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鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

宗教と葬式と遺言と(その3)

2008年05月05日 00時03分03秒 | 随筆或いはエッセイ
信じる宗教を持たないくせに、宗教的な場面にとても感動して一種敬虔な気持ちのようなものを感じることがある。映画だったかテレビのノンフィクション番組だったか・・どうにもならない辛さ、やるせなさで混乱する人に、教会の牧師か神父が『祈りましょう、共に祈りましょう』と言って二人で祈る・・・そのシーンだけがなぜか忘れられない。

教会中が揺れるようなゴスペルの熱唱シーンはテレビで観たことがある。観音講の御詠歌合唱は現実に居合わしたことがある。いずれもいいものだなぁと思った。知らず知らずに受け継いでいる民族の音やリズムに詩が乗って魂を揺さぶるのか。

ある寺で声明の大合唱を聞いたときにも魂が揺さぶられるというような感覚を持った。そこには私が客人を案内していったのだが、その客人は「演出がうまいね」と言った。冷めた見かたをする人もいるもんだなと思ったものだ。

寺のぼんさんも声明グループを結成して世界にパフォーマンスを発信したら受けるだろうに・・・。そもそもそういう発想が声明には馴染まないのだろうな。つい下世話な算盤ずくの夢想をしてしまう。しかし沖縄のネーネーズが島唄を世界に知らしめたように、声明だってボーズーズかなんか結成して・・・おっと、又夢の世界を彷徨ってしまう。

ところで前回取り上げた『千の風』はケルト民族の霊魂不滅の宗教観から生まれた詩ではないかと、ルーツを辿る旅番組を観たことがある。日本人の宗教観の輪廻転生に通じているから多くの人に支持されたのだろうと言うことだった。

しかし、ネット検索したらアメリカに原作者がいたようだ。つい数年前に99歳で亡くなったメアリー・フライという女性だそうだ。新井満は電通という商業主義のど真ん中にいる人だ。あの歌の大ヒットに嫉妬したか、そのことで悪し様な批判をしている評論家がいた。原作者が著作権を主張せず金銭も受け取らず、皆の詩だと言っていた・・ということと比較したら、わからないではない。

私には宗旨替えをして欲しい人がいる。しかし宗教論争のようなことは、力も根気もなくて出来ないので意志伝達もせずにほとんどあきらめている。本当はゆっくり時間をかけて話し合いたいのだけれど、生活に追われてそれもできない。

そして自分はと言えば、若い頃のツッパリは影をひそめ、今はすっかり宗旨替えして《脱兎のごとき逃走主義》を自称している。とんびは狩が下手で死んだモノや残飯漁りなんかをしている品性だ。
地にあっては兎のように、空にあってはとんびのように、海にあっては、・・・くらげのようにして永らえていくつもり。

ブログとは遺言。こんなセンテンスが思い浮かんだ。独り言かも知れないけれど遺したいのだ。日々の想いを、過ぎ越しの過ちから得た事どもを遺言として。
    (おわり)

コメント (4)
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