鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

「花粉嫌い!」とつぶやくCM

2008年03月29日 15時36分56秒 | テレビ・ネット・映画
パブロン鼻炎カプセルSのCMを観る度に『ふふっ』と笑ってしまう。うまいなぁと感心してしまう。こういうのを観ると、何だか能書きを垂れたくなる。と言っても、薬効ではなくて、コマーシャルの創りの面白さ。

オーケストラの演奏中にかわいらしい女性がとんでもなく大きいクシャミをして、クシャミの風圧が指揮者の髪を襲う。指揮者は一瞬フリーズして、そこでクシャミ女が「花粉嫌い!」とつぶやくのだ。その後はお決まりのコマーシャル。

普通に考えたら、粗相をして周りすべてに大迷惑をかけた事を恥じて居たたまれない状況。クシャミをしそうならそもそも演奏会なんて行かないだろうし、突発的に出そうになったら何としても会場を抜け出す筈のところだ。

一瞬の内に《あたしが悪いんじゃない!花粉が悪いんだもん》と責任転嫁してぶりっ子する。相当えげつない大阪のオバチャンでさえやらない芸当。すばらしい。かわいいならそれが許されるのか!? そう!たいてい許される。

言い訳にもならない言い訳。でもこんな類の言い訳は、現実にいくらでもありますね。あれだって、これだって、ほら!それだって大差ないじゃないですか!という揶揄ですね。このコマーシャル。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカーワールドカップ予選、バーレーン:日本を観て思ったこと

2008年03月27日 19時39分06秒 | 勝手に応援
試合をテレビで観ていて、何だか子供のサッカーを観ているような印象を受けた。ボールがぽーんぽーんと大きく相手方へと飛んでいくだけで、ちっともパスになっていない。お互いが自分達のゴールから遠ざけさえすればいいという感じに見えた。

以前にも書いたが、サッカー観戦はイライラを愉しむ娯楽だ。究極のイライラから一気に開放される瞬間があるかないか解らないのにひたすらそれを期待しながら観るのだ。

それとは別に個別の華麗なプレイを楽しむこともできるのだが、今回はドリブルもパス回しもなにせ少なかったから、それがあまりなかった。

昨日はNHKテレビでサッカーの起源や歴史を紹介していた。19世紀にイギリスで手を使うラグビーと手を使わないサッカーに分かれたのだという。ラグビーの美しさは何と言っても高所から映される、右に流れ左に流れるパス回しだ。残像として美しい流れが残る。

サッカーにしてもそうだ。巧みにスライディングしてくる相手をかわし、ワン・タッチ、ツー・タッチでくるくる回すパス回しから、機を見てのセンタリングそしてシュートを狙う。その軌跡が美しいのだ。

もちろんサッカーの場合、その軌跡の終りはほとんど『あ~ぁ、やっぱりダメかぁ』で終わるのだ。そしてイライラがつのっていく。

今回の試合では、その軌跡(パスからシュートへ)がほとんどワン・チャンスだったにもかかわらずバーレーンに勝利をもたらした。しかもあきらかに審判の反則見落としの結果としてだ。

審判からは見えなかったのだろうが、コーナー近くで高いボールを受けたバーレーンの選手は、あきらかにトラップ・ミス、ハンドのファールを犯していた。左の二の腕内側でボールを受けていた。テレビの解説者も『ハンドですねぇ』と何回か言っていた。

結果、折り返しのセンタリングをキーパー川口が中途半端にはじき、その先に詰めていたバーレーン選手の苦し紛れの、ほとんど偶発的なヘディングがふわりと日本のゴールに入ってしまったのだ。

川口にしてみれば、当然笛が吹かれるだろうと思っていた筈だ。そこにスキができてしまったのかも知れない。本人はそのことを決して言い訳にせず、自分のミスとして反省を口にしているようだ。何たって、審判は公正で絶対だ。今回の主審は公正だった。この見落としさえなければ完璧だったのに・・・。

わたし、直ぐにマラドーナの『神の手』と言われた、手を使ってのゴールを思い起こしました。今回はアシストの選手だから取り上げられることはないだろうが、あれは奥の手と言うのだろうか、神の手というのだろうか、そうですね『アラーの腕』でした。

戦いの後で岡田監督のインタビューがあった。前回は大人気ない態度だった。でも今回は無表情ではあったが、キチンと質問に応え、冷静な分析と今後の課題を述べていた。反省したのかも知れない。身近な人に諭されたのかも知れない・・などと私は勝手な想像をしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フリーガンにあこがれる

2008年03月26日 11時18分05秒 | 随筆或いはエッセイ
フリーガン?フーリガンではないのか?と見るともなしにつけていたテレビから聞えてきた音声にひっかかった。BSの取材番組ニューヨーク街物語を少しだけ観てなるほどと思って、あこがれた。

フリーガンとは大量消費社会に疑問を持ち、食費にお金をかけずに、捨てられている食材を拾い集めて食べる人達のことを言うそうだ。番組では食材だけではなく、衣類も他のものも、使えるものなら何でも利用しているようだった。

生活に困窮して必然的にそのような生活をしているのではなく、主義としてそれを実践し、他人にもアピールしているようだ。卑屈さはないし、明るいし、何だかとても楽しそうだ。

でも、大都会の富裕層のおこぼれを頂戴しているのだろうし、壊れてしまった器機や道具を修理するより捨てて新しいモノを買う方がコストと効率面から良しとする経済活動のゴミに付加価値をつけて別の経済活動をしているに過ぎないのかも。でも、売っている場面はなかったから、フリーマーケットで売るような事はしないのかも知れない。

教師をしているという人も紹介されていて、拾い集めた(捨てられているゴミ袋から収集)食材で料理を作って食事会をするというシーンがあった。拾ったものしか食べないという訳でもないのだろう。週1とかのペースかな?でも仕事を捨てて徹底している人もいるようだ。

独りでそれをやったらホームレスとあまり変わらないが、団体となり主義を持ち他人から非難されたり攻撃をうけたりすることもないようなので良いことずくめのような感じだ。ニューヨークに行き、アメリカンドリームを得ようとやるだけやってみて、駄目だなと見切りをつけたら、こういう団体に入れてもらうのもアリだな・・・などと思ってしまった。若い時なら・・だが。

ごく普通の生活をしているようでも、家族があり、職場もあり、ローンもあり、老後をどのようにしようという希望的計画や目途などもあり・・・となったら、見得もあれば体裁もあるから、なかなかそうはふんぎれないだろうなぁとも思った。

フリー!自由を求めていたのに・・。生まれ育った家族からフリーになったのに、何で新しく家族を作ってしまったのだろう。何で仕事にもこだわってしがみついてしまったのだろう。何でローンまで背負って家を買ってしまったのだろう。すべてを引っ張って先頭になってるような気になったり、落ちこんだ時にはそれら総てが自分を前に前にと無理矢理押し出してるようにも思えるのに。

結局、一般的な安定とは緊縛のことなんだなと思えてくる。昔の武士の鎧兜は、氏素性家名誇りだったんだな・・などと今更ながら想ったり。そうだ!フリーではない安定の中に身をおいて安穏としている自分は緊縛主義か?いやいや、緊縛趣味なんだろう。
結論が出た。わたし、マゾです!きっとそう!間違いないと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウンコ再び

2008年03月22日 13時07分28秒 | 健康ネタ
休日は夜更かしのせいで朝起きも遅いし、朝食もだらだら食べるので便意がなかなかやって来なくて困ることが多かった。でも最近はダイエット野菜スープのおかげで、休日でも割合早く便意がやってくる。

昨日が少なめだったこともあって、今日は大漁だった。おお・・・と快感それから見て感動!実に気持ちがいい。こんな日はこの快感が最低半日は尾をひく。

尾をひくと言うのは悪い感じにしか使わない言葉だろうか?
尾!そうです。便器を振り向いて覗いたときに、わたし尾を落としてしまったんだろうか?と一瞬思ったんですよ。するとわたしは尾長猿か?・・・すみません嘘です。話をつくりました。

でも何せ、『なんだか今日は、ほこほこ嬉しいな・・・何があったんだったかなぁ・・・あーそうかすばらしいウンコしたんだった!』と何度か思うのです。小さな幸せで誰にも言わない幸せだけど、ほこほこ顔がほころびるのです。

昔、だれかのエッセイで、下ろしたての新しいパンツを穿いて外出すると、自信に満ち溢れる感じがしてとても良い・・・というような記述を読んだことがある。
乗っていた車の海への転落事故で亡くなった太地喜和子さんは毎日下したての絹の下着を着けていたというのも読んだことがある。

やはりシモの気持ち良さを日常生活の基本と考えている人は多いんでしょうね。赤ん坊を育てる保育だって、老人介護だって、やはり一番の基本はシモの快適さです。

あーそれにしても、今日は気持いい。ヒトにはあまり言えないことなんですが、本日ワタシおっきいウンコしたんです。下腹に張りがない気持ちよさ。スルッとKANSAIというカードを愛用していますが、今日ワタシはスルッとKAIKANです。
      (また番外)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セールス・トーク

2008年03月22日 01時58分37秒 | 個人的主張など
セールスマン全般を悪く言うような発言をしてしまって良くないなぁと思っています。
それぞれ色んな事情もありましょうし、何たって生きていかなくてはならないんですから。何のために・・ってふと考え込んでしまう事もありますが・・・。

ところで、セールス・トークと言えば思い出すのが通販だ。テレビで俳優やタレントがいかにも感心した風に商品を誉めそやす。そのそらぞらしい演技を観るのがとても好きだ。

ドラマなどの合間に流れるコマーシャルで、タレントが商品を宣伝する場合は、やはり手間隙と金額をかけているのだろう。思わずその気になってしまうし、実感こもる迫真のうまさだから乗せられてしまいそうになる。

ところが、通販専門の番組でみる俳優やタレントの演技は、演技をしていますよ!というのがわかってとても面白い。『けっ!ようやるわ!』と思いながら、金が必要なんだな・・・何だか可哀想・・と思ったりもする。もしかしたらそのように思わせる創りなのかも知れない。

それから、あのとんでもなく大きくなった通販の会社の社長自らがやるセールス・トークを見るのがとても好きだ。『なんちゅう甲高い声だ、どこから声出してんねん?』と思い、ぞぞぞーっとしてすぐチャンネルを変えていたのだが、それを我慢しながら聞くのが快感になってきた。

あの会社の電話を受ける人たちがずらーと並んでいる映像を見たことがある。あの社長がテレビでセールス・トークをし終わって、その人たちのところに行って、さぁこれからじゃんじゃん注文が来ますからお願いします・・・というようなことを言い、そのとおりに電話がじゃんじゃん鳴り出した。

あの早口と甲高い声、顔を赤らめながらの必死で巧み?なトーク。あれに視聴者の多くが『買わなくちゃ!』と思ってしまうのだろう。わたしはとにかく、ぞぞぞーっとするのだ。でもそれに耐えながら我慢して見続けるのがとても好きだ。
   (ちょっと番外編)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐怖を商うという事(その2)

2008年03月20日 19時21分20秒 | 個人的主張など
エキスポランドの風神雷神Ⅱの死傷事故について前回の最後に触れたのだが、撤去されることが決まったそうだ。そして現在休園しているのを来春にはリニューアルオープンする予定だとか。撤去とは、なんとももったいない話だ。

とは言え、一度死傷事故を起こしたコースターに、いくら安全になったからと言っても、乗って楽しもうという気になる人は少ないだろう。気味が悪いということもあるだろうし、亡くなった方に申し訳ないという気がして手放しで楽しめないかも知れない。

それにしたって、金属疲労に対する意識、酷使する可動部分の部品定期交換の必要性に対する認識の低さは十分に糾弾されるべきだ。定期的なテスト走行に色んな数値を測れるダミー人形など使っていたのだろうか?

エキスポランドについて少し検索してみると、すごい数がヒットし、色んな非難記事が書かれていた。ずっと休園しても倒産もせず、撤収するわけでもないのが何故なのだかが判った。天下りそして政商!やはり利権にまみれている構図なのであった。

さて、話を次にすすめよう。セールストークとして不安をあおり恐怖をうえつけて高いものを売りつける悪者がはびこっている。訪問販売も電話での勧誘も、一番手っ取り早いのが、恐怖を売るということなのだと思われる。

我が家でも外壁にほんの少しひび割れ(クラック)が入っているだけで、ものすごい数の電話勧誘がある。雨水が染みこみ白蟻がたかり、ゆくゆくは家が崩壊する危険があると言うわけだ。まるで、ヒトの家の傷を見つけたのが自分の手柄のようにいいつのるヤツまでいる。

『ご存知かと思いますが・・・』ときて自分の話術の魔術に誘い込もうとする。塗装が必要だ外壁工事をした方がよいとうるさくてかなわない。最近はうんざりして、「ウチは建て替えるつもり・・・」とか「親戚がやってくれることになってる・・・」とか「ウチは建築業者だから・・・」と言って断っている。
     (つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐怖を商うという事(その1)

2008年03月17日 22時40分27秒 | 個人的主張など
〈「それでもボクはやってない」と『痴漢でっち上げ事件』で思うこと〉のつづき。
タイトルを恐怖を商うとして、シンプルにダイレクトに思い浮かぶのは、ジェットコースターやバンジージャンプなどだ。私も実は恐怖が好きなのだ。ナガシマスパーランドで世界最大級の木製コースター ホワイトサイクロンという絶叫マシンに乗ったことがある。わざわざ一時間待ちを並んで恐怖を買った。

横揺れが怖い。いつバラケてしまうか知れないという恐怖があった。登りから下りになる寸前は空しか見えなくて、身体が飛んでいきそうになる。実際に身体がぐっと前方上方に持っていかれているのに無理やり下方にしかもカーブしながら戻される時の恐怖はすごかった。それが何箇所かある。一緒に乗った連れ合いは、『もう持ちこたえられないかも知れないと思った』と後で言っていた。精神があっちに行ってしまう恐怖を感じたというのである。

鋼製ジェットコースターで回転が加わっているナガシマでは一番大規模のヤツにも乗ろうと誘ったのだが、『もういい、もう一生いい』と言って断られた。実を言えば、虚勢を張って言ってみただけで、私とて「もう今日は十分ごちそうさん」と思ったものだ。

恐怖を商うといっても、こういう施設の恐怖マシンやお化け屋敷などは安全が売る方にも買う方にも大前提としてある。遊びとして、約束のできた恐怖だから罪はない。

とは言え、点検を怠って値段以上の恐怖をサービスしてしまい、大事故になってしまった施設もあった。亡くなった人も最後の瞬間まで、安全を信じての恐怖を味わっていたものと思いたい。あの時の同乗者はその後どうしているだろう。もうスリルは買わないと誓っただろうか?恐怖を買って楽しんでいたつもりなのに、結果的に大変なトラウマを買ってしまったかも知れないと想像すると、何とも気の毒な話だ。

     つづく(なかなか一気に書けない)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「それでもボクはやってない」と『痴漢でっち上げ事件』で思うこと。

2008年03月15日 19時57分22秒 | 個人的主張など
マスコミに報じられている範囲で感じることは、まずは自分がハメられたらどうしたか・・・という事と、いろんな予測を完璧に立てた上で迫真の演技と打ち合わせができていたらどうか・・・という事だ。

考えるだに恐ろしい。もっとも想像力を十分に使って予測を二人でしていたら、こんな馬鹿げたでっち上げは割りに合わないと、すぐに結論は出そうなものだけれど・・・。

ハメられた会社員は自ら潔白を証明しようと進んで駅員(鉄道警察?)に申し出たとのことだが、これは一般的に取りうる行動だろうか?正義は我にありと自信をもっての主張をしても、警察は当初聞き入れずさんざんな取調べをされているのだ。

私だったらパニックになって、大学生とその連れの女の計画通りに誘導されてしまうかと言えば、そうではなくて、その二人に対して何をするかわからないのが怖いのだ。無実をどこで主張してもなかなか埒があかないだろうと瞬時に思ってしまうだろうからだ。何たって自分に全くの覚えがない無実だ。その二人にどんな危害を加えるかわからない。それが怖い。

気は弱いのだけれど、だからこそパニックになる自分が怖い。腕っ節は強いし、気が弱いくせに負けん気はあるというか、理不尽なことに対しては断固戦ってしまう自分が怖いのだ。線路に二人を突き落としかねないと想像して恐怖に震えそうだ。

恐怖を作り上げて金を得ようとする人間はどこにでもいる。恐怖は金になる。恐怖は商売になる。軍隊も軍需産業も恐怖を糧に存在している。本当は冷戦以後の世界に大戦争なんて起きよう筈はないのに・・・。ちょっと飛躍するが、イブ・モンタンが主演していた『恐怖の報酬』という映画があった。とんでもなくずれたり、飛躍してしまったりしてる。これはちゃんと結論を出さないといけない。
   つづく(たぶん)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康ダイエットをとりあえず(その3)

2008年03月12日 13時11分16秒 | 健康ネタ
つづく・・・としたままの書きっぱなしの垂れ流し状態は解消しなくてはならない。
出もの腫れ物ところかまわず・・いやいや、括約筋にはしかるべき所で活躍してもらわねば。

江戸では、近隣の百姓が糞尿を求めて市中を廻っていたそうだ。採れた野菜と物々交換され田畑に肥料として撒かれ完全にリサイクルされていたようだ。
現在の日本では、ほとんどすべて濾過して河に流してしまう。もったいないことだ。
有効利用を研究している人もいるだろうし、あらゆる可能性も検討されているのだろうが、たぶんまだまだコストが合わないのだろう。
エコ発電が盛んなドイツの農家のバイオマス発電は国の方針と助成があってこそできるんですね。日本はオーガニックの考え方もまだまだです。

オーガニックで極端なことを思い出しました。
阿部公房の作品のなかに時計虫というのがありました。
平面上を時計の針のようにゆっくり回り、自分のひり出したウンコが微生物によって発酵(?)されたものを食べるというもの。
つまり、一点に留まって回りながら自分のウンコを食べ続けて永らえる永久機関みたいな生き物のこと。究極のオーガニック・スター!

有機農法で出てくるミミズも考えてみると、すごくシンプルですね。
土の中を土を食べて進み、農業に良い土としてのウンコを出して行くのです。
単なるパイプですね。でも絶妙な仕組みを持ったパイプ。

どんどん脇にそれそうなので、ダイエットスープを摂取し続けての結果をここで発表します。
わたしは毎日のオカズとしておいしく頂き、ほかの物もついついもりもり食べているので減量効果は1kgにも満たないありさまですが、毎日の快便により持病の頭痛がすっかり陰をひそめています。
不整脈まであまり感じなくなりました。
頭痛も不整脈も腸から来てたのか?という思いがしています。
家族が、何故かすっかりはまってしまい3kg強も体重減で喜んでいます。
60kg台が50kg台になったと嬉しそうです。
あまり腹もすかなくなったとか言っていて、つまりは自己暗示がうまくいったということなんだろうと思っています。
ここで結論。
ダイエットは自己暗示の思い込みいかんで成否が決まる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「それでもボクはやってない」;周防正行監督の映画を観て思ったこと

2008年03月02日 14時02分06秒 | テレビ・ネット・映画
フジテレビで放映されたのを観た。
「それでもボクはやってない」は観たくない映画だった。
痴漢の冤罪事件を取り扱っていることを知っていたので、どうしたって今までの周防作品のように『うふふ』と笑えないだろうと思ったからだ。
案の定とっても不愉快な作品だった。
ものの見事にリアルそのもの。
警察の事件対応の実態、検察や判事の考え方や態度などが正確そのもの。
絵に描いたようなリアリズムだった。
行政と司法の一体となった権力構造とそのひどさが実に見事にあらわされていた。
実はわたしは縁あって・・・と言うより不幸にも、不運にもこれらの実態をかなり実感として知っているので、観たくなかったのだ。

そして深夜、高知で起きた白バイ警官の殉職事件が全くの冤罪であり、証拠が捏造されて被害者たる人が加害者にされて最高裁の判断を待っている状態だというドキュメントをみた。

それに続いて今朝になって見たのが、長崎県警が組織的に行なっていた銃摘発のやらせ事件だ。
一人の人間に罪をなすりつけて幹部は知らん顔という構図。
北海道警察の元幹部が告発した裏金問題では少しだけ、その構図が明らかになったようだが、自殺者二人を出しているとのこと。
こういうのを見始めて、考えさせられる状態になると、連鎖的に現れてくるのだ。
現実の恐ろしさが。

映画には痛快さを求めたい。『うふふ』の温暖化効果が欲しい。
でも、周防監督は現実をクソリアリズムで描いてしまった。
本当に残念だ。ご苦労様。ありがとう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康ダイエットをとりあえず(その2)

2008年03月01日 20時02分28秒 | 健康ネタ
前回は終り方が尻切れ状態だったので、少し訂正して通りを良くした(つもり)。
形について、もう少し言及しなければ・・・と言うより思っていることを出し切らないと腸内異常発酵状態の苦しい状況も起きかねないので書いてしまおう。
健康維持の基本は・・・と問えば早寝早起き規則正しい生活とか、ストレスを溜めない工夫とか色々あるけれど、先ずは排泄物を観察して体調を知る、毎朝一番にできるのだから、これが基本の基本。

それが楽しくなる。器量良しのウンコを毎日観察していると、『の』の字があったり、『川』の字親子があったり、堂々一本であったり、りっしん便・・?『りっしんべん』で変換したら、トイレ考談義を察してパソコンが『りっしん便』と一番に出て、次が『立身便』。そう、立身する便りなのである。

近ごろは、「惜しい!もう少しで『め』だったのに」とか、「『の』の字に『ノ』のおまけ付き」とか呟きながら便字の解読にいそしんでいる。
体調管理の基本は己を楽しむことである・・・などという名言モドキも湧いて出た。
スカトロジーなどと一蹴するなかれ。
ウンコ観察は健康管理の基本の基本なのだから。
    つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康ダイエットをとりあえず(その1)

2008年03月01日 01時13分33秒 | 健康ネタ
太っていると言われることはないけれど、スリムで動きやすかった青年期から15キロ程肥えてしまっているので、少し体重を落とすことにしました。
何だか膝に負担がかかっている感じが不快なのと、しゃがむ時に腹の存在を感じてしまうのが嫌だから。
でも普通に食べたいし運動もあまりしたくない。
で、始めたのが今けっこう流行っているという野菜スープ・ダイエット。
トマトも玉葱もセロリーもピーマンも、とにかく野菜はなんでも好物なので毎日だってちっとも飽きない。
ただレシピ通りだと少し薄味なので、ウチはニンニクとカレー粉を入れています。
とてもおいしい。そしてそうでなくても食欲はあるのに食欲倍増の気配です。
何のことはない今までとは、おかずが一品増えただけ状態の食生活。
でも体重は増えていない。
つまり燃焼はかなりしてるということか。
そんなことより何よりすばらしいことは、毎朝のトイレタイムが楽しい。

色;あーこれこそが黄金色。人の運はこうでなくては・・。間違いました糞です。
胆汁のよく混ざった色ということなのでしょう。胆汁の分泌を促す効果が絶大なのかも知れません。錬金術のようです。

形;先細りと言うのでしょうか。両端も主要部と同じ色合いと質感でありながら細っているのが良いと聞いたことがあります。まさにその通り。一度寝坊してトイレタイムを取れず、外出先で排泄したことがあります。洗浄器のないトイレだったので事後に拭いてみて驚きました。トイレットペーパーにウンコが付いてない。何というフンギリの良さ!感動でした。

量;これも誠にもって申し分ない。腹にいちもつ・・てなこと言いますが、もう腹の中には何にもありません。悩みもわだかまりもありません。微笑みながら未来に進んでいくだけです!ってな気分に毎朝なることができます。

におい;これは『臭い』と自分のものに書いたら自嘲気味に映りそうなのでひらがなです。自分のを堂々と『匂い』と書いたら、これはもうナルちゃんです。で、このにおいがほとんどないような気がします。気にならない。気にならないということは気化しないのか!?
いや、ガスはでる。いや・・と書いた。エアーだ気だガスだ。あー連想ゲームになってしまった。オナラは、自分でしておいてヘイコウしてしまうというかヘキエキしてしまう場合だってありますが、今のところそれがない。

       つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする