鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

何の石碑かと・・

2018年07月30日 05時55分55秒 | 言葉の世界




『友等 集ひ 此の道を拓き 又 散ず』『昭和五十三年十月』と読めた。
その他の小さい文字は読めない。
裏には個人名がアイウエオ順に百名程と土木関連数十社の名。
北陸道の不動寺P.A.あたりを請け負った関係者達を顕彰した碑なんだろうか。
此の石碑を作るのだって何十万円かするだろうに、余る経費内で造ったものか?
目立たない場所にひっそりと在ったから、裏にある個人名の人たちにとってだけ大事なものなのだろう。
左端にぼんやりと映っているのは、タオルを首に下げて台風一過のフェーン現象に往生している前期高齢者。
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不備への気付き

2018年07月18日 00時05分07秒 | 言葉の世界




あるP.A.のトイレ棟にあった、この看板の文言は、どうもしっくりこない。
おそらく、『お気付きの方は・・』の『お』が抜けてしまったのだろう。
二行目の先頭に『救助』をどうしても置きたかったのなら、『赤ランプ点滅・ブザーにお気付きの方は』として『の』を省略したら良いだろうに。
発注から出来上がりまでに何人かの手と目を必要とし、確認しているはずなのに、どの時点でも『気付き』がなかったのだろうか。
『気付きの』は、だんぜん『お気付きの』とするか『気付いた』にした方が良い。
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宇曽川ダム・・②

2018年03月07日 00時05分06秒 | 言葉の世界




『鈴鹿の心生命の羽音』とは、なんのことだろう。
七七なのだ。
五七五はそれぞれが、この景色を観て謳え、ということなのだろうか。
川下は湖東平野で、このダムは岩を積み上げて作られたロックフィルダムという重力ダム。
鈴鹿を検索すると、雌鹿のこととある。
鈴鹿山脈や鈴鹿サーキットがあまりに有名なので、意味など考えたことはなかったけれど、雌の鹿であったとは。
古代の琵琶湖は鈴鹿山脈の麓にあり、長い年月を経て現在の位置に移動したという記述を読んだことがある。
宇曽川の宇曽はどんな意味があるのだろう。
うそ(鷽)という鳥もいるけれど。


追記;古琵琶湖は鈴鹿山脈が隆起する前は今の三重県あたりにあったとのこと。
   そうして徐々に滋賀県に移動したらしいが、大昔は琵琶湖からの出口は東の伊勢湾方面とか。
   そして地殻変動で鈴鹿山脈が隆起して出口は大阪湾方面へとなったらしい。
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阿弥陀仏は光明なり・・。

2018年01月07日 00時28分28秒 | 言葉の世界


仏教用語としての阿弥陀と光明と智慧の関係を示したものだと思われる。
智慧と知恵はどう違うのか。
光明は簡単な漢字だから調べるまでもない気がするけれど、仏教用語としては深い意味があるのだろう。
ルックス、カンデラ、ルーメンなどの光の単位を思ったりしてはいけない。
きちんと調べて、それを発表するというようなことは、ここでは意図しないし私の柄ではない。
連想やら脱線やら洒落のめす方に自然と流れていく。
『阿弥陀仏は巧妙なり 光明は智慧のかたちなり』とある。
それならばと思うのは『阿弥陀くじは巧妙なり 巧妙な悪知恵のかたちなり』。
くじ引きというのは、どんなに無欲でも射幸心を煽る悪魔がひそんでいるのではないか!?
うそは泥棒の始まりなら、くじはギャンブルの始まりだ。
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連声とは

2017年12月19日 00時07分30秒 | 言葉の世界


仏恩という言葉は知っていたけれど、連声という法則によって普通は「ぶっとん」と読むことを、この歳になって初めて知った。
連声の現象は普通に受け入れ使ってもいたけれど、「れんじょう」というのだとは知らなかった。
れんじょうと聞けば恋情しか浮かんでこない年齢はとうに過ぎた。
連声を引くと例として出てくるのが、安穏(あんのん)、陰陽師(おんみょうじ)、雪隠(せっちん)。
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銀杏(ぎんなん)干し

2017年12月15日 05時43分43秒 | 言葉の世界


生家の公孫樹(いちょう)の木から落ちた実を拾ってふんずけて、ゴム手袋で揉み洗いして臭い果肉を落とし、持ち帰って干している。
イチョウは変換すると銀杏と出てくる。
続けて変換ボタンを何回か押して、ようやく公孫樹が出てくる。
さらに押し続けると、鴨脚なんてのが出てくる。
イチョウの木を指すときは公孫樹(いちょう)。
イチョウの実を指すときは銀杏(ぎんなん)。
イチョウの葉を指すときは鴨脚(いちょう)。
そのように区別して使い分けたい。
田舎では、イッチョの木、イッチョの実、イッチョの葉っぱと呼んでいるけれど。
バケツにかなり拾ったつもりなのに干してみるとあまりに少ない。
たくさんパクパク食べるものではないし、過ぎると毒だと聞いているので、自家用にはこれでも多いくらいか。
割って茹でて冷凍しておいたら何ヶ月も持つのだそうで、ようやくそんなこともする気になった今年この頃。
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又々『ら抜き言葉』を発見

2017年12月12日 00時11分00秒 | 言葉の世界


外食ということを滅多にしない。
一人でするなら、コンビニの一番安い梅干しや昆布のおにぎり程度に決めている。
私は定期的に大学病院に通院しているのだが、そこにある食堂の豚骨醤油ラーメンが気に入って、そこだけはいつも利用する。
並んでまでは食べたくないのだけれど、間が悪く正午前だったので並んでみた。
待ち時間に、画像の文章を読んでしまい、『誰も指摘しないのかなぁ・・』と一人憤慨してしまった。
『食べれない』ではなくて、『食べられない』だろうが・・・。
とは言うものの、私とてわざわざ店の人間に言うつもりはなく、いつものように気に入りのラーメンをおいしくいただき、汁も飲み干し、満足して店をあとにした。

『ない』の前が命令形となる場合は、ら抜き言葉とならないという原則を知ってから、自分が使う言葉はそれでチェックしている。
例えば、『叫ぶ』の命令形は『叫べ』だから『叫べない』であり、『叫ばれない』とは言わないし書かない。
じつは私の田舎の方言では、『食べる』の命令形が『食べれ』だから『食べれない』でも、ら抜き言葉にはならないのではないかという問題が生じる。
ところが、『食べられない』に相当する言葉を私の田舎では『食べれない』とは言わずに『食べらんね』と言い、ちゃんと『ら』を入れる正当性を保っている。
方言だって『ら抜き』は使えない(使われない)。
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帰省を省みる  ⑦アメノカゴヤマノミコト

2017年07月08日 00時17分00秒 | 言葉の世界



鎮守様下の沢一面にある草にアマガエルがたくさんいた。
ここに写っているのは何匹?

田舎のわが集落の鎮守様の扁額を初めてしみじみと見た。
天の字が木目によって夫に見えるので首をかしげたが、どうしたって夫である筈はないだろうと結論。
天香語山命は奈良にある天香久山(アマノカグヤマ)とどう違うのか。
ネットで検索して、読み始めたらキリがない。
とにかく神格は、倉庫の神、農業神、開発神と分かったからそれで良い。
五月の春祭りには、新潟の弥彦神社から祝い金が送られてくるというのを集落の人は誇りにしている。
他の集落の神社は弥彦神社に納める方だという。
わが農事の師は、鎮守様のおかげで無事に過ごしていられるのだと思うと言う。
信仰心は、人それぞれだけれど、私でさえも春祭りには可能な限り出席する。
酒一升は出席しなくても数年前から献納し続けている。
郷に入れば郷に従えというわけで、お墓にも必ず参る。
どこでどう見られて何を言われるか分からないのが田舎の運命共同体。


答;アマガエルは8匹。
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こどもの日の次は、まごの日

2017年05月06日 03時58分03秒 | 言葉の世界


生き物にこわさを感じない。
何にでも手をのばす。
ダンゴムシが気にいっている。
何かに刺されたり噛まれたりしたことはまだない。
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疎水のトンネル扁額

2017年04月13日 01時49分02秒 | 言葉の世界






疎水の水道トンネルの脇には、必ず扁額を紹介する看板が立てられているようだ。
拓本好きの人なら、トンネルの扁額をタンポンでポンポンしたくてたまらなくなるだろうけれど、簡単にはできない。
説明文は反対側の看板のものも最初の三行は同じだった。
下の看板は日本最初のコンクリート橋近くのトンネルのもの。
扁額の扁とは何だろう・・扁平足の扁だ。
電子辞書の広辞苑に、『扁』は【①門札。平たいふだ。②⇨偏に同じ】とあるから、扁額は平らな額ということでしかない・・か。
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思ってございます

2017年04月03日 00時24分00秒 | 言葉の世界
不思議な締めくくりに私はつい立ち止まってございます。
過日の国会で財務省の官僚の一人が、このような『ございます』で締めくくることが多くて、私としては違和感を感じてございます。
何々はありますかと問われて、『ございます』というのはよく聞く。
『ありがとうございます』と『何々でございます』は一般的だけれど、『何々(し)てございます』はとても変だと考えてございます。

追記1;前もって考えてあるかどうかという会話の中では、『考えてございます』は違和感がない。
追記2;慇懃に相手を牽制するために、あえてあのような奇をてらう言い方をするのではないか。矛先をかわす小技を繰り出しているつもりなのかもしれない。

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ほつけたち

2017年03月24日 00時52分12秒 | 言葉の世界




昨日3月23日は彼岸の明け。
17日の入りから明けまでの7日間が彼岸なので、明けの日が過ぎて彼岸が明けるのだと検索して認識した。
私が子どもの頃は、ワラ束を雪の上に円錐状に立てて火をつけ歌をうたう『ほつけたち』という行事を各戸でやった。
「ほーつけたーち ほーつけたーち じーさも ばーさも このあかりについて いがっしゃーれ いがっしゃーれ」
入りの日は「いがっしゃーれ」の代わりに「ござっしゃーれ」と歌う。
「火を点けたので、この灯りを頼りに彼岸からおいでください」「火を点けたので、この灯りを頼りに彼岸へお帰りください」という意味。
『ほつけたち』にはハザ掛け(稲束を天日干しする事で、ハザは標準語だがウチの地域ではハッテという)した束が必要。
ハザ掛けをあまり見なくなったが、付加価値が付くのでわざわざ手間暇かけてハザ掛け米というブランドにして高く売っている米があるそうだ。
ハザ掛けして脱穀後に残る藁束を、幼馴染に頼んで昨年手に入れた。
今年の農事で保温保湿に利用するためなのだが、一束だけ『ほつけたち』をやった。

赤飯とおかずは、来た日に前の奥さんからいただいたもの。
ぼた餅を作る代わりに赤飯を炊いたようだ。
煮物に入っている銀杏はウチの屋敷内のイチョウの木から拾い集めて利用してくれている。
銀杏は、皮膚がかぶれたり手の荒れる人には扱えない。
前の奥さんは何ともないそうで、素手で実を洗い、コタツでテレビを観ながら殻を割り、冷凍にしておいて時々料理に使うのだそうだ。
こちらに着いた日の夕飯。
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比喩として使えなくなった言葉『津波』

2017年03月08日 06時53分06秒 | 言葉の世界
真夜中に目覚め、小便の我慢限界を感じて嫌々ベッドから降りた。
少しだけパソコンを見ようと始めたら、身体が冷えてコタツから出られなくなり、ちょっとだけ温めようと首までもぐりこんだ。
うつらうつらと過ごしているうちに、6年前の大震災3.11の津波を思いだしたら眠気が吹き飛んだ。

遠い関西の地でその時間は車を運転中だったから気づきもしなかった部外者だが、その後のニュース映像には言葉を失った。
現地の当事者、生き残った人たちにとってはどのようであったか、その後は如何などと想像しても圧倒されるだけ。
サザンオールスターズのTSUNAMIというヒット曲の歌詞に『津波のような寂しさに』というフレーズがある。
あの歌が震災後どのように扱われたかをここに示すのは目的外。
ただあのフレーズは、震災以後なら発想できないだろうし、あの圧倒的な動画や写真を観たほとんどの人に『津波のような』という比喩は以後ありえない。
そのような言葉は他にどのようなものがあるだろう。
『空襲』や『天皇陛下』がそのようであったし、いまだにそのようであるかもしれない。
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ら抜き言葉のアコギな商売

2016年11月01日 01時10分01秒 | 言葉の世界




生家から京都に戻る途中、ハイウェイオアシス徳光S.A.で休憩した。
前回の帰省で休憩したときは夜中だったから、ほとんどの店が閉まっていたけれど、今回昼間でようやくオアシスの全貌が見られた。
海産物商店街のようなところがあって、すぐに目についたのが画像のカキ。
岩ガキという文字に惹かれ、椅子とテーブルが置いてあったので食べてみることにした。
『食べれる』というら抜き言葉が気に入らなかったけれど、テレビの食べ歩きレポーターが、ぷくっと太ったカキを食べて、絶妙なコメントをするのを何度か観ているので、そんな味を期待した。
店のおっさんに注文する。
何となく選ぶ素振りをして端っこのを取ると、奥の手洗い所のような場所でカキにナイフを入れて開きながら、やたら私をチラチラ見るのである。
私が周りの店に視線をやって元に戻すと、やはりこちらを伺っている。
そうして開いたカキに水をかけて洗ったりしている様子。
何か変だなとは思った。
その後、レモンを切って、出て来たのが2枚目の画像。
何と痩せたカキだこと。
一口というほどのこともない小ささで、食べてがっかり、しょっぱくて食えた物ではない。
私が待っているときに、女二人がやって来て「あ、カキ、食べた~い」なんて言って横に座ったのだった。
多分、私がテイのいいサクラになってしまったのだ。
その二人連れがいたので、私は食べてから、ただ首を振るしかなかったのだけれど、やっぱりおっさんと目があった。
私の気分としては『おっさんアコギな商売してるなぁ・・これじゃ食べれない!』という感じ。
関西在住なのだから、『おっさん、えらいちっこうて辛いカキやないか、換えてくれや~、食うてしもたけど』くらいのことは言うべき所だ。
もしくは、『おっさん、えらいアコギな商売してはんねんなぁ、恥ずかしないか!?』とでも言うべきか。
立ち上がりしな、「しょっぱいなぁ」とは言ってやった。
おっさんは「レモンかけたから」なんてほざいて、しれっとしていた。
腹が立ってしょうがないけれど、私には明日の仕事が待っているので、苦々しくも徳光S.A.を後にした。
道々運転しながら、やはり腹が立ってしょうがない。
そうなると全然眠くならないのである。
憤懣は人を覚醒させるということが分かった。
『あのことを思い始めると夜寝られない』という言葉を聞いたことがある。
私は『食べれます』と書いてあったカキのことを思い出すと、寝れない日がやって来るのだろうか?
そのせいでというのか、おかげというのか、居眠り運転の危険はなくスムーズに長距離ドライブをこなせたのだけれど。
とにかく、ハイウェイオアシス徳光S.A.のカキは食べれないからご用心!!
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毀(こぼ)つ

2016年09月05日 01時41分22秒 | 言葉の世界


『こぼつ』というのは建築用語なのか古くからある大工言葉なのか、変換すると簡単に『毀つ』とでてくる。
私の田舎(新潟県十日町)では、家の解体のことを『やこぼち』と言っていた。
検索しても無かったから、『やこぼし』としてみたら有った。
その記事に『こぼち続ける・・』という部分もあった。
屋毀し、屋毀ちというのは、古い言葉の残っている地方に、生き続けている表現かもしれない。
大規模宅造地の中にある我が団地でも、ついに毀つ家が現れた。
『毀つ家が現れた』と何となく書いたけれど、これは論理的矛盾をはらんでいる。
毀しが実行されたら、家は消えるのだから。
同期の分譲分で、よく知った家だったから感慨深い。
改装改造関連業者のセールス攻勢があると、建て替えるつもりだと話しをかわしてきたのだ。
何らかの負の事情ではなく、最適な耐震、断熱、防音、防火仕様の家への建て替えだろう。
MOTTAINAIと思いつつ、羨ましかったりもする。
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