ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔02 本棚の思い出〕 【遍路国往還記】 早坂 暁 朝日文芸文庫

2010年07月22日 | 〔忘却からの帰還〕
リタイアと同時に新館図書館が家の裏手にできた。
歩いて3~4分のところ。
こうなると図書館が自分の書斎のようなものでわが家の本棚にあったものは徐々にではあったがあらかた処分した。
当時読んでいた本のメモがでてきたので記憶一助としておこう。

【遍路国往還記】 早坂 暁 朝日文芸文庫

この本は1991年、朝日新聞の四国版に連載された著者のエッセー。
内容は四国人物の往還記録。
 
日露戦争後、愛媛松山に捕虜収容所ができた。
このときの明治国家の彼らへの待遇は驚くほど公正、人道的、かつ寛大だったという。
同様の捕虜施設が徳島の板東町の「板東収容所」。
第一次世界大戦期、青島で日本軍の捕虜となったドイツ兵1000名を収容した。
当時、青島はドイツの租借地だった。
約3年の間、収容されたが、捕虜兵がドイツ村という文化を築いていたことも知らなかった。
捕虜と徳島の人々の友好交流が深まるり、その後の日独関係を強めた
一助とされている。
収容所には酪農場や、ウイスキー蒸留生成工場もあった。


四国とは死国巡礼の地であり、詩国とも言えると作者。
ただ遍路国というタイトルの被せ方には多少の違和感が残った。

ライト兄弟より早く夢の翼を実現していた二宮忠八。
伊藤大輔の引き抜きがあった当時の伊丹万作が挿絵画家、おでん屋、旅役者まで経験していたということも新鮮な発見だった。
入獄4回 発禁14回の宮武外骨は讃岐国の庄屋の四男坊として生まれている。
漱石、子規、虚子などの交流などもよく理解できた。(2002年)



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