上でカミキリムシ(天牛)が交尾中だった。
いつもの散歩コースの信濃川岸壁断崖上に生えている木の白い花。
ミズキ(水木)あるいはクマノミズキ(熊野水木)のどちらかに違いないのだが、一瞬の切り撮りからでは決められない。
カミキリムシはミドリカミキリかもしれないけれど、アオカミキリ族には多くの属があって云々とあるのでこれも数枚撮っただけで同定は到底出来そうもない。
とにかく花の上で交尾中のカミキリムシが居て、メスは食餌中で交尾中ということになる。
メスは食餌も交尾も同等の大事さなのに対し、オスは交尾が主目的に違いない。
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霧の朝にタンポポ(蒲公英)綿毛

2025年05月22日 17時46分17秒 | 散歩は夢中








霧の朝は歩き始めても、歩く目的といったものが自分の中に定まらない。
景色がぼんやりしていることで、自分自身もすべからく曖昧なままで良いような気分になるのかもしれない。
そうして、いつもなら大股歩き速足を意識したりするのだが、何も決め事を作らず足の向くままに任す。
そんな歩き方をして、霧の向こうを撮り、山の様子を撮り、足元を観たらタンポポ(蒲公英)の綿毛が水滴をまとっていた。
タンポポは花弁が落ち、綿毛のつぼみといった状態になってから、機が熟すとパッと丸い綿毛状態になるものと思われる。
ところがその状態でも、夜になったら、あるいは寒くなったら、綿毛の先が閉じるようだ。
まんまるなのに種の先の綿毛が完全に閉じた状態のものを見たことがある。
今回は半開き(半閉じ)状態で朝霧に包まれ、霧吹きで吹いたような水滴を全体にまとったものと思われる。
こういうものは探して見つかるものではなく、ほぼ何の目的もなく、期待もせず、迷いも憂いも忘れた状態にいると出会えるような気がする。
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白いスミレ(菫)の中にカキドオシ(垣通)

2025年05月11日 07時48分20秒 | 散歩は夢中




いつもの散歩コースの地べたに、普通の紫のスミレが多い中、ところどころにかたまりとなって白いスミレがある。
踏まないように、その辺りを歩くときは気を遣う。
カキドオシが咲き始めていて、その白いスミレを撮ろうとしたら入ってしまった。
受け口のカキドオシが白いスミレに『お前ら色がなんで抜けちまったの!?』とからかっているように見える。
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雑草生い茂る中での出会い

2025年05月10日 07時43分30秒 | 散歩は夢中


散歩途中に他所様の宅地内の放置されている隅っこに、ムスカリのひと叢をスノーフレークが覗いている、といったシーンがあった。
スギナが蔓延ったら、もうどうしようもない感じではあるけれど、背の高い雑草が混ざっていなければ、芝生より緑一色で悪くはない。
そんな中にカタカナの目を惹く花が咲いているのは、なかなか良くて、このコラボレーションは撮らずにいられなかった。
早朝なのでほぼ他人の目はないのだが、柵もない場所で道に面しているとは言え、宅地内を盗み撮りしている感じなので素早くさりげなく決行する。
連日ムスカリに心が動く。
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霧雨の日

2025年04月25日 08時44分33秒 | 散歩は夢中


いつもの農道で、ルリシジミ(瑠璃小灰蝶)が地べたに貼り付いてしまっていた。真夏日に近いような陽気になった折に羽化したものの、繁殖相手を探せたのかどうか、すぐに朝晩の寒さで力尽きたのだろうと思われる。



蜘蛛も冬眠するのかどうか、卵で越冬して孵化したての小蜘蛛の作品だったのだろうか。『霧雨』と名付けられたネックレスはあるだろうかなどと思った。



小さな溜池に水を供給する一段上がった湿地にひと叢だけの水芭蕉があった。水の流れに沿って並ばずに、おしくらまんじゅ状態にあると、らしさがなくて残念な姿だ。



蕗の薹はすでにボケ始めたのもあるくらいに、どこにでも吹き出しているようになった。雌花は白っぽくクールで地味で、苦さが強い。



蕗の薹は虫媒花なので、雄花は派手に黄色くて、虫を呼び寄せるための蜜も花粉も多いそうで、苦さは雌花より控えめ。
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霧の朝

2025年04月23日 06時16分07秒 | 散歩は夢中








朝食を摂らないことにしたということは、作らないでよいということで、朝起きが楽になった。
寝床であれこれ考えないでもよいので、ぐずぐずする理由がなく、むしろ、うずうずするくらいのもの。
早く歩きたいと思うあまり、寒くて嫌だなということまで押しやられる。
昨日は霧の朝だったから、いつもの気に入りコースから河向こうの景色を望むことができず、いつもの様子が歩くにつれて霧の中から現れるのを楽しんだ。
積もっていた雪はほとんど消えて、桜がそこここに咲き始めた。
雪に痛めつけられた雪国の桜は端正な樹形を保つことができず、折れたり曲がったり、それでも春の面目を保つために精一杯という風情。
平成の大圃場整備で、ほとんどの田が耕地整理され、昔から続いた畔の曲線は消えた。
どの田にも農業機械が入れるように農道ができて、散歩をするのはジグザグにどこまでも自由自在。
線路脇の農道を歩いていたら飯山線の朝の1番列車(1両だから列車にあらず)がやってきて、向かってくるところと去るところを撮った。
脇の石碑は近寄って見なくても、圃場整備の記念碑のはずで、ふるさとの景色が変わってしまった記念でもある。
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下ろし立てのトレッキングシューズで春を探しに

2025年04月16日 06時59分44秒 | 散歩は夢中














いつもの散歩コースを歩きながら雪消えの進む山を眺めることが多いのだが、徐々に確実に地肌が見えてきて興味深い。
子どもの頃には隣市との境界を流れる川へと魚釣りや泳いだりするために、ひと山越えて行ったものだった。
その道がよく分からなくなっていて、山自体が昔のようではなくなって荒れているように見える。
雪が消えると共に山道らしき線が浮き出て来たので、断片的な景色の記憶を元に、おおよその見当をつけて分け入ることにした。
いつものウォーキングシューズでは潅木の生い茂ってしまった道だったらしき坂を行くのは無理。
トレッキングシューズを下ろす時が来た。
道なき道を分け入っていくと、峠に『治山事業 災害関連緊急治山工事』の杭が立てられてあった。
少し下りていくと、確かに崖崩れで道が消えてしまっている。
それでも昔遊んだ川は雪解け時による水嵩は増えていても元の蛇行が見下ろせた。
下ろし立てシューズなら川縁まで下りていくのは可能とは思ったけれど、川を越えることはできそうもないので引き返すことにした。
このまま引き返すのはつまらないので、峠から道のない稜線を登ってみた。
笹は生えていないし灌木に常緑樹はほとんどないので、まばらに生えた裸の細木を腕で払いながらの前進。
稜線ではあっても雪がまだ残っているところも多く、ニホンカモシカの足跡があった。
下りになったところで、周りを見回しても道らしきは見えず、先には希望がなさそうなので、斜め60度くらいの見当をつけて雪の上を戻ることにした。
しばらく下りていくと地肌の露出した陽の当たる斜面に、これが1つの目標でもあったキクザキイチゲの開花状態を見つけた。
その前に稜線では開花はしていなかったけれど、今春初めての控えめなカタクリ姉妹状態が観られた。
雪はかなりの厚さだったが道の上かもしれない平で緩やかな斜面を下りていくと、古びた小屋が見えた。
油絵なんぞに描きたいシーンとでも言おうか、よくぞ今年の大雪のなか立ち続けていたものとでも言おうか、人工物でありながら自然と一体化している。
切り通しを抜けると大木が倒れて行く手を阻んでいたけれど、乗り越えて下り、散歩コースもチラチラ見え始めて低地に下りた。
トレッキングシューズの履き初めとしては申し分ない山行となった。
後付けの書き始めに思いついたタイトルは少々そぐわないけれど、そのままにした。
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JR飯山線

2025年04月13日 08時51分08秒 | 散歩は夢中










線路がカーブしているので、踏切を少し離れるとトンネルと正しく対面できる。
向こう側の見通せる短いトンネルは、子どもの頃にドキドキしながら川への近道として行き来した。
正面を撮り終えて歩き出したら踏切の警報器が鳴り出し遮断棒が下りた。
どちらから来るのだろうと、スマホを用意していたら、越後川口発の上り線のライトがトンネルの向こうに見えた。
十日町方面への通勤通学者の利用する、私も3年間乗り続けた時刻の列車。
当時は客車も貨車も多数連結したD51蒸気機関車だったけれど、今はせいぜい2輛のヂーゼルカー。
1両の時も多くて、検索してみたら1両から4両編成とのこと。
60年後の私がウォーキングなどをしながら、スマートフォンを構えつつ見送るなんて感慨深い。
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朝の散歩はいつも霧の中

2025年04月12日 07時04分07秒 | 散歩は夢中






冷え込みはひどくなくなって、毎日やるようになった朝の散歩はいつも霧の中だ。
わが家の前を通る子は隣の集落の小学生が1人だけで中学生はいない。
クマ避けの鈴をランドセルに付けていて時々チリンと鳴る。
自宅周りで雪消えを促す雪割りなどをやっていると、その子の通るのが見えて、『ああ散歩に行こう』という気になる。
朝食を摂らないことにしたら、朝の行動が何をするにしても自然に移行できるようになった。
昨日は、隣の集落からそのまた隣へと向かう道路脇で雪折れした木の裂け具合をズームアップ。
なぜこんな裂け方をするのか理解に苦しむけれど、大蛇が大口を開けて対峙しているように見える。
農業用水路脇の田んぼ畔に土筆(つくし)がびっしりと生えていた。
子どもの頃に、一度だけ袴取りを手伝ったことがあるけれど、どんな味だったかの記憶はない。
小さいから採るのも面倒なら、袴取りが細かい作業過ぎて、わが古里では誰も手を出さない。
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古里で早朝散歩

2025年04月05日 13時51分30秒 | 散歩は夢中










ずっと続けてきたウォーキングを一昨日と昨日とやらないでしまったので、本日は起きてから、何はともあれ早朝散歩をしてみた。
こちらに来るようになって10年余り、家から歩き出す散歩というのは、ほぼしたことがない。
散歩は暇人のやることで、私にすれば、やるべきことはいくらでもあるので、そちらに気が向かなかった。
でも今回は、避寒中にせっかく習慣となった散歩をやめてしまってはもったいない。
今年は山に行くという目的もあるので体力作りに早足大股ウォーキングは続けるべし。
霧の朝だったから、菓子折りの箱を開けた時にある薄紙を通したような景色だった。
世の中がモノクロになっていて、映画の始まりにこんなシーンがあった。
レインコートを着た男がやってくる、あるいはライトを点けた古ぼけたセダンが進んでくる、といった感じ。
雪の解けた土手に蕗の薹がかろうじていくつか見られたので、2つ採り朝飯の味噌汁に入れた。
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コブシ(辛夷)とツバキ(椿)と告知

2025年03月31日 09時59分09秒 | 散歩は夢中








強い香りが遠くまで届いているのは、たいていの場合がジンチョウゲ(沈丁花)。
コブシの香りを感じ取ることはあまりなかったのだが、低い位置まで花の付いている終わりがけの木が公園にあって、嗅いでみると強く匂うことが分かった。
モクレン科はみな良い匂いがするということは知っていたけれど、しっかりと実感した。
それよりも、コブシの花びらの裏側は赤っぽい筋が入っているんだな、とこちらは初めて認識した。

昨年だったか、ひだの密なこのツバキが住宅街の石垣に植えられているのを観て撮った。
今年も撮りたいと思ったのだけれど、その住宅街のどこだったのかはっきりとした記憶がなくて、もしかしたら今年は花をつけなかったのかどうか、探し出せなかった。
ところが別の場所で大きな木のこのツバキの花を咲かせている家があった。
坂道で擁壁から頭上に、大輪のこの花が見えたので、喜び勇んで撮った。
雄蕊雌蕊が見えないということは、結実できない突然変異なのではなかろうか。
先日のボケ(木瓜)と同様に挿木で増やしたクローンなのかも知れない。
このツバキの新枝も秋になったら、挿し木にするために欲しいものだと想う。

散歩中に、ちょっと山に分け入ってみようとしたら駐車している車が数台あって、害獣捕獲の告知があった。
駆除という字を使っていないけれど、猟銃を持って入山しているはずなので、登るのは諦めた。

スーパーの防犯灯で巣作りしているツバメは2番(つがい)になり、2ヶ所にコーンが置いてあった。
食べ物を扱う店だから巣を作らせない、という考え方をしないところがナイス。
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いつもの山歩き その2

2025年03月29日 07時54分30秒 | 散歩は夢中






舗装された道を峠まで登り切らずに、手前から、尾根筋へ行けるように見える、なだらかな沢を上がっていくことにした。
平面的にはショートカットになるけれど、道という道は無く倒木も多く起伏も激しい。
それでも、とにかく少しでも早くアスファルト道路から外れたいので未知のコースを作る。
川のゴミを見ないで済むし、人の痕跡のない山懐に入りこんでいるだけで安らぎを得られる。
しばらく道なきコースを登ると、ハヤブサ(隼)が狩った獲物の羽毛をむしったに違いない痕跡があった。
ヤブツバキの小さな赤い花がその中に落ちていたりして、象徴的シーンになっていた。
思惑通りに尾根に辿り着くことができて、あとはイノシシが地面を掘り返した跡なども撮ったが、思うほど立体感のない画像となり分かりづらいので割愛。
予定通りに下山しての帰宅途中にボケ(木瓜)とギンヨウアカシア=ミモザを撮った。
毎年このボケの花を観るたびに夢路を連想し、秋にでも持ち主が外にいたら挿木にする枝をもらえないか、とねだりたいと想う。
ミモザにはミツバチが止まっていたのだけれど、もたもたしているうちに飛び立たれてしまったので悔し紛れに花を接写。
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いつもの山歩き

2025年03月28日 10時53分00秒 | 散歩は夢中












雨が降りだす前に、いつもの山歩きをしようと峠までの府道を登っていたら、両側の斜面にヤブツバキ(薮椿)が目立つようになっていて、ヤマザクラ(山桜)も咲いていた。
谷を流れる日野川はいつもと変わらず投げ捨てられたゴミだらけ。
これらのゴミが大雨で一気に流れ下ったら、平地でひどい状況が現れてしまうのだろうか。
13年前の2012年のお盆に起きた宇治豪雨では、中腹にあった一軒家が跡形もなく流された。
その時の私は帰省していて実態を知らず、ゴミが全て流されたかどうかも確認していない。
あの雨は、バケツをひっくり返したという言い方をそのまま実感したと後で家人に聞いた。
山越えの道は各所で崩れて寸断され、山自体も形が変わったほどと聞いたけれど、まさかそれは盛り過ぎだろうと疑ったものだった。
救急車が後ろからやってきて坂を登って行った。
この先にいくつかある集落で何かが起きたのだろう、戻りにはガード外に避けようと思っていたけれど、私が尾根筋に曲がるまでには帰って来なかった。
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