ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔10 七五の読後〕【名作に学ぶ四字熟語】 鵜川 昇 サンマーク出版

2010年05月18日 | 〔10 七五の読後〕
【名作に学ぶ四字熟語】 鵜川 昇 サンマーク出版 



 紅塵万丈

黄塵万丈ということばで覚えていたが、紅塵にも納得する。
 「花も霞もその声の裡に備はりて身は紅塵万丈の都門にあるを忘るべし」(谷崎潤一郎「春琴抄」)や「吾輩は猫である」からの引用があった。
でも紅塵万丈のことばからはメガチャイナの風土と上海万博のイメージが重なりあって浮かんでくる。
 今春、上野のお花見をしたとき、周りがみな中国人だったことに驚いた。
アキハバラでは電飯鍋(炊飯器)を買うツアーが今でも続いている。
中国人日本旅行者、いま年間100万人。
日本での旅行に平均20万円を使うそうだ。
日本のツアーの方は、2~4万円台のデフレ低料金企画が紙面広告にあふれている。

獅子奮迅  

「いつからか、日本の青少年の間に『頑張らなくてもいい』という発想が浸透している。「獅子奮迅」の一所懸命さ、健全な競走はいつの時代でも美しいものであるのだが」・・と著者 。
昨年、「世界一になる理由は何があるんでしょうか。二位じゃだめなんでしょうか」スパコン事業仕分けで女性議員の発言も話題を呼んだが、このことばも、この頑張らなくてもいいに通じる。
一方、一昔前にピンポンパン体操という歌が子供たちに流行った。(作詞:阿久悠 作曲:小林亜星)
ズンズンズンズンズンズンズンズン ピンポンパンポン
とらのプロレスラーは シマシマパンツ はいてもはいても すぐとれる
がんばらなくちゃ がんばらなくちゃ がんばらなくちゃー

戦後の日本、それぞれが獅子のように頑張って働き、家族とその後の日本を支えた。
獅子に及ばずとも、鶏口となるも、牛後となるなのことばを教わったのがわれわれの世代だ。

七転八倒

 昭和32年の正月。
北風の深夜、腸ねん転で苦しみもがく父がいた。
中学生の兄が手配した救急車で遠い国立病院へ二人は行った。
兄はそれきり帰ってこない。
母は姉の出産で上京中で不在。
小6生だった自分は一人取り残され、布団の中ですこし震えていた。
「これからどうなるのだろう」 父はその1日後に死んだ。

 春風駘蕩

今住んでいる杉戸の風と春風とは無縁らしい。
雪をいただく富士と日光男体山、群馬の連峰がくっきり見える季節になると、春の風はのどかどころではなく、颪となって強風の通り道となる。
これに雨混じりとなると冷えて寒々としてくる。
そうなると、昼でも必ず風呂を立てることにしている。
しま温泉と勝手に名付け、その中で少しだけ駘蕩の気分を味わってみる。

百鬼夜行

権謀術数うずまく政界の夜。
かっては、料亭政治などということばもあった。
いま、海千山千と呼ばれた百鬼夜行の輩も少なくなったようだ。
映像メディアやインターネットがさまざまなスポットを容赦なく浴びせるから政治の舞台に陰影がなくなっている。
また政治家のほうも首相をはじめ大臣などがツイッターなどに夢中だったり、メディアの世界でやたらに目立ちたがる。
日々、時代は加速して過ぎ去ってゆくが、その内実は軽く薄く、危ない感じだ。

一気呵成

 「その爪懸りのいい幹へ一気呵成に駆け上がる」猫が松の木に登る様を描いた漱石の「我輩は猫である」からの引用があった。
子猫は一気に登るのだが、下りるときは怖がってニャオ、ミャオと助けを求める。
猫を飼った人ならそんな経験をお持ちだろう。
 一気呵成に書き上げた文というのもある。
終戦直後、明日は飢えへの心配もあるなかで書き上げられた父の日記をいま読んでみると、インクのかすれはあっても誤字、脱字、訂正などがまったく見られない。
余裕のない緊迫した日々の中で備忘録と名付けられた日記は一気呵成に書かれていた。

絶体絶命

幕末戊辰、昭和20年の敗戦の危機から明治維新と戦後復興が生まれた。
奇跡の日本に成長し、ちいさな島国の存在に世界は驚ろきの目を見張った。
 「しかし戦争のごとく明確な痛みをともわなかったバブル崩壊は、被害の実感が全体に広がらなかった。そのために気づくのが遅れ、その分立ち直りに時間がかかっている、と言える」と著者。
10年デフレと言われている現在の状況で経済は低成長、国の財政は破綻寸前の状態だ。
東アジアでの中国の軍事大国化、北朝鮮の核問題も加わる。
この情況を絶体絶命の場として捉えられるかどうか。
私を含め、きびしく問われているようだ。

砲弾爆雨

この正月に沖縄旅行に行き、ツアーの一同と、ひめゆりの塔に合掌した。
家に戻って 激動の昭和史 沖縄決戦 (1971年 東宝 監督 岡本喜八)を見た。
昭和20年33月の東京大空襲も、沖縄決戦もまさに砲弾爆雨の状態だったろう。

身体髪膚

身體髪膚受之父母。不敢毀傷、孝之始也。
身体髪膚、之を父母に受く。敢へて毀傷せざるは孝の始めなり。
この語はもはや死語に近くはないだろうか。
 「人のからだや髪の毛や皮膚は、すべて父母からいただいた大切なものであるから、痛めつけたり傷つけたりしてはいけない。そうしないことが孝行の始めである」という教えである。
12年連続で3万人を超えている自殺者(2010年5月13日 読売)、子殺しの日常化。
 「日本の危機」は過言ではないと著者。
それに親孝行などのことばも聞かなくなった。
敬老などの気分をまったく持たない後期高齢者ということばも勝手に作られた。


毀誉褒貶

40年前、知り合った先輩記者から有楽町のガード下赤提灯で聞いたことばが耳に残っている。
 「いいか、男の仕事は、自分の胸に己自身が納得して勲章をつけるものだ。会社や他人がつけるものじゃないよ」
毀誉褒貶、人の評価するところにアラズ、ということを言いたかったのだろうが、着ていたよれよれのトレンチコートも、かっこよかったナ。

意気投合

一晩中飲み明かして始発電車で帰ったこともある三十代。
意気投合していた気分がそこにあった。
いまリタイア五年。
いまや肩書きも地位も無く、ただNPOの農園作業と野菜作りを通じて知り合った飲み仲間と意気投合する夜もある。
こちらはどんなに飲んで語っても家が近い。


当意即妙

 「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、 聯合 レンゴウ 艦隊ハ直チニ出動コレヲ撃滅セントス。本日天氣晴朗ナレドモ波高シ」
この電文の起草者は秋山真之参謀。
小学生の頃、白墨に楊枝でつついたりして皆で軍艦を作ることが流行っていた。
私も「敵艦見ゆとの・・・」とやって「本日、天気晴朗なれど波高し」などを口にしていたから、この電文、人口に膾炙されたものと思う。
なんとなく戦意高揚、気分もよくなる響きがあった。
ただ、この「天気晴朗」電文が日本に届いたとき実はこの語は「天候晴朗」だった。
定年を指呼に数えた自分の仕事の中からこの事実を知った。
いづれにしても当意即妙の名電文だが、秋山が同じ時間に
 「雪の日に北の窓あけシシすればあまりの寒さにちんこちじまる」
 とやった。
これも、当意即妙と言えそうだ。

阿諛便佞

テレビに対して著者は「空疎で潤いを感じるものが絶無に近いから」と敬遠する。
たしかに最近はつまらない番組も多い。
有名人司会者に意味無くうなづき、(笑)い、おもねりへつらうコメンテータとする人々。
阿諛便佞だ。

自己流謫

小学4年生の頃に「智惠子抄」の映画を見た。
敗戦となり高村光太郎こと山村聡が岩手の山奥にひとり住み、往時を回想するシーン。
映画冒頭のシーンだったと思う。
自己流謫とは「自らを流刑に処すること」
戦前、日本文学報国会幹部として戦争協力へのめり込んでいった自身への悔恨。
厳寒の山、畳三畳の部屋に7年間住んで光太郎は自己流謫した。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿