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鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

不覚を取る

2025年07月05日 09時38分09秒 | 旅行












昨日は久々に遊興の日と決めて、朝から遠出をしてきた。
いつものメンバーで、運転はどれほど長くても遠くても気にならないと言ってくれる頼もしい友人の3ナンバー車の後部座席に乗せてもらって気楽な旅。
寺泊魚の市場通りで新鮮な魚介類を買うことと、その近くにある温泉の日帰りコースを堪能することが目的。
発泡スチロール箱に保冷剤も持参したし、昼前の混む前に着いたのでゆっくりと物色できた。
寿司と刺身は、日帰りコースの風呂を堪能してから帰りに買うことにして撮るにとどめた。
『きんぱちの湯』は、いわゆる温泉とは違うようで日本海海洋深層水(弱アルカリ性泉質)とあるから沸かしているのかな。
毎日男女の入れ替えを行なっているとあるので、同じ月内なら偶数日奇数日とずらしたら両方の浴場を利用できることになる。
これで900円なら本当に大得というくらいに、ゆっくりと湯に浸かり、サウナに入り、休憩所で休み、食事処で昼食を食べ、また休憩所で昼寝をして、それからまた風呂とサウナを楽しみ、休憩所でソフトクリームを食べてというようなことをしているうちに4時を越えてしまった。
魚の市場は5時までということらしいので、画像の寿司を買いに行ったところ、ほとんど全部が売り切れ状態なのであった。
誠に不覚を取ってしまった、と後悔先に立たずで、近々敵討ちをしようと誓ったのでありました。
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ドライブ日和  その5

2025年05月17日 12時26分12秒 | 旅行


若い頃、私もヒッチハイクをしたことがあった。
乗せてくれた人から自宅に連れて行ってもらい夕飯をご馳走になり泊めてもらったことも2回あった。
駅の待合室で寝たり、バス停のベンチで寝たりもして、ずいぶん寒い思いもした。
目的地を書いた紙をかざすなどと思いつかないというより、ヒッチハイクをする人すらほとんどいない半世紀以上も前のこと。
そのことも少しだけ披露して、南條まではどうだったかを聞いてみた。
山菜採りに行くというお婆さんに乗せてもらったのが嬉しかったらしい。
蕎麦屋に連れていってもらってご馳走してもらったのか、十日町市の田舎にある『まるにし』という蕎麦屋を知っているかと言う。
十日町は生まれ育ったところだけれど、私はまだまだ十日町をよく知らないモグリかも知れない。
時間差はあれ、十日町橋を渡って来たと言うし、上越から海岸線をずっと通ってきたのが気持ち良かったと、私と同じルートを通ってきたのが分かった。
私はヒッチハイクをやった時に、車を止めることができず止まってもらうことができないまま50kmを1日で歩いたことがある。
それを言ってみてから、「京都から大阪までだって50kmほどなので歩くこともできるよ」と言ってみた。
そこで『そうですね、それもできますね』と応えてくれたなら、その後の展開というか、彼への私の対応は違ったかも知れない。
しかし、彼は「それはちょっと・・・」と言ったので、ヒッチハイクをするにしては根性無しの甘ちゃん系に感じられた。
そこで、当初伝えていた通り、山科で降ろして別れることにした。
彼には大阪と書いたフリップがあることだし、内気な面もありそうながら社交的でもあるようだから、余計な世話も心配も無用、だいじょうぶだろう。
最後に「ヒッチハイクなんかやって放浪癖ができたらロクなものにならないよ」と言っておいた。

願わくは取り返しのつく程度の失敗をできるだけ多く経験し、そこから学んで欲しいと思った次第。
    終わり

画像は、宇治に来て、裏山を登った折に観た羊歯の新芽。
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ドライブ日和  その4

2025年05月16日 15時24分15秒 | 旅行


敦賀インターを降りてからの深夜走行には慣れていて、それだけに飽きて眠くなることも多い。
でも今回は他人を乗せて、しかも後ろに居る気配もあるので眠くならない。
それでも退屈になったところで、大学生なのか、どこから出発したのか、山科で下ろされた後はどうするつもりかなどを聞いてみた。
あまり詮索しないようにしつつ、彼が話に乗って饒舌に喋り始めたりしたら、それも嫌なので、その辺りを差し支えない程度でと前置きをして聞いた。

*南魚沼市にある友人宅をスタートして大阪にヒッチハイクで行くということのようだ。
*山科で降りたらJR山科駅が近いから大阪までだったら電車が便利だと説明したけれど、大阪から友達に迎えに来てもらうこともできるとのこと。
*とにかく、公共交通機関を利用しないで大阪へと決めている・・。
*大学4年生だが休学中とのことで、卒業を1年延ばしたということか。
*心理学専攻で、障がいのある学童の学童保育に関わってきたというのだが、アルバイトなのかボランティアなのか深掘りはしなかった。
*自分は不登校だったとも言っていたけれど、その期間がいつの時点のどれくらいなのか、理由は何なのかもあえて聞かなかった。
*人が集まれる場所を作れないかと考えていて、ゲストハウス経営を考えているとのこと。
*宇治に空き家を貸してくれるようなところはないだろうかと聞くのだが・・・。
◎クラウドファンディングでお金を集めてリノベーションをして、その後はネットで宣伝して利用者を募るというようなスキルはあるかと聞いてみた。
*まだ無いけれど、それは集中して努力すれば身につくと思うとのこと。
*陸上競技の中距離をやっていたので、体力には自信があると言う。
◎不登校だったのは小学校くらいで、中学、高校あたりでは陸上にのめり込むほど才能があったということなのかどうか、突っ込んだ話をわざわざ聞くことはしなかった。
*やりたいことがものすごく色々とあると言い、集中力はあるけれど飽きっぽいところもあるなどと言う。
◎とにかく何をやるにしても1番大事なのは、お金の計算やマネージメントだとジジイは講釈を垂れておいた。
*適当にツッコミを入れる私に対して、私の年齢の人が言うこととは全然違うと驚くのであった。
◎しまった、話し過ぎたと思ったところで1号線に入り、山科に着いたのでコンビニの駐車場に乗り入れた。

自分の名前は名乗らずに、彼の名前だけを聞いてみた。
なんだかスポーツ選手にそういう人が居たな・・という名だった。
余っていた、薫るブラックを渡し、「それじゃ頑張ってね」と別れた。
   つづく
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ドライブ日和  その3

2025年05月15日 10時54分10秒 | 旅行


14時過ぎに出発して350kmの走行で10時間過ぎた間に、眠くてしょうがなくて休んだのは1度だけ。
時々暇ひまにブラックブラックガムを噛み、ブラック缶コーヒーを飲み、スーパーで購入した各種三角おにぎりを食べ、特茶をすする。
何が特に良かったということは解らないけれど、こういうこともあるのかと思う位に疲れを感じずに南條S.A.まで来ていた。
そうして出発前のトイレに行く時に近寄ってきた若い男に話しかけられたのだが、彼は手に『大阪』と書かれたA4の紙を持っていた。
180cm前後で痩せ型の普通にカッコ良くて、黒系のカジュアルを着て、中型リュックを肩に下げている。
「大阪まで行きたいんですが・・・」と言うのに対し、見た目に悪い印象は無かったので、「変則的な行き方だけど京都の山科までだったら・・」と応えた。
嬉しそうに「それで十分ありがたいです」とのことで乗せることにした。
運転席を倒して休憩するようにと運転席の後ろだけ荷物を置いてないので、後ろに乗るよう促した。
一瞬だけ、もしも良からぬことを考えている男だとして、背後から襲われたらマズイと想像がよぎったけれど、走行中にそれはないだろうとすぐに出発した。
乗せてやるからにはペラペラ話しかけられても嫌なので、「オレは喋らないからね」と釘を刺した。
いつものように高速代を節約して敦賀で降り、8号線から161号線に折れて南下する京都山科まで150kmほどを、喋らずにひた走るつもりだったが、退屈になったところで、私の方から話し始めた。
     つづく

画像は、到着した日に近所を散歩して撮った、ダイダイ(橙)かナツミカン(夏蜜柑)と思われる木の実と花。
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ドライブ日和  その2

2025年05月14日 14時53分30秒 | 旅行






出鼻をくじかれてドタバタした出発となったが、とにかくガソリンを満タンにしてからスーパーで食料を確保する。
飲み物は『薫る・・・』とあるブラックコーヒーを2種類と『濃い』と謳う日本茶を1本買う。
それがいつものことなのに濃いお茶がなぜか見当たらず、ちょっと高めの『特茶』を買ってみたら、これが大正解。
思った以上に渋く濃くて、しかもどういう加減か、良く効いて眠くならず、一気に走る距離が伸びた。
最近は眠くなったら直ぐに国道脇のパーキングスペースででも停めて仮眠をとる。
高速に乗らずに並行した下道をできるだけ走るのを心掛けているのだが、今回も全行程の半分を下道で倹約した。
しかも高速代は日曜祭日割引か深夜割引を使うので、今回も深夜0時には高速上に居るよう調整をする。
時間は十分にあるので、上越から富山県境まで海岸沿いの8号線を気持ちよく日の沈むまでドライブを楽しむ。
そうして撮ったのが昨日上げた画像で、県境で道路工事のために片側1車線交互通行で止まった時の親知らずの岩壁トンネルから海を観たところ。
順調に走り過ぎたので、0時に高速上に居られるよう時間調整をして、敦賀で降りる前に南條S.A.で眠くないのに無理やり毛布をかぶって仮眠をとった。
そうして0時を過ぎて出発する前にトイレに行こうと歩いていて、若い男に話しかけられた。
 つづく

画像は、宇治に着いてから、このごろ習慣となったウォーキングをしていて出会ったエゴノキ(野茉莉)。
茉莉とは何ぞや、モクセイ科の常緑低木とあり、ジャスミンの一種とある。
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ドライブ日和  その1

2025年05月13日 18時35分18秒 | 旅行




昨日は誠にドライブ日和を実感する行程だった。
もう少しで出かけようという時に、農事の師の奥さんから電話があって、かかりつけ医院に師を連れていってくれないかとのこと。
何事かと問えば、次の日に内視鏡をすることになっているのに便が出ないと言って云々。
連れて行って降ろすだけで良いなら20分足らずで可能だから、そちらを優先することに。
私は自分の定期検査のため、宇治に向かうと言ってあったのだが、その出発するときに乗せていってもらえないかとイメージしたらしい。
荷物を全部乗せたら助手席も後部座席も他人を乗せる余地はないので、少しくらいならと出発を遅らせることにする。
もうすぐ89歳になる師はかなりガタがきていて杖をつかずには歩けない。
それでも耕運機は掛けられるという不思議な現象が起きていた。
とにかく、医院前で降ろし、取って返して予定より10分遅れで出発した。

画像は新潟県と富山県の県境で、片側1車線の交互通行時に撮ったもの。
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爺婆合コンで『かけ流し温泉ゆくら』へ

2025年04月19日 08時53分44秒 | 旅行






未亡人と人妻各1と人夫(ひとづま)2の4人は同級生後期高齢者爺婆。
あと1週間もすれば雪も完全に消えて桜も見頃になろうというというほころび寸前。
ちょっと早いので、その分すいていて、休憩所なんかほとんど貸切状態。
昼寝をしたり風呂も2回入ったりソフトクリームを食べたりの数時間を過ごしてきた。
残念だったのは、桜がまだだったということより、サウナがなくてサ活とならなかったこと。
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日本三大薬湯に行って雪下人参を買う

2025年04月10日 08時28分44秒 | 旅行






昨日は思い立ってニホンミツバチ愛好友人を連れ出して温泉に行ってきた。
『じょんのび』と言う醤油のような色をした温泉に行こうと提案したのだが、芝峠温泉『雲海』にしようと決まった。
ところが行ってみると、駐車している車が少なくてラッキーと思ったら、水曜日は定休日なのであった。
下調べをしないので、そんなことになるのは、私にすればよくあること。
そこで相棒の提案は、ここまできたら松之山温泉に行こうと言うことで、それに決定。
松之山温泉は行ったことがあるけれど、旅館に泊まったことも温泉に入ったこともないので行ったことにはならない。
もっけの幸いと乗ることにして、私の車で行ったのだが、元タクシードライバーの彼は自分が運転すると言い出し、これにも異存はない。
私は運転に対して不満を言われることはあまりないのだが、同乗者により微妙に運転の仕方が変わってしまうのかも知れない。
出発前に、『肝を据えて命を預けてくれるね』と念押ししていたのを根に持ったか。
それはともかく、さすがは気持ちの良い薬湯で、露天風呂からの眺望も良く、昼食を挟んで2回も湯に入った。
サウナも堪能して、売店に安売りとあった雪下人参を買って帰る。
3本873g400円は安いのかどうか分からないけれど、スティック状にして生で食べたら確かに甘かった。
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何が哀しくてわざわざ

2025年04月04日 23時43分43秒 | 旅行






夜が明けた頃合いに長野新潟の県境に差し掛かったが、寒くて桜なんぞ気配もない。
道の駅『花の駅千曲川』でトイレを拝借。
日本一綺麗なトイレというのを見附長岡の道の駅で経験したけれど、あそこよりも綺麗で広々として最高。
生家に着いたら、まだまだ積雪1m状態で、雪の消えた部分にカマキリの卵嚢を発見。
地上50センチくらいのところに産みつけていたから、全くの見込み違いのいい加減な親だったに違いない。
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雪に閉じ込められる前に引き上げ

2024年12月21日 15時53分53秒 | 旅行










毎年、私が引き上げると大雪になったり嵐になったりすると、お隣の奥さんは感心する。
そりゃそうですとも、たいていぎりぎりまでぐずぐずして帰り支度が整わず、もうこれは出ないとまずいな、となってから出発するんですから。
それでもいつもほぼうまくいって何とかなってきたわけで、昨日の今日もそのように雪国十日町から宇治に引き上げた。

1枚目画像;出発して程なく東側を見たら、越後三山が真っ白に浮かび上がっていたので、横道に逸れて撮った。左から、越後駒ヶ岳、八海山、中ノ岳。
2枚目画像;越後三山の南の方には巻機山も神々しく光っていた。
3枚目画像;尼御前S.A.に今まで気付かなかった芭蕉の句碑があった。
4枚目画像;寺に泊めて貰ったら山内を掃除してから立ち去るもののようで、芭蕉は実際はやらなかっただろうけれど、『庭を掃いてから出発したら良いのですがすみません』という気持ちを表したようだ。
5枚目画像;南條S.A.のトイレは、今まで利用してきたどこのトイレよりも新しくて素晴らしい。新潟県見附市の道の駅「パティオにいがた」にある日本トイレ大賞を受賞したトイレに匹敵するか上回るかという美しさ。
利用させてもらったからには、何かが落ちてでもいたら拾い上げて去りたいくらいのものだったけれど、チリひとつ落ちていない竣工したてのようだった。
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隙間から見える東京

2024年11月03日 12時00分00秒 | 旅行


帰路、新幹線のホームにて、隙間から見える東京を撮った。
これだけのシーンからも東京一極集中の繁栄ぶりが伺える。
うがった見方をすれば、私が暮らす十日町市と、この建築中の高層ビルは、同等あるいはビルの勝ちとなるかもしれない。
そんなことはその時に思わなかったけれど、後付けの感想。
もう月が変わったけれど、まだ余韻を引きずっている。

先ほどNTTファイナンスと名乗る電話が携帯にあった。
爽やかな男性の声で『お客様は未納料金が発生しているので、ご利用を停止させていただき、法的措置を取らせていただきます』というような内容だった。
続いて『オペレーターに繋ぐには1を』というところで、私の方から切った。
詐欺メールに違いないと思って検索すると確かに詐欺だったようで、1を押したらどうなるか残念なことをしたという気がついついしてしまう。
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九十九里町は鰯漁獲量日本一

2024年11月02日 08時43分34秒 | 旅行










伊能忠敬先生出生地を後にして、九十九里浜に連れて行ってもらった。
護岸からの砂浜は固く締まっていて、車の轍がうっすらとしかなかったからスタックなどしない浜。
長い弧状の砂浜でも、場所場所の海底形状により津波は大きな違いがあるそうだ。
友人の奥さんがそのように教えてくれて、東金市の友人宅あたりは津波の来る心配はないのだという。
海岸から5.6km海抜6m余りの彼らの家は、東日本大震災でも被害は免れた。
もっとも、震災直後に購入して移り住んだのだが、そのようなことも知り尽くした上でうまく手に入れたということのようだ。
能登半島にバスも走れる砂浜という観光名所があるけれど、歩きにくくない砂浜というのは本当に面白い。
房総半島方面の浜では雨が降っているに違いないという感じの雲が下がっていて、それも面白い。
海の駅に行き、大きな水槽の鰯の群泳を観た。
鰯の油を絞る道具などを観て、鰯は干鰯(ほしか)という農業用肥料だったという説明などを読んだ。
一旦帰り、鰯を食べたいという要望を受け入れてもらって、次は寿司屋(小料理屋)に連れて行ってもらってご馳走になった。
鰯の造り、鰯の寿司、鰯の天ぷらはどれも絶品で、くどさを感じる間もなく完食してしまった。
ついつい手が先に出てしまい、いつも『あ、そうそう、撮らなくちゃ』と思う始末でどれも中途半端な画像になった。
友人の奥さんの運転が上手いので、安心して我らは日本酒2合徳利2本も空けてしまったのだった。
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伊能忠敬出生地を訪ねる  その②

2024年11月01日 08時37分37秒 | 旅行




『子午線一度の偉業』の中に『・・・天測による子午線一度の算出は、世界土木技術史上はじめての偉業として異彩を放つ。・・・』とある。
銘板には記されていなかった分を検索して補足すると、子午線1度の算出は師である暦学者高橋至時との約束であったとのこと。
1度は28里2分ということで、1里=3.92727kmに28.2を掛けると110.749kmでほぼ111kmとなる。
110.749kmに360を掛けると、39869.6kmなので、ほぼ周囲は4万kmとなる。
実際の地球は少しつぶれた形で緯度での周囲は40,009km、経度での周囲は40075kmとなるそうで、伊能忠敬の出した結果とほぼ差異はない。

測量は私財を投じて始められたようだが、幕府からの支援を確保し、各藩の協力もあり、『大日本沿海輿地(よち)地図』を作成すべく全国の沿岸を歩くこととなる。
実際は測量結果を地図に起こす途中で忠敬は肺を病み、弟子たちが完成させる3年前の1818年(文政元年)に亡くなった。
完成した地図は幕府に献上され、あまりの正確さに、海外持ち出し禁制となる。
ところがそれを持ち出そうとした、いわゆるシーボルト事件が起こるのは、忠敬没後10年後の1828年(文政11年)のこととなる。
※輿地とは広辞苑に拠れば、(輿(こし)のように万物を乗せる地の意)大地。地球全体。全世界。
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伊能忠敬先生の出生地を訪ねる  その①

2024年10月31日 08時54分30秒 | 旅行








52分の13名によるミニ同級会が終わってから、予定していた千葉県東金市に向かう。
年に数回十日町市のわが家に来てくれて色々と手伝ってくれる友人宅を初めて訪れ、泊めてもらった。
起伏のない平坦地が広がっているのに道の曲がっているのが印象的なところだった。
次の日は九十九里浜に行きたいとだけ思っていたのだが、近所に伊能忠敬ゆかりの地があるとのことで、まずはそこに連れて行ってもらった。
それを聞いた時に、「伊能先生出生地なら是非ともお願いします」と先生という尊称が何のためらいもなく口から出た。
案内板に、伊能忠敬は1745年に旧家小関家で生まれ、7歳で母を亡くし、佐原の伊能家の養子になる11歳までこの地に起居したとある。
佐原市には伊能忠敬記念館があり、旧宅などもあって大々的な史跡となっているようだけれど、こちら九十九里町の出生地は、バスの停まれる駐車場がありトイレはあるものの、ひっそりとした公園だった。

『地理学者伊能忠敬先生は、五十一才にて家督を長男景敬にゆずり江戸に出て西洋流の暦学者高橋至時(東岡)に入門、暦学・数学・測地法を学び、寛政十二年(一八〇〇年)四月、忠敬は蝦夷地(現北海道)の測量に出発、前人未到の大事業の一歩が始まる。
時に先生五十六才、文化十三年(一八一六年)まで本州・四国・九州の全沿岸の測量に前後十七年、十回の測量のためついやした日数三、三六五日という超人的なものであった。実に晩学の地理学徒である。』

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『奥の細道』の起点

2024年10月25日 06時53分06秒 | 旅行




【奥の細道 矢立初めの地 千住】という銘板と芭蕉の像があった。
『元禄二年(1689)三月二七日、松尾芭蕉は、ここ千住の地から奥の細道の旅へと出立しました。この像は、矢立初めの句を詠む芭蕉の姿を表現したものです。』
『千じゆと云ふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさかりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
 行く春や鳥啼き魚の目に泪
是を矢立の初として、行く道なをす々まず。人々は途中に立ちならびて、後かげみゆる迄はと、見送なるべし
     おくのほそ道 より』と記されてある。
矢立という携帯用の小さな筆入れ筒と墨壺セットの使い始めとなった、ということ。

南千住の駅に向かっていたらこの像があり、ときどき北陸道のS.A.で芭蕉の句碑を見るのでこの偶然が喜ばしい。
とは言え、前日に通夜に出て友人の死に顔を拝み、告別式から火葬骨揚げに向かう途中。
ここで一句といきたいけれど、陳腐な言葉を捻りだすのは辞めておこう、まだ一昨昨日のことだ。

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